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第四章・2

―2―


 常磐が蜃気楼へと続く昼間でも薄暗く、急な階段を下りていると、下から一人の女子高生が上がって来るのが見えた。常磐の顔がつい渋る。向こうも常磐に気づいて足を止め、その端正な作りの顔を上げる。そして予想通りの冷たい視線で、常磐を見た。


「鈴様に会いに行くんじゃないでしょうね」


 女子高生、日暮 灯は凄味のある声で言った。これが鈴の前だと、まるで別人のように愛想良くなるのだから不思議だ。

 常磐がこの先にある用事なんて、蜃気楼に居る鈴に会うくらいしかないことは、灯も知っていて言っているのだからタチが悪い。


「蜃気楼の和菓子が俺は好きなんだよ。ちゃんとお金払って食べてるんだから、文句言わないで欲しいな」


 自分は客の少ない蜃気楼の、大事な客なんだということを強調してみる。


「五百円程度の日替わりセット一つくらいで、偉そうな顔しないでくれる」


 ご尤も。

 常磐は鋭い視線の灯から逸らしていた目を、灯へと向けて気づいた。


「あれ……ネクタイ。ああ、そうか、もう三年生なのか」


 灯の制服のネクタイは、常磐の記憶では青い色をしていたのだが、今しているネクタイは緑色。

 以前、灯の学校の制服のネクタイの色は、一年生はワインレッド、二年生がロイヤルブルー、三年生がビリジアンと教えられた。


「じろじろ見ないでよ変態」


 灯が常磐を睨む。ネクタイを見ただけなのに……。世間話もできやしない。


「どこに行くの」


 訊いてみて後悔した。また睨まれる。しかし、灯は常磐よりも上の段に上がったところで、常磐を見下ろし、しかし今度は普通に答えた。


「家。親のサイン貰わないといけないプリントがあるの」

「へえ」


 灯は今、蜃気楼の二階に住んでいるようで、家庭には何か複雑な事情があるらしかった。高校三年生ともなると、色々と大変だろうに。


「鈴様に何かあったら、承知しないから」


 最後に忠告するように常磐に言うと、灯は長い黒髪を翻し行ってしまった。

 




◆◆◆◆◆◆


 蜃気楼のドアをベルを響かせながら開けると、大酉が少し驚いたような顔で出迎えた。


「あれ、常磐君。二日続けてなんて、どうかしたの」


 すると、別の声がその後を続けた。


「また夢でもみたんでしょう。ねえ、常磐さん」

「霧藤さん」


 いつも常磐が座るカウンター席に、霧藤が座っていた。ノートパソコンのキーボードをカタカタと、手元も見ずに滑らかな手つきで打ち込んでいる。


「今日はお仕事は」

「ええ。病院へは今から。今日は他にも用事があったものですから」


 霧藤はキーボードを打つ手を止めると、ノートパソコンを閉じた。


「常磐さんは和菓子を食べに? 今日はよもぎ餅ですけど。このちょっと苦みのある蓬の風味が、またいい」


 それはうまそうだ。


「僕は昨日の桜餅を食べ損ねましたよ。まさか売り切れるとは思っていなかった」


 霧藤は小さく笑う。蜃気楼は客が少ないので、菓子も売れ残ることが多いのだろう。昨日の桜餅は、実は西山がえらく気に入り、土産にいくつか買って帰ったから、そのせいかもしれない。


 たしかに菓子も食べたいが、やはりそれよりも――。

 常磐は座敷部屋に顔を向けた。

 すると、戸が開いて少女が一人、座敷部屋から出て来た。


「有り難うございました」


 晴れやかな声で、座敷の中に向かって礼を言った少女は、高校生か中学生くらいだろう。

 大酉が代金を受け取るためのトレーを差し出すと、初めてではないのか、手慣れた様子で少女は可愛らしいピンク色の財布から、札と小銭を取り出しトレーに置いた。


「有難うございます」


 言った大酉に会釈して、少女はちらと常磐に一瞬視線をやると、店を出て行った。


 夢占をしてもらったのか。

 なんだか、とても満足そうに帰って行った少女を見て、いったい鈴とどんな話をしたのか、気になった。常磐の時は、まあ、第一印象が最悪だったせいもあり、夢の話をしているとき、鈴は始終不機嫌だ。

 普通の夢ではないのだから、仕方がないのかもしれないが。


 客が居なくなり、常磐は座敷部屋に向かった。


「朝日奈さん、こんにちは。常磐です」

「こんにちは。どうぞ、そのままお引取りください」


 相変わらず冷たい……。季節はすっかり春なのに。


「失礼します」


 めげずに戸を開く。

 御簾が少し上げられていて、奥の障子を開いて柱にもたれながら、裏庭を眺めている鈴の姿が見えた。太陽の光が鈴をシルエットとして映し出す。

 鈴がこちらを振り向いた。その顔は逆光でよく見えず、常磐の脳裏に一瞬、あの夢の中での笑顔の鈴が思い出された。

 障子が閉められて、見えた本当の鈴の顔は、常磐のことをまるで歓迎している様子はなかったけれど。

 常磐が座敷に上がると、大酉が茶を運んできて、常磐はペコと頭を下げる。


「それで、今日は何の用ですか」


 まるでやる気のない調子で言って、鈴は茶を口元へと運ぶ。

 太陽の光を浴びれば、溶けてしまいそうな青白い肌、緩い着物の袖から覗く手足や首は細く、折れそうなほど華奢。瞳と髪が肌とは対照的に黒く艶っぽい。眠っているときは人形のようにすら見える。

 同じ男の常磐から見ると、よくは分からないが、鈴のこういうどこか儚げなところに、女の子は惹かれるのかもしれない。

 それに、口を開けばその言葉は知的で、大人びた落ち着きがある。そこは常磐もいつも感心させられるところだ。


「朝日奈さん」

「はい」

「最近、灯ちゃん以外で女の子と付き合ったりしてませんか」


 鈴が飲んでいた茶にむせて、咳き込んだ。


「大丈夫ですか」


 訊いた常磐を、鈴は口元を拭いながら睨む。


「何の話ですか。……してるわけがないでしょう」

「いや、でも、夢占に若い女の子が結構来るわけでしょう? 可愛い子とかもいるんじゃないんですか」

「……あなたは俺を何だと思ってるんですか。第一、商売上、俺は店では顔は見せない。表にも滅多に出ることはない」

「でも、この部屋ではお客さんと二人きりになることもあるんですよね」


 常磐の言葉に鈴は驚いたような顔をすると、ふいとその顔を常磐から大きく背けた。


「うちの店を、その辺のいかがわしい店と一緒にしないでいただきたい。馬鹿ですか、あなたは」

「す、すみません」


 別にそういうつもりではなかったのだが、確かに失礼な話だ。


「じゃあ、片思いなのか……」


 昨夜の夢を思い出しながら呟いた常磐を、鈴は背けた顔を戻して、少し心配そうに見る。


「いったい何があったんですか」


 優しい黒い瞳にじっと見つめられ、同調していたときの淡い恋心の感覚に常磐の頬が赤らむ。

 鈴がギョッとしたように顔を歪めた。


「大酉!」


 鈴が大酉を呼んだ。その声に大酉が慌てたように戸を開く。


「は、はい。どうしました、鈴さん」

「この変態刑事を追い出してくれ」

「はい?」


 険しい口調で言った鈴に、首を傾げる大酉。


「ち、違いますっ! これは、その、不可抗力で!」

「うるさい。さっきから変な話ばかりして、出て行け変態」

「違う、違うんですって! やめてください、朝日奈さん。お願いです、話を聞いてください」


 赤くなった顔を隠しながら、必死で弁解しようとする常磐と、その常磐に座布団を投げる鈴を、大酉はポカンとして見ていた。



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