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第十章・1

第十章


―1―


 なんだか冬に逆戻りしてしまったかのような、肌寒い朝。灯はワンピースにカーディガンという格好に着替え、店へと下りて行く。

 昨夜、灯が蜃気楼に帰ると、座敷部屋の戸はぴったりと閉められていた。さらに大酉が珍しいくらいの厳しい声をしながら、鈴の具合が良くないからと、鈴に合わせてくれなかった。

 やっぱり、友達と出掛けなければ良かったと後悔する。自分がいない間に、鈴に何があったのか、誰かが教えてくれなければ、灯には知る術がない。

 今朝は鈴の具合は良くなっただろうか。今日は学校は休みだから、鈴の具合が良ければいいのに。

 座敷部屋の前へ来て、灯はキョトンとした。


「おはよう」


 鈴が灯を見て言った。


「おはようございます……」


 鈴は座敷部屋の上がり口の、板の間の上に座っていた。それ自体は珍しいことではない。珍しいのは、鈴が出掛けるときのグレーのパーカーに、黒いズボン姿だったことだ。こんな朝から、鈴がこの格好をしていたことはない。

 意味も分からず心がざわめく。そのとき、ベルを鳴らして開いたドアに、灯は顔を強張らせた。


「お迎えに上がりました」


 あの馬鹿な刑事がそこに立っていた。


「またあんたなの。言ったでしょ、鈴様に――」

「俺が呼んだんだ」


 自分の言葉を遮った鈴の声に、灯は目を丸くする。鈴は立ち上がるとドアへと向かった。


「行きましょう常磐さん」

「はい」


 常磐は絶句している灯に小さく頭を下げた。ドアを押さえ鈴が出るのを待つ。


「鈴様!」


 灯の呼ぶ声に、鈴は表情なく振り向いた。しかし、掛ける言葉などなかった灯の視線は、困ったように泳ぐ。そんな灯に鈴は小さく息を吐くと、ドアの外へ足を踏み出す。


「あ……い、いってらっしゃい!」


 やっと言った灯に立ち止まり、もう一度鈴は振り向いて、今度は小さく微笑んだ。


「行ってくる」

「あ、あのっ」


 再び呼び止める声に、鈴は進めかけた足を止める。


「今日の夕飯はどうします」


 灯は言ってから、自分が可笑しなことを言ったことに気がついた。ぽかんとした鈴に、居心地が悪くなる。すると、鈴が笑みを含んだ声で訊いてきた。


「灯が作るの?」

「え?」


 思わず訊き返した灯だったが、


「はい! 作ります、私。……えっと、何がいいですか?」


 威勢良く言った灯だったが、その様子から、どうやら料理が得意ではなさそうなことを察した常磐が、同情するように自分を見ているのが腹立たしい。


「じゃあ、肉じゃが」

「肉……じゃが、ですか」


 それはまた、王道かつ、初心者にはハードルの高そうな一品だ。顔の引きつる灯に鈴は笑った。


「頑張って作って。美味いと言って食べるから」


 そう言うと今度こそ、鈴は蜃気楼のドアを出て行ってしまった。

 なんだか奇妙な脱力感に、灯は座敷部屋の上がり口、先ほどまで鈴が座っていた場所に座った。振り返って見る座敷部屋の中に、鈴の姿はない。

 厨房から大酉が朝食を手に出てきた。


「おはよう灯ちゃん」

「いたの」

「もちろん。ほら、朝ご飯を食べて。私と鈴さんはもう済ませちゃったから」


 大酉はどうやら常磐が迎えに来ることを知っていたようだ。灯は仲間はずれにされたみたいで気分が悪い。そんな灯に大酉がにっこりと笑いかける。


「肉じゃが作るんでしょう? 教えてあげるよ」


 聞いていたのか。


「それくらい、教わらなくてもできるわよ」

「灯ちゃんが~?」

「何よその顔!」

「だって灯ちゃん、ダメでしょ料理」

「うるさいわね。料理は愛情でしょ。なんとかなるわよ」

「うわぁ……」


 大酉と灯が言い合っているとドアベルの音。

 一瞬、鈴が戻ってきたかと思ったが、そこにいたのは霧藤で、灯はふいと顔を逸らす。


「おはよう、灯君。おはようございます、大酉さん」

「おはようございます、霧藤さん」


 霧藤は手にした新聞を眺めながら、席に着こうとしたが、開けっ放しの座敷の戸に気づいて、怪訝そうに目を細めた。新聞を席に置くと霧藤は、座敷部屋の中を覗き込み、ふうんといったように顎に手をやる。


「大酉さん、鈴はどうしたんです」

「鈴さんはお出掛けになりました」

「お出掛け、ね」


 含みを持った霧藤の言い方に、灯が噛み付いた。


「何よ。何か文句ある?」

「別に。文句なんかないけどね。大酉さんが落ち着いてるって事は、ちゃんと行き先も分かってるってことだし、一緒に付いてる人間もいるってことだ。まあ、大方、それが誰なのかも予想がつくけど」


 鈴に知り合いは少ない。それも、『眠り病』を持つ鈴が、一緒に行動できる人間は限られる。


「灯君はその場にいたのかな」

「どういう意味よ」

「鈴が出て行くのを、黙って見てたのかと訊いてるんだよ」

「黙ってなんかいないわよ」

「へえ。じゃあ、なんて?」

「……いってらっしゃいって言ったのよ」 


 憮然とした声で言った灯に、霧藤は可笑しそうに笑った。


「なるほど、そうか。それなら今度は、おかえりと言って出迎えるといい。きっと鈴も喜ぶだろう」


 そして霧藤は再び、空の座敷部屋に目をやり呟く。


「鳥篭の鍵は外せたか」



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