第五章・4
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「美味しい……」
日替わりセットの苺大福を口にして呟いた早苗に、灯は当然というように自分も苺大福を頬張った。
「鈴様が作ったんだもの。当たり前でしょ」
「朝日奈君がお菓子作りが上手いなんて、知らなかった」
「鈴様は料理も上手なんだから」
自慢げに言う灯。鈴のことで、早苗が知らないことを自分が知っているのが嬉しいらしい。
早苗は鈴の寝顔に視線を送った。
「何見てるのよ」
「うん。朝日奈君の寝顔見るの、久しぶりだと思って」
灯が眉を顰めて早苗の顔を伺う。
「朝日奈君ね、山本っていう先生の国語の授業が苦手で、いつも眠気と戦ってたのよ。私、朝日奈君の斜め後ろの席だったことがあったから、いつ先生に怒られるかと、いつもハラハラしてたわ」
「……ああ、そう」
灯が知らないであろう鈴のことを、お返しにとばかりに話す早苗に、灯は面白くなさそうに残りの大福を口に押し込んだ。
もったいない。
早苗は自分の大福をもう一口、口にした。滑らかな求肥の餅に包まれた、あっさりとした白餡の甘みに、甘酸っぱい苺のみずみずしい果汁が、口の中に広がる。
そのとき、鈴がもぞりと動いた。
「鈴様」
別人のように弾んだ声で灯が呼びかけると、鈴がうっすらと目を開けた。
「……灯か……どのくらい」
「四十分ほどです」
時計を確認して告げた灯に、鈴はだるそうに起き上がり、そこにまだ早苗がいることに驚いたようだった。そして決まりの悪そうな顔をする。
「ごめん星野、びっくりしただろ」
「ううん、私は別に。朝日奈君は? 平気なの?」
「うん。俺はただ眠ってただけだから……やっぱりダメか。大丈夫な気がしたんだけど」
鈴の独り言のような一言に、灯が反応する。
「なんでですか」
「え? ああ、なんか、十五年前に戻ったような気分だったから……」
まだ寝ぼけた様な、回らない口で鈴が言うと、灯が唐突に立ち上がった。その勢いに鈴が目を丸くして灯を見上げる。
「どうした」
「どうもしません。私、宿題があるんで失礼します。どうぞごゆっくり」
最後の一言を早苗に向かって投げるように言うと、灯は座敷部屋を出て、ぴしゃりと戸を閉めてしまった。訳の分からない様子で戸を見る鈴に、早苗はつい噴出しそうになる。
「可愛い子ね」
「うん」
短く簡単な、それでいてはっきりとした肯定の言葉だった。チクリと小さく胸が痛む。笑みの消える顔を勝手だと思う。
「羨ましいわ、朝日奈君。あんなに可愛くて若い子が彼女なんて」
からかうように鈴に言ってやると、鈴は優しく微笑んだ。
「灯はそういうんじゃないよ」
じゃあ何なの。なぜか心がざわめく。
「あんまり可愛いから、少し意地悪しちゃった」
「星野が? 見てみたかったな、それ」
楽しそうに言った鈴に、早苗は腕の時計を見ると立ち上がった。
「それじゃあ……私、そろそろ帰るね」
「ああ、またいつでも。今度はほら、赤井さんも一緒に」
「……ええ、彼も甘いものが結構好きだから。こんなに美味しいお店があるって知ったら喜ぶわ」
「お待ちしております。なんせうちは不景気なもので」
おどけてお辞儀をする鈴に笑って、早苗は座敷部屋を出た。
「お帰りですか」
大酉が出迎える。
「ええ。ご馳走様でした」
「またいらしてください」
ぺこりと頭を下げた大酉に、にこやかに頷くと早苗は店を出て行った。
「素敵な方ですね」
早苗たちが食べた皿を片付けながら言った大酉を、座敷部屋の戸口の柱にもたれながら鈴は見ていた。
「うん。今度結婚するらしい」
「おや。それは残念。私はてっきり、あの方は鈴さんに気があるのかと」
「……何言ってるんだ、大酉まで」
うんざりといった様子で言った鈴は、少し意地悪く笑った。
「そういう大酉はどうなんだ。誰かいないのか。もしそういう人が現れたら、いつでも好きにしていいよ。俺のことは気にしないで」
「そんな方はいませんよ。私にはこの店が全てです。お願いですから、私を追いださないでください」
「欲がないな、大酉は」
つまらなそうに肩をすくめた鈴に、大酉が茶を運んでくる。
「鈴さん。私は今、幸せすぎるくらいなんです」
寂しそうな微笑みで困ったように言う大酉に、鈴は呆れたように笑うと、茶を受け取った。
「本当に、大酉は欲がない」