第6話 返信
メッセージが届いたのは、深夜だった。
めぐみは布団の中でスマートフォンを握ったまま眠れずにいた。
送ったのは三日前だ。
あのブログを見つけたのは偶然ではなかった。桐島に教えてもらったアングラのネットワークを、恐る恐る辿っていくうちに、たどり着いた。記事は短かった。写真は加工されていた。それでも、文章の奥に確かな体温があった。
書いている人間の信念が伝わってきた。
そう感じた。
だから送った。送ってから後悔した。消せない。既読もわからない。ただ、あの短い文章だけが、どこかのサーバーを経由して、見知らぬ誰かのもとへ飛んでいった。
三日間、返信はなかった。
やっぱり罠と思われたか、と諦めかけていた、その夜。
画面に、一行が浮かんだ。
``````````````````````````````````````````````````````````````````
一つだけ聞かせてください。
なぜ、グラビアアイドルになりたいのですか。
``````````````````````````````````````````````````````````````````
短い。
それだけだった。
めぐみは上半身を起こし、暗い部屋でその一文を読んだ。読んで、また読んだ。
(……なぜ)
なぜ、か。
答えはある。あるはずだ。あの古書店で雑誌を見た瞬間から、何かが変わった。あの笑顔を見た瞬間から。写真から溢れんばかりの生のエネルギーが私に強い衝撃を与えた。
それと、最後のページのメモを読んだこと。
なのに、言葉にしようとすると、すり抜けていく。
めぐみは返信画面を開いた。文字を打った。消した。また打った。また消した。
*表現の自由を取り戻したいから。*
違う。嘘ではないが、それだけじゃない。
*あの写真に感動したから。*
薄い。本当のことだが、薄すぎる。
*誰かに見てほしいから。*
——それが一番近かった。
めぐみはスマートフォンを持ったまま布団から出て、窓際に座った。カーテンの隙間から街灯の光が細く差し込んでいる。
あのメモの文字を、もう一度頭の中でなぞった。
*これは誰かを支配するためではなく、ただ「生きている」と伝えるために残されたものだ。正しいかどうかは、あなたが決めてほしい。*
あの雑誌の女性が伝えたかったのは、それだ。生きているということ。ここにいるということ。それを誰かに見てほしかっただけだ。
それは——自分も同じじゃないか。
めぐみは、もう一度、返信画面を開いた。
今度は消さなかった。
`````````````````````````````````````````````````````````````
うまく言えないかもしれませんが、書きます。
一週間ほど前、ある古書店で古い雑誌を見ました。
水着の女性が、こちらを見て笑っていた。
今の時代には存在しない写真です。
最初は怖かった。見ているだけで罪になると知っているから。
でも、目が離せなかった。
その人は、何かを主張していたわけじゃないと思う。
搾取されていたわけでも、誰かに強制されていたわけでもなく、
ただ——そこにいた。
「私はここにいる」ということを、ただ見てほしかっただけだと思う。
その雑誌の最後のページに、手書きのメモがありました。
「これは誰かを支配するためではなく、
ただ『生きている』と伝えるために残されたものだ。
正しいかどうかは、あなたが決めてほしい」
私はそれを読んだとき、自分の答えは出せませんでした。
グラビアは悪――そう思わされている自分がいました。
でも、なぜ悪なのかは、わからない。
でも、あの写真の人も、メモを書いた人も、
誰かに届いてほしくて残したんだと思った。
私がグラビアアイドルになりたいのは、
たぶん——同じことがしたいから。
生きているということを、誰かに見てほしい。
規制されても、消されても、
それだけは消えない気がして。
こんな理由では、ダメですか。
`````````````````````````````````````````````````````````````
送信ボタンを押した後、めぐみはスマートフォンを伏せて布団に倒れ込んだ。
恥ずかしかった。長すぎた。
でも、嘘はなかった。
それだけは確かだった。
◆
高山が返信を読んだのは、翌朝の六時だった。
日雇いのバイトに出る前、習慣で端末を確認した。
画面に文章が展開した瞬間、高山は上着を持ったまま、その場に立ち止まった。
読んだ。
最初の数行は、冷静に読めた。
古い雑誌を見た。水着の女性が笑っていた。怖かったけれど目が離せなかった——ここまでは、まだ落ち着いていた。こういう反応をする人間は、アングラの界隈に確かに存在する。珍しくはない。
だが。
次の行を読んだ瞬間、高山の息が止まった。
*「その雑誌の最後のページに、手書きのメモがありました」*
上着が、床に落ちた。
気づかなかった。
*「これは誰かを支配するためではなく、ただ『生きている』と伝えるために残されたものだ。正しいかどうかは、あなたが決めてほしい」*
高山はゆっくりと、椅子に座り込んだ。
あのメモを書いたのは、高山自身だった。
廃刊が決まった日の深夜。編集部に一人残って、最後に刷り上がった見本誌を手に取った。誰も見ていない部屋で、蛍光灯が一本切れかけてちらちらと明滅する中で、何かを残さなければという気持ちだけがあった。言葉にならない衝動だった。引き出しからボールペンを取り出して、最後のページの余白に書いた。
まさか本当に誰かに届くとは思っていなかった。
廃刊になった雑誌だ。回収されるか、廃棄されるか、どこかで朽ちるか。それでも書かずにはいられなかった。
あれから何年経つ?
高山は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
窓の外で、灰色の朝が白み始めていた。
*私がグラビアアイドルになりたいのは、たぶん——同じことがしたいから。生きているということを、誰かに見てほしい。*
高山は目を閉じた。
かつて自分が世に出した女性たちの顔が、暗闇の中に浮かんだ。笑っていた。全員、笑っていた。強制されていたわけじゃない。何年も編集部にいて、撮影現場に立ち会い続けて、その確信だけは一度も揺らいだことがない。
彼女たちは、見てほしかった。それだけだった。
その「それだけ」が、今の世界では罪になる。
高山は目を開け、端末の前に座り直した。
上着を拾い上げることも、バイトのことも、頭から消えていた。
キーボードに手を置く。今度は迷わなかった。
`````````````````````````````````````````````````````````````
ダメじゃない。
一つだけ言っておく。
あなたが読んだメモは、俺が書いた。
廃刊が決まった夜、編集部に一人残って書いた。
誰かに届くとは思っていなかった。
届いてほしいとも、正直、信じきれていなかった。
それでも書いた。書かずにはいられなかった。
あなたが今、送ってくれた文章の中に、
俺がその夜、言葉にできなかったものが全部あった。
会えるか。
直接話がしたい。
場所と方法は、こちらで用意する。
返事をくれ。
``````````````````````````````````````````````````````````````
送信ボタンを押してから、高山は煙草を一本取り出した。
今日だけは、咥えた。
火はつけなかった。ただ唇に挟んだまま、送信済みの画面を見ていた。
あのメモを書いてから、ずっと自問し続けてきた。届いたのか。無駄だったのか。誰かが読んだのか。
答えが、今夜、来た。
それも、規制後に生まれた世代から。
高山は煙草を灰皿に置き、段ボール箱の一つに手をかけた。何年も開けていなかった箱だ。ガムテープを剥がす。中から、古い撮影カットのプリントが現れた。
笑顔。
笑顔。
笑顔。
随分年月は経過したが、今でも皆それぞれに個性を放っている。
そして、消えていなかった。
いくら規制されていても、知らないところで我々の魂を受け継ぐ人間が現れてきた。
高山はその束を抱えたまま、灰色が少しずつ明るくなっていく窓の外を、しばらく眺めていた。




