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第十章・2

―2―


 ドアのチャイムの鳴る音に、ぼんやりとビルの壁にしか見えない窓を見ていた早苗は、ハッとしてドアを振り返った。西山が来たのだろうか。

 もう一度鳴ったチャイムに、ドアの覗き窓を確認した早苗は、そこにいた人物に、一瞬呼吸を止めた。


「驚いた?」


 ドアを開けると、いたずらに成功した子供みたいに笑う、朝日奈 鈴がそこに立っていた。


「ううん……不思議。なんだかね、なんだか……朝日奈君が来るような気がしたの」

「首、どうしたの?」


 鈴に言われて指先で触れたそこは、赤くミミズ腫れになっている。


「寝てる間にちょっと引っ掻いちゃったみたい」

「そう……」


 痛々しそうに首を見る鈴に、早苗は部屋の中へと鈴を促した。


「上がって、今お茶入れるから」

「うん」


 鈴はスニーカーを脱ぎ、小さな部屋の奥に進んだ。


「どうして、うちが分かったの?」


 店での鈴を思い出し、緑茶の方がいいのかと迷ったが、やはり紅茶にしようと、早苗はティーカップを用意しながら鈴を見た。鈴は一目で見渡せる部屋の中、立ったまま視線を廻らせている。


「西山さんに訊いたんだ」

「西山先輩?」

「うん……意外だな。星野の部屋って、もっと女の子らしいかと思ってた」


 鈴の言葉に早苗は頬が熱くなる。


「あ、あんまり見ないでね」

「あ……ごめん」


 ティーカップとポットを載せたお盆を、テーブルに置いた早苗は、まだ立ったままの鈴に首を傾げる。


「朝日奈君?」


 見ると、鈴は小さな瓶を手にして見ていた。


「星野、こんなの飲んでると、悪い夢見たときも起きれないよ」


 鈴が持っていたのは、ベッド脇に置いておいた、睡眠薬の錠剤の入った瓶だった。


「最近、ちょっとよく眠れなかったから……」

「そっか」


 鈴は小瓶を元の場所に戻して、早苗の前に座った。


「朝日奈君、今日はどうしたの?」


 紅茶を口元に持って行き、息を吹きかけている鈴に早苗は訊いた。すると鈴は結局、紅茶には口をつけずにカップを置くと、 着ていたパーカーのポケットから何かを取り出し、早苗の前に差し出した。鈴の手にあったのは、はがきサイズの白い封筒。


「これって……」


 期待と不安が混ざるような感覚に、鈴の差し出したそれに、手を伸ばせない。


「遅くなって、ごめん」


 真面目な顔で言った鈴に、ようやく早苗はそれを受け取る。


 十五年前、ずっと渡したくて鞄に入れておいた手紙。放課後、まだ教室にいた鈴と、一緒に学校を出たあの日。これを逃したら、もう渡せるチャンスはないだろうと、押し付けるようにして鈴に渡した自分の想い。驚いた顔をした鈴に逃げるように帰ってしまった早苗は、次の日の朝、ニュースで鈴の名前を聞くことになるとは、思ってもみなかった。


 鈴が覚えていた。それだけでも嬉しいのに。

 もう二度と、あの日の自分の気持ちに、答えなんて出ないと思っていた。

 それが今、ここにある。

 早苗は手の中の封筒をじっと見た。


「読んでもいい?」


 訊いた早苗に、鈴は目を丸くした。


「は? 嘘だろ。ダメダメ! 普通本人の前で見ないだろ!」


鈴が顔を赤くして慌てたように止める。珍しく取り乱した鈴の様子が可笑しくて、早苗はくすくすと肩を揺らして笑った。


「まったく、星野って、そういうとこ、どっか抜けてるよなぁ」

「遅いよ、朝日奈君。私、こんなおばさんになっちゃったじゃない」

「……変わらないよ、星野は」


 笑いながら言った言葉に、返された声はひどく真剣で、早苗は思わず鈴を見た。


「変わらないよ」


 繰り返した鈴に、早苗の顔から笑みが消える。


「そんなことない。私……変わった。変わっちゃったの」


 しかもそれは、いい変化じゃなかった。


「……朝日奈君、朝日奈君は覚えてる? 職員玄関の壷のこと」


静かに頷いた鈴に、早苗は言葉を続ける。


「あの日も、朝日奈君は突然現れて、私のことを助けてくれた」


 何か特別な事をしてくれたわけじゃない。職員室に入る前、足がすくんでいる自分の背中をポンと叩いてくれただけ。先生に事情を話している間、入り口のドアにもたれながら、黙って待っていてくれただけ。だけど、たったそれだけで、不思議と早苗は勇気づけられた。


「朝日奈君にはどうってことないことだったかもしれない。でも、あのときの朝日奈君に、私は大袈裟じゃなくて救われたの」

「いいよ。星野が俺なんかで救われるって言うんなら、何度でも救ってやるよ。だから――」


 鈴は寂しそうに早苗を見た。


「そんな死にそうな顔するなよ」


 あの日と同じ言葉なのに、あの日早苗の心を軽くしてくれたはずの言葉が、今日は早苗を苦しめる。


「ダメなの。朝日奈君……。あの頃みたいにはいかないの。私がやったことは、取り返しがつかないことだから」


 どうしてこうなってしまったのだろう。

 あの日、どうしていたら良かったのだろう――。



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