第四章・3
―3―
「つまり、その同調者が鈴に好意を持っていたということなんですね」
「……そうなんです」
数分後、霧藤を間に挟んで、ようやく常磐は元々したかった昨夜の夢について話すことができた。鈴はまだ目を合わせてくれない。先ほど顔面で座布団を受け止めたときに捻った首が痛かった。
「しかし、それにしても、それは……また貴重な体験をしましたね」
笑いを堪えている霧藤。実に楽しそうだ。
「ところで夢の中での鈴は、どんな格好をしていましたか」
「え、ああ、いつものグレーのパーカーに、黒いズボンだったと思います。それが何か」
「……となると、店の客という可能性は少ないですね。鈴はここではほとんど、その格好ですから」
霧藤は着物姿の鈴を指差す。そういえばそうだ。
「ここじゃないとすると、病院での検査のときに、鈴を見かけたのかな」
探るように鈴を伺う言葉に、鈴は眉間に皺を寄せ霧藤をチラと見る。
「知らない。いつも病院に行った後は、すぐに帰っているだろ。誰かに見られていた覚えはない」
「鈴は色気がないね。もしかしたら、密かに思いを寄せてくれている相手がいるかも、くらい考えられないのかい。いいじゃないか。誰かが自分にそういう思いを持ってくれているなんて」
霧藤になら、そういう人間はたくさんいそうだけど、などと常磐は思った。
「だいたい、今回の同調は『自殺希望者』じゃなかったんですか」
鈴は常磐の方を見もせずに言った。
「はい。それとは別みたいです」
「やはり常磐さんの能力はいまいち定まりませんね。一度に別の人間の夢に同調してしまうとなると、今後が心配だ」
霧藤の言葉にどきりとする。
「ど、どう心配なんですか」
「相手に触れない常磐さんの同調は、例えば無線の傍受のように、誰かから発信される電波を受信するようなものだとします。常磐さんがその周波数を拾ったときに同調が起こるわけです。しかし、それが一定の周波数だけじゃなく、無限に受け入れてしまうものだとすると、常磐さんには次から次へと無数の人間の無意識の意識が流れ込む。まるで壊れたラジオのように」
前半の難しいことはよく分からないが、壊れたラジオが使い物にならなそうなことは分かる。
「今の世の中、人の眠りの時間はまちまちだ。誰かから発信される無意識の電波を、常磐さんが何の制限もなく受けてしまうのだとしたら、これはたぶん、そうとう苦痛なものになるのではないですかね」
ゴクリと常磐は唾を飲んだ。今ですらこんなに悩むのに、それは確かに苦しそうだ。
「二つの夢が同一人物の可能性は?」
唐突な霧藤の発想に常磐は、そして鈴も目を丸くして霧藤を見た。
「何を言ってるんだ愁成」
「可能性の話だよ。もし、常磐さんの受信する夢の周波数に、ズレがなかったとしたらの場合の話だ」
さすが精神科医というか、発想が柔軟だ。
「それは……思いつきませんでした。その、あんまりに違う感覚だったので……」
「別に、人間は一つの種類の夢を見るわけじゃない。なぜ夢を見るかについては、大きく分けても六つの仮説があるくらいですから」
「六つも?」
「ええ、【本能的衝動の拡散】【行動プログラムの作成・模擬演習】【記憶の再生・再処理】【記憶の忘却】【神経信号の活性化・合成】【記憶による自由連想】の六つです」
「はあ……」
霧藤には悪いがとても覚えられない。
「例えば、前の『自殺希望者』の夢を考えると、【行動プログラムの作成・模擬練習】のための仮説が一番しっくりきそうですね。今からしたいと思っている行動を、脳内でプログラムし、シミュレーションしているわけです」
「なるほど……」
シミュレーションというのは当たっているかもしれない。列車への投身、屋上からの飛び降り、まだどうしようか迷っている感じだった。シミュレーションの結果、常磐はどちらもお薦めしないのだが。
「でも、今回のその……恋の方は、何というか、まだとても幼い感覚で……」
そう、まだ恋そのものにすら戸惑っているかのような、甘酸っぱいとでもいうような感覚だった。
「そうですか。もし同一人物なら、鈴の周辺を探せば、両方見つけることができたかもしれないのですが」
「そうですね……こっちの、今回の夢だと、どの仮説に当てはまるんでしょう」
『恋』という言葉を何度も使うのが、なんだか恥ずかしくて、そんな風に訊く。
「こっちは【自由連想】ですかね。この仮説は視覚映像から連想され、夢のストーリーが作られるといったもので、夢が人の精神内下を反映することを説明するのに一番良い仮説です。その子が、鈴を見たことによる視覚映像の記憶から、連想され作られた夢じゃないでしょうか」
だいぶ分かりやすい。しかし、いつも鈴を見ている常磐にすら、あんな笑顔の鈴を連想するのは難しいのだが、それはやはり恋心のなせる業なのだろうか。
「まあ恋心の方は、そっとしておいてあげるほうが良さそうですね。いつか、その子が鈴に直接打ち明けに来てくれるかもしれませんし」
からかうような口調の霧藤に、鈴はまるで興味のない様子で、机に頬杖をついてそっぽを向いている。
もし、本当にその子が目の前に現れたら。そのときは鈴はどうするのだろう。それが少し気になった。
◆◆◆◆◆◆
結局、鈴のご機嫌は戻らなかったが、話を聞いてもらった常磐は多少スッキリして店を出た。店の扉を出たところで、鳴りだした携帯電話に慌てて背広のポケットを探る。
画面に表示された相手の名前に、常磐は少し驚いた。
「はい、もしもし常磐です」
『あ、常磐、私。西山だけど』
いつものサバサバした口調の西山の声が聞えた。
「どうしたんですか、西山さんが電話してくるなんて珍しい」
『ちょっと訊きたいことがあってね』
「なんですか」
『鈴君のことなんだけど、あの店に行けばいつでも会えるのよね』
「朝日奈さんですか、ええ、たいてい蜃気楼にいるはずです」
出たばかりの蜃気楼を振り返り答える。
『お店のお休みの日とかってあったっけ?』
「いえ、特にないみたいですが。あ、でも、朝日奈さんは眠り病で眠っちゃってるときもあるんで」
『ああ、そっか。そうだった!』
しまったというように言う西山。
「何か、朝日奈さんに用でも?」
『ううん、私じゃないのよ。早苗。ほら、昨日会った』
言われて、あの少しドジで、おっとりした感じの女性を思い出す。
「ああ、星野さんでしたっけ」
『そう、早苗がね、また鈴君と少し話がしたいんだって。電話があったから、蜃気楼のことを教えてあげたんだけど』
「へえ、そうなんですか。まあ、中学時代の友達なら、積もる話もありそうですしね」
言った常磐に、電話の向こうで笑う西山の息遣いがした。
『もう、本当に鈍いなぁ、常磐は』
「はあ」
『見てて分からなかった? 鈴君、彼。彼はたぶん早苗の初恋相手だね』
楽しそうに言った西山の言葉に、一瞬、時間が止まった気がした。
西山の口から出た『初恋』という淡く甘い単語が、常磐の胸に言いようのない不安の染みを落とし、それはやがて、じわりじわりと大きく広がっていった。
参考文献
ヒト睡眠の基礎:http://jssr.jp/kiso/hito/hito10.html
記憶とデジャヴ:http://hw001.gate01.com/a01/logs/memory/memory1.html