第三章・1
第三章
―1―
診察を終えた早苗は、支払いを済ませていた。
筋を痛めていた首には、塗り薬と湿布薬が処方された。
会計から西山が待つロビーへと戻ろうとした早苗は、自販機脇の壁にもたれながら立っている、少年の前を通りかかった。歳は中学生くらい。一人で来たのだろうか。
早苗はちらりと少年に目をやり、ハッとした。
目を閉じている少年に顔を向け、その顔を確認しながら、ゆっくりと通り過ぎる。
まさか。
でも。
早苗の足が止まった。
早苗は少年を振り返った。
胸が鼓動を少し早める。おそるおそる少年に近づいた。
少年が自分の前にある人の気配に目を開く。そして、目の前にいる早苗を、わずかに首を傾け見上げた。
少年の漆黒の瞳が早苗の顔を捉え、映し出す。
この目。
この目を自分は知っている。
いつも憧れ、少しでもいい、そこに自分を映してくれたらと思っていた。
「……朝日奈君?」
思わず口からこぼれるように出て来たその名前。
懐かしい響きだった。
早苗の問いかけに、少年は結んでいた唇を、何か言おうと薄く開いたが、思い直したように閉じると、にっこりと幼い笑顔を早苗に見せた。
「違うけど。お姉さんだあれ?」
少年の言葉に、急に夢から覚めたような気がして、早苗は目をしばたかせた。
そうだ。
当たり前だ。
この子が『朝日奈 鈴』のはずがない。
あれから十五年も経った。
それに鈴は……。
そう気づくと、早苗はとたんに恥ずかしくなって来た。こんな子供に突然声をかけるなんて。
変なおばさんだと思われたかもしれない。
「あ、ご、ごめんなさい。人違いだったみたい。本当に……ごめんなさいっ」
身を翻し、行こうとした早苗は、目の前の男子トイレから出て来た男にぶつかった。
それは、やたらと背の高い目つきの悪い男で、慌てて早苗は謝った。
「す、すみませんでした!」
「あ、いえ、こ、こちらこそ、すみません」
意外にも男は丁寧に謝り返してくれ、少年を見ると言った。
「お待たせしました、朝日奈さん」
早苗は目を丸くして男を見た。そして、再び少年を振り返る。
少年からは、先程の無邪気な笑顔が消え、苦虫を噛み潰したような、不機嫌な顔で男を睨んでいた。
「まったく……本当に、空気が読めないというか、間が悪いというか……」
少年はぶつぶつと何やら呟いている。
そこへ、
「早苗どうしたの」
西山がなかなか戻って来ない早苗を心配してやって来た。
「あれ、西山さん」
目つきの悪い男が西山を見て言った。
「なんだ、常磐じゃない。それに君は……」
西山も少年を見ている。
すべての視線が集まる中、少年は深く一度息をつくと、先ほどとは違った穏やかで少し大人びた、そしてちょっと困ったような笑顔で早苗を見た。
「久しぶり。星野」