第四章・1
第四章
―1―
次の日。常磐は署の自分のデスクで頭を抱えていた。
昨夜、また他人の夢に同調したのが原因なのだが、今回は悩みの種類が違うのだ。思い出すだけで顔が熱くなる。
視線を送る先にある少年の後ろ姿。
その背を見つめ高鳴る鼓動は、期待と不安が入り交じり、声を掛けたくても掛けられない。
手を伸ばせばすぐ届きそうなその背中。
なのに触れたら壊れそうな気がして、一度出しかけた手を引っ込める。
こっちを向いてほしい。
気づいてほしい。
お願い気づいて、私、あなたが――。
すると少年が振り向いた。
キョトンとした顔で二、三度漆黒の瞳を瞬くと、少年は満面の無邪気な笑顔を見せた。
短い短い夢だった。
息が詰まるような、胸が締め付けられるような、淡く幼い『恋心』だった。最近の常磐には、とんと無縁だった感覚だ。
相談しようにもできない。特に鈴にはなんと言えばいいのだろう。
夢の中の少年は、間違いなく鈴だったのだ。常磐は鈴の笑顔と言えば、自分を小馬鹿にしたような皮肉めいた物か、嘘で作った子供の笑顔くらいしか知らない。ああいった顔で笑うところは見たことがない。
まあ、こんな夢でも霧藤なら面白がって聞くかもしれないけれど。
溜息をついた常磐は、突然頭に受けた衝撃でデスクに突っ伏した。
「おい。てめえ、昨日はどこに行ってやがった」
刑事というよりヤクザな口調と顔で言ったのは、東田 昇。常磐の先輩刑事だが、どうにも刑事という言葉がこの男には似合わない。正義感というよりは、犯人へのむかつきが東田の原動力らしかった。
「あまりに東田さんが俺の頭を殴るので、病院で検査をしてもらいに」
嫌味を込めて、検査を受けたことは事実なので言う。
「どうせ、お前の頭なんて欠陥だらけだろうが」
あんたもな、と言いたかったが止めておく。
西山の謹慎処分が決まったとき、常磐は自分が処分されるべきだと思っていたが、西山の謹慎は常磐にとっても大いに罰になることが分かった。いや、むしろこの方が辛いかもしれない。このオッサンを戒めてくれる人がいない。
「何の資料だ」
東田が常磐の手元にあったファイルをひったくる。
「やめて下さいよ。東田さんには関係ないんですから」
「朝日奈 鈴の事件じゃねえか」
「……そうですよ」
「やめろやめろ。私情を挟んだ捜査なんて、うまくいきやしねえよ」
ファイルを机に上に捨てるように戻す。
「俺はそうは思いませんけど」
「事件の全部が全部、加害者は悪い奴、被害者は可哀想とは限らないんだ。お前みたいな単純で、正義は綺麗なんて頭だと、目の前に見えてるものまで、見えなくなっちまうんだよ」
そんなことは分かっているつもりだ。でも。
「事務的にこなせる仕事じゃないですよ。犯人がなんでこんなことをしたのか、この人はなんでこんな目にあったのか。考えずにはいられません」
「そんなのは、裁判で検察やら弁護士やらが考えりゃいいんだよ。俺たちは現場と証拠から出て来た答えを報告すりゃあ、それでいいんだ」
東田にしては珍しくまともな考えの方だが、常磐にはとてもそんな風に割り切れそうになかった。
「そういえば、西山さんもうすぐ戻ってきますね」
西山と会って、茶を飲んだことは伏せておく。きっとまた、うるさく謂れのない罵声を浴びることになるだろうから。
「自宅謹慎なんて、贅沢な処分受けやがって。俺だってそんな処分受けた事ねえぞ」
それは、あんたにとって、それが処分にならないからだ。
東田に罰を与えるなら、減給処分が一番だろう。
西山はどうなのだろう。
どんな事件でも的確に対処していく西山は、やっぱり東田と同じ意見なのだろうか。
事実と証拠だけじゃない、事件の背景について考える。それは時に判断を鈍らせるかもしれない。それでも、それなしに事件を解決するなどということは、常磐にはできそうになかった。