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第八章・1

第八章


―1―


 常磐はかなり遅い昼食を、近くの弁当屋で買って署に戻った。一番安い海苔弁当だが、最近の海苔弁当は安くても、ボリューム、味ともに結構な質で感心する。安月給の常磐には有り難い。

 今日はここ最近頻発している小火ぼや騒ぎについて、周辺の住人に聴き込みをして回っていた。

 早苗のこと、それから西山のことも気になったが、まだ事件にもなっていないことを、調べまわる時間はなかなか作れなかった。

 結局、鈴の事件についても、まったく調べは進んでいないし、すべてが中途半端で情けない。

 あのベテラン刑事の牧本が、一つだけの事件に生涯を費やすことはできないと言っていた事を思い出し、その心情を理解する。

 西山はあの後、早苗に会ってどうしたのだろうか。あれから何の連絡もない。いったい何を話したのだろう。


 手早く昼食を済ませると、先ほど聴き込みをした小火についての書類作成に取り掛かる。


 その前に――。


 肘を机について、両手に顔をうずめた。

 眠い。この眠気はなんだろう。常磐の意思とは無関係に襲ってくる眠り。

 東田が今日は朝から、何か別件で捜査があるとかで、傍にいないのが幸いだった。居ればすぐに頭に拳骨が落ちていることだろう。


 少し。ほんの少しだけ……。


 常磐は両手の中で目を閉じた。




◆◆◆◆◆◆


 耳に懐かしいチャイムが響いた。


 夕暮れのオレンジ色をした、太陽の光が差し込む学校の廊下。

 部活動に励む生徒たちの声や、ボールの弾む音が遠くで聞える。

 誰も居ない廊下を歩いて教室へ。やたらと大きな音を立てながら開いたドアの、向こう側にあったのは小柄な学ラン姿のシルエット。

 窓際の、椅子ではなく机の上に座っているその影が、ドアの開く音に、窓の外に向けていた顔をこちらに向けるのが分かる。

 逆光に慣れ始めた目が捉えたのは、朝日奈 鈴の笑顔だった。

 その屈託のない笑顔に胸が詰まる。


 お願い。そんな顔で見ないで。

 私にはもう、そんな笑顔を向けてもらえる資格などないのだから。

 私はもう、あなたに会うことは許されないのだから。

 私の罪を知ればきっと、あなたは私を軽蔑するだろう。


 しかし鈴は笑顔のまま、座っていた机からぴょんと身軽に飛び降りると、こちらへと近づいてくる。

 そして曇りのない明るい声で言った。


「なんだよ星野。まだ帰らないのか?」




◆◆◆◆◆◆


 常磐は目を開いた。


 泣きたくなるほどの、胸に広がる懐かしい感覚は、常磐の物ではない。

 激しい後悔と罪の意識。朝日奈 鈴への想い。とうとう二つの夢が繋がってしまった。

 霧藤は確か、あの恋心の夢を【自由連想】と言っていた。鈴を見た映像から連想され、作られた夢だと。


 でも違う。

 今のは【記憶】だ。

 ……いや、それも違う。

 あれは【思い出】だ。

 

 他人が簡単に覗き見たりなど、してはいけない大切な、星野 早苗の思い出だった。



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