第13話 Connecting the dots
高山と別れた後、品川達也は三日間、一人だった。
誰かに連絡することも、どこかへ出かけることも、しなかった。
アパートの六畳に、ただいた。
最初の夜、品川は部屋の隅のカメラバッグを引っ張り出した。
堤防から帰ってすぐだった。コートも脱がないまま、バッグの前にしゃがんだ。バックルに手をかけた。外した。
中を見た。
カメラボディが一台。レンズが三本。クリーニングクロスが一枚。乾燥剤の袋がいくつか、劣化して縮んでいた。
何も取り出さなかった。
ただ、見た。
それだけで、その夜は終わった。
二日目、品川は撮影場所のことを考え始めた。
会うかどうか、まだ決めていなかった。決める前に、もし会うとしたらどこで撮るかを考えていた。頭が勝手にそちらへ動いた。それが答えに近いものだということに、品川自身は気づいていなかった。
スタジオ。
最初に浮かんだのはそれだった。
背景紙、照明、レフ板——セットが揃った場所。かつてはそこが品川の戦場だった。白い背景紙の前に人が立つ。照明が顔に当たる。その瞬間を切り取る。そういう仕事を、何年もやってきた。
だが、すぐに打ち消した。
今の規制された時代に、グラビアアイドルになりたいと言い出した女の子がいる。誰にも教わらず、一枚の古い写真を見ただけで、やらずにいられないと言った子が。
そういう子を、セットの整ったスタジオに立たせるのは——違う。
何かを損なう気がした。
言葉にできない違和感だったが、確かにあった。
では、どこか。
品川は部屋の中を見回した。
窓の外、隣のビルの壁が見える。空は四角く切り取られている。
屋外か。
廃ビルの屋上を思い浮かべた。背景に街が広がって、風が吹く。悪くない。でも、何かが足りない。
自然の中はどうか。森、川、野原。開放感がある。でも、この物語には合わない気がした。今の世界で、地下に潜りながら表現を求めている子を、青空の下で撮るのは——どこか嘘になる。
ビーチ。
考えた。水着なら、ビーチが一番自然だ。光も風も、申し分ない。
でも、今の時代にビーチで水着の撮影は、あまりにも無防備すぎる。一般人の目がある。監視カメラもある。
学校、公園——。
どれも試してみたが、どれもしっくりこなかった。
品川は煎茶を一口飲んで、また考えた。
三日目の朝。
品川は目が覚めて、天井を見た。
もう答えを出す頃だとわかっていた。高山はせかさない男だが、それでも待たせすぎてはいけない。あの男にも、あの女の子にも。
ぼんやりと、頭の中をいくつかの断片が漂っていた。
地下ネットに流れていた噂。地下で活動するポールダンサーの話。ステージに立ち続ける女の話。
アミ、という名前だったか。
正確には知らない。高山のブログで断片的に読んだだけだ。規制後に生まれて、踊ることをやめなかった女。地下クラブの薄暗いステージで、観客が十人足らずでも、踊り続けている女。
地下。
ステージ。
品川は天井から目を離して、起き上がった。
地下のステージで、踊り続けている女がいる。
グラビアアイドルになりたいと言い出した女がいる。
どちらも、規制後に生まれた世代だ。
どちらも、誰にも教わらずに、やらずにいられないものを持ってしまった。
その二人が、同じ場所に立ったら——。
品川の頭の中で、何かが繋がった。
音もなく、静かに。
かつて聴いたスピーチの一節が、不意に蘇った。
You can't connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards.
スティーブ・ジョブズの言葉だった。規制前、まだネットが自由だった頃に何度も聴いた。点と点は、後から繋がる。前を向いているときには、繋がりは見えない。
でも今、品川には見えた気がした。
廃刊の夜に書いた高山のメモ。それを見つけためぐみ。地下で踊り続けるアミ。そして品川自身が部屋の隅に置き続けたカメラ。
それぞれが別々の点だったものが——今、一本の線になろうとしている。
品川は立ち上がって、テーブルの上のカメラを手に取った。
ファインダーを覗いた。
窓の外の、四角く切り取られた空が見えた。
今は何も映っていない。
でも、映すべきものが、今夜のうちに動き出すかもしれない。
品川はカメラをテーブルに置いて、端末を開いた。
高山への連絡先は、堤防で別れた後に受け取っていた。メッセージを一度交わしたきりで、それ以来使っていなかった。
文字を打った。
品川だ。
一つ聞きたい。
地下でポールダンスをしている
アミという女を知っているか。
送信した。
返信は、二時間後に来た。
知っている。
なぜだ。
品川は少し考えてから、打った。
めぐみと会う前に、
お前に確認したいことがある。
明日、会えるか。
場所はそちらで決めてくれ。
翌日、高山が指定したのは、駅前の古い喫茶店だった。
品川が先に着いて、奥の席に座って待った。入り口から一番遠い席。習慣だった。
高山が入ってきた。品川を見つけて、迷わず歩いてきた。
「来たか」
向かいに座った。コーヒーを一つ頼んで、品川を見た。
「アミのことをどこで知った」
「ブログだ。お前のブログに、断片的に出てきた」
「本名も、ステージの場所も書いていない」
「知っている。だから聞きに来た」
高山はしばらく品川を見た。
何を考えているのか、品川にはわかった。信用できるかどうか、確かめている。それで構わなかった。この世界では、慎重さが命だ。
「なぜアミのことを知りたい」
「めぐみと会う場所として、アミのステージを使わせてもらえないか考えている」
高山の表情が、わずかに変わった。
「ステージで会う、ということか」
「そうだ。セットの整ったスタジオは違うと思った。屋外も違う。あの子が最初に立つべき場所は——地下で、誰かが今も表現を続けている場所だと思った」
高山はコーヒーを一口飲んだ。
しばらく黙った。
「アミとめぐみは、まだ面識がない」
「知っている」
「突然、見知らぬカメラマンと見知らぬ女の子がステージに来ることになる」
「段取りはお前に頼む。俺が直接動くより、お前が繋ぐ方が自然だろう」
高山は少し考えた。
「お前は、めぐみだけを撮るつもりか」
品川は答えなかった。すぐには。
コーヒーカップを両手で包んで、テーブルを見た。
「あの子のことは、まだ何も知らない。会ってみなければわからない」
「そうだな」
「ただ——」
品川はゆっくりと言葉を選んだ。
「規制後に生まれて、踊ることをやめなかった女と。規制後に生まれて、見せることを求め始めた女が、同じ場所に立つとしたら——それは俺が撮らなければならないと思う」
高山は何も言わなかった。
品川は続けた。
「二人とも、誰にも教わっていない。それでも、やらずにいられなかった。そういう人間を——俺はずっと撮りたかった」
喫茶店の中で、誰かが笑った。遠い席の、別の客だった。その笑い声が少し続いて、また静かになった。
「一つだけ確認させてくれ」
高山が言った。
「なんだ」
「めぐみに会って、もし納得できなかったら」
「やめる」
品川は迷わず言った。
「あの子がどんな目をしているか、俺が自分で確かめる。本物かどうかは、お前じゃなく俺が判断する。もし違うと思えば、その場で断る。それでもいいなら、段取りを頼む」
高山は頷いた。
「わかった」
それから少し間を置いて、付け加えた。
「お前が来てくれて、よかった」
品川は何も言わなかった。
よかった、という言葉の意味を、この男はよく知っているはずだ。カメラバッグを何年も部屋の隅に置き続けた人間が、ここまで来た。その重さを、高山はわかっている。
だから、それ以上は言わなかった。
お互いに。
喫茶店を出て、品川は一人で歩いた。
街に、人がいる。
皆、どこかへ向かっている。
品川はポケットに手を入れた。
指先に、カメラのストラップの感触があった。
今日は持ってきていた。バッグからではなく、首からかけるストラップだけを、ジャケットのポケットに入れてきた。理由はわからない。持ちたかっただけだ。
近いうちに、めぐみと会う。
アミのステージで。
薄暗い地下で。誰かが今も表現を続けている場所で。
その子が本物かどうかを、品川は自分の目で確かめる。
本物であれば——シャッターを切る。
ただそれだけだ。
それだけのことが、三日前には霧の中にあった。
今は、見えている。
点と点が、繋がった。
それだけで——品川には、十分だった。




