第9話 接触
高山からのメールは、短かった。
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来週の水曜。
午後二時。
〇〇駅の北口を出て、商店街を抜けた突き当たりの公園。
ベンチが三つある。
一番右に座って待て。
スマートフォンは持ってくるな。
一人で来い。
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めぐみは画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
(スマートフォンを持ってくるな)
そこだけが、異様に浮いて見えた。
意味はすぐにわかった。GPS。通信履歴。位置情報。自分がどこにいて、どこを通って、誰と接触したか。すべてが記録される。便利さの裏側にある、逃げ場のなさ。
それを切って来い、ということだ。
桐島+++++++++++++++++++++++の顔が浮かんだ。
相談すべきかもしれない、と思った。むしろ、するべきだとも思った。ここまで来て、一人で判断するには、重すぎる話だ。
けれど、メールには書いてある。
一人で来い。
めぐみは、スマートフォンの画面を消した。
しばらくしてから、もう一度点けて、地図アプリを開く。駅から公園までの道を確認して、紙に書き写した。線が少し歪む。何度も書き直した。
最後に、ペンを置いた。
これでいい。
そう思った時、妙に静かな気持ちになっていた。
水曜日。
めぐみはスマートフォンをアパートに置いて出た。
鍵を閉めたあと、いつもの癖でポケットに手を入れる。何も入っていないことに、一瞬だけ不安が走る。
戻ろうか、と思った。
思って、やめた。
階段を降りる。外に出る。空気が、少しだけ違って感じられた。
駅までの道を歩く。
人の声が、そのまま耳に入ってくる。笑い声、電話の会話、誰かが誰かを呼ぶ声。靴底がアスファルトを叩く音。遠くで鳴るクラクション。風に揺れる看板の軋み。
いつもなら、半分も聞いていない音だった。
電車に乗る。
行き先は紙に書いてある。乗り換えも、全部。
確認する術がないというだけで、こんなにも意識が鋭くなるのかと思う。駅名を見逃さないように、何度も目で追う。車内アナウンスを、きちんと聞く。
少しだけ、怖かった。
でも同時に、妙な感覚もあった。
自分が、ここにいる、という感覚。
〇〇駅で降りる。
北口を出る。人の流れに紛れて歩く。商店街に入る。昼間の光の中で、店先の色がやけに鮮やかに見える。八百屋の果物。肉屋の赤い提灯。総菜屋の揚げ物の匂い。
突き当たり。
小さな公園があった。
ベンチが三つ。
右端に座る。
周囲を見回す。特に変わった様子はない。子供が一人、砂場で遊んでいる。遠くで犬を散歩させている老人。ブランコが、風に揺れて軋む。
五分。
十分。
誰も来ない。
時間だけが、妙に重く流れる。
十五分が過ぎた頃だった。
気づいた時には、隣のベンチに男が座っていた。
いつの間に来たのか、わからなかった。
五十代……。くたびれたジャケット。帽子を目深にかぶっている。手には缶コーヒー。
男は、めぐみを見ない。
前を向いたまま、低い声で言った。
「後ろ、確認したか?」
めぐみの心臓が、一瞬跳ねた。
「……してないです」
「尾行はなさそうだ。一応、俺が先に来て見てた」
その言い方で、わかった。
「高山さん、ですか」
男は答えなかった。ただ、缶コーヒーを一口飲んだ。
沈黙が落ちる。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「メール、読んだ」
高山が言った。
「来るかどうか、迷った」
「……はい」
「来ない方が、普通だ」
少し間があった。
「でも来た」
めぐみは、何も言えなかった。
「メモを書いたのが自分だとわかって、来ないわけにはいかなかった」
その言葉は、淡々としていた。
感情がないわけではない。ただ、削ぎ落とされている。
「一つ、聞く」
高山が言う。
「グラビアアイドルになって、どうしたい」
めぐみは、息を吸った。
「……表現の自由を、取り戻したいです」
高山は、小さく首を振った。
「それは目的じゃない」
めぐみは言葉を失う。
「手段だ」
視線は向けられないまま、言葉だけが刺さる。
「あなたが本当にやりたいことを聞いてる」
答えが、出てこない。
頭の中で、いくつかの言葉が浮かんでは消える。どれも、どこか借り物のように感じる。
高山が続ける。
「俺がメモを書いたのは、誰かに届いてほしかったからじゃない」
缶コーヒーのプルタブを、指でなぞる。
「書かずにいられなかったからだ」
静かな声だった。
「あなたも同じか?」
めぐみは、喉が乾くのを感じた。
「やらずにいられないから、やりたいのか?」
問いは、逃げ場を与えない。
正しい答えを求めているわけではないのが、わかる。
嘘は、通らない。
「……わかりません」
やっと、声が出た。
「あの時、水着の女性の写真を見た時、なにか身体に電気が走ったような感じがしました。同時に私は悪いことをしたという意識が湧きました。でも、なぜこれが悪なのだろうとも、頭の中で様々な感情が交差しました。あなたの書いたメッセージの最後に"正しいかどうかは、あなたが決めてほしい"。これを読んだとき、自分へ向けてのメッセージのように感じました」
めぐみは一息置いて言葉を繋ぐ。
「……だから」
言葉を探す。
「やらないまま終わるのは、嫌です。ごめんなさい。わたし、支離滅裂なこと言ってますよね」
それは、飾っていない彼女の等身大の言葉だった。
高山は、何も言わない。
しばらく、沈黙が続く。
そのあとで、ぽつりと聞いた。
「リスクは、理解してるか」
「……はい」
「摘発されたら、退学になる。就職もできない。家族にも迷惑がかかる。最悪、拘留される」
一つ一つ、事実として並べられる。
「それでもやるか」
「やります」
即答だった。
「なぜ」
めぐみは、また詰まった。
理由を、言葉にできない。
「……わかりません」
正直に言うしかなかった。
「でも」
息を吸う。
「やらないまま終わりたくない」
高山は、少しだけ黙った。
それから、短く言った。
「それで十分だ」
その一言で、何かが落ち着いた。
評価されたわけではない。ただ、通過した、という感覚。
「写真を撮る人間が必要になる」
高山が言う。
「俺に、一人心当たりがいる」
めぐみの視線が、わずかに動く。
「繋いでもらえますか」
「繋ぐかどうかは、まだわからない」
即答だった。
「そいつは気難しい男だ。昔、同じ業界にいた」
「今は?」
「地下で細々とやってる」
淡々とした説明。
「俺が頼んでも、本人が気に入らなければ断る」
少しだけ間を置いて、
「あなたを見て、判断する」
めぐみは、頷いた。
「会わせてもらえますか」
「まず俺が話をする。そのあと、返事をする」
それで話は終わりだった。
高山が立ち上がる。
ポケットから、もう一本缶コーヒーを取り出して、無造作にめぐみの隣に置いた。
「帰りは別々に出ろ」
帽子を直す。
「俺が先に出る。五分待ってから出て、来た道と違う道で帰れ」
「……わかりました」
高山は、それ以上何も言わずに歩き出した。
振り返らない。
その背中を、めぐみは見ていた。
(この人は)
思う。
(ずっと、こうやって生きてきたのか)
怯えながら。
疑いながら。
それでも、書くことをやめずに。
缶コーヒーを手に取る。
まだ温かい。
五分後、めぐみは立ち上がった。
公園を出る。
来た道とは違う道を選ぶ。
歩く。
スマートフォンのない街を、もう一度。
行きとは違って見えた。
怖さは、同じだけある。
でも、その中に、何かがある。
小さな芯のようなもの。
まだそれが具体的に何かは分からない。
でも確かに、そこにあるとわかる。
めぐみは、その感覚を確かめるように、歩き続けた。




