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第二章・3

―3―


 私は死ななければならない。


 何をぐずぐずしているのだろう。

 私という存在がなくなることなんて、たいしたことではないはずなのに。

 風が吹いて頼りない足元が揺らめく。

 マンションの最上階。私は手すりを乗り越えた端に立っていた。

 下を見ると遥か遠くに地面が見える。人も車も通っていない。落ちればそこは硬いコンクリートの地面で、私はすぐに死ぬことができるだろう。

 一瞬だ。

 後は一歩足を踏み出すだけでいい。それだけでいい。

 ああ、どうか。それですべて終りにして欲しい。

 すべては、私だけの罪。

 これですべてを終わらせて。


 何も無いそこへ、足を踏み出す。前のめりに倒れるように空へと身を躍らせる。


 落ちる

 落ちる

 落ちる




◆◆◆◆◆◆


「わぁあっ!!」


 ポンと肩を叩かれる感触に、常磐は体をびくつかせ、椅子から転げ落ちた。


「……おはようございます」


 椅子から落ちて尻餅をついた常磐を、間抜けな物を見るような目で見下ろしているのは、だぼだぼのグレーのパーカーを着た朝日奈 鈴だった。

 外では鈴はいつもこのパーカーに、やはり少し大きいのではないかと思われる黒いズボンという格好だ。


「おはよう……ございます」

「さっさと立ったらどうですか。みっともない」


 相変わらず冷たい。優しくされたらされたで怖い気もするが。

 常磐はまだ動悸の治まらない胸を押さえながら、立ち上がった。


「朝日奈さん、検査は終わったんですか」

「俺にはそもそも、検査なんて必要ないんです」


 そんなこともないと思うが。

 鈴は『夢ワタリ』の力の他に、『眠り病』の持ち主で、自身の意思とは無関係に、時や場所を選ばず突然眠ってしまう。それがどれくらい危険な物なのか、今では常磐も分かっているつもりだ。


「とうとう、常磐さんも愁成の鼠ですね」


 鈴が常磐を見て、ちょっと皮肉の混ざった笑みを見せる。


「鼠?」

実験動物モルモット


 それはずいぶんと嫌な考えだ。心配してわざわざ検査してくれたのだと、できれば思いたい。


「あれ、そういえば霧藤さんは」

「知り合いの医師に会いに。そうやって、人に媚びへつらって人脈を築いて利用するのが得意なんです、愁成は」

「……人望があるんですね」


 鈴に言わせると、霧藤という人物がやたらと人でなしになっていく。


「今のうちに今日録ったデータを、すべて消してやりましょうか」

「やめてください……何か、俺が怒られそうなんで」


 本気でやりかねない鈴に言うと、鈴は常磐の座っていた椅子に腰を掛けた。


「……で、また夢でも見てたんですか」


 鋭い。


「はい……。まだ、ちょっとドキドキしてます」

「また犯罪者の夢ですか」

「それが、ちょっと今までとは、また違う気がするんです」


 常磐は長椅子の端っこに遠慮がちに自分も座ると、霧藤にもした夢の説明を鈴にもして、たった今見た夢についても話してみた。


「その様子だと、その人物はまだ迷っているみたいですね」


 話を聞き終えると鈴は言った。


「いえ、死ぬことに関しては、ほぼ決めているようなんです。そうしなくちゃいけない、みたいな」

「後はどこでどうやって、を決めかねているということですか」

「それが決まれば、きっとこの人は行動に移すんじゃないかと、俺は感じてます」

「それで常磐さんは何がしたいんですか」

「え?」

「その自殺を止めたいんですか」

「そうですね……できれば止めたいと思います」


 理由はなんであれ、この激しい後悔を胸に、自ら命を絶とうという人物を見つけることができるなら、それを止めたいと、常磐は思う。

 答えた常磐に鈴はその幼い顔に似合わない、大人びた視線を向けた。


「常磐さん。命でもって償わなければならないような罪って、なんでしょうね」


 それは……。

 

「……なんでしょう……ね」


 へらっと笑った常磐に、鈴の顔が呆れたような物へと変わる。

 言えなかった。

 鈴の家族の命をあんな残酷な方法で奪った犯人は、未だに捕まることも無く、どこかでのうのうと生きているかもしれないのに。

 『殺人』などという言葉を使うことはできなかった。


「まあ、あんまり深く追いすぎて、間違って自分がマンションから飛び降りたりしないよう、気をつけるんですね」


 そうだ。それも訊きたいと思っていたのだった。


「あ、それ、それなんですが、何かいい方法ありませんか。夢と現実をちゃんと区別できるような」

「しっかり自分の意思を保っていれば、夢と現実が混ざるなんてことはないです」


 それが簡単にできれば訊いていないのですが……。

 鈴はちょっと考えるようにしてから、自分の髪を指で摘まんで言った。


「俺の場合、これがちょっとしたお守りになっていますが」

すず……ですか?」


 鈴の顔の左。耳の脇には髪を一摘まみほど束ねて、小さな鈴の髪飾りが結ばれている。

 着物を着ていることが多い鈴に、その髪飾りは神秘的な感じもして、よく似合っていると思っていたのだが。

 それを指先で弾いた鈴に、常磐はおかしなことに気がついた。


「あれ、音がしない」

「ええ。この鈴は壊れてますから」

「えっ。そうなんですか?!」


 今まで気がつかなかった。


「夢の世界は自分の意思によって動く世界。現実ではどんなに念じても、鳴ることの無いこの鈴も、夢の世界では音を出す」

「なるほど。音が鳴るのは夢の中だからってことですね」


 そういえば、前に夢の中で、その鈴の音を聞いたことがある。


「……あれ、でも俺、その鈴の音、起きていても聞いたことがあるような……」

「どれだけ夢見がちなんですか、あなたは」


 相手にしきれないといった様子で鈴の顔が渋る。

 でも、そうか。そんな方法があったとは。早速自分も、と思った常磐に鈴が言った。


「真似しないでくださいね」


 ……ケチ。



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