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第10話 水面下で静かに手繰る点と点

 公園から帰った夜、高山は煙草を一本取り出した。

 咥えた。

 火はつけなかった。

 机の前に座って、禁煙してから触れていなかった煙草を唇に挟んだまま、天井を見た。

 相澤めぐみ。

 二十二歳。規制後に生まれた世代。グラビアを見たことがなかった。それなのに——あのメモを読んで、ここまで動いた。

 公園でその話を聞いたとき、高山は顔に出さなかった。出してはいけないと思った。この娘の前では、感情を見せるべきではない。だが、アパートに戻ってから、一人で、ようやく実感した。

 届いた。

 あのメモが。

 廃刊の夜、蛍光灯が一本切れかけた編集部で、誰も見ていない部屋で、それでも書かずにいられなかったもの。誰かに届くとは思っていなかった。届いてほしいと信じきれてもいなかった。

 それが、二十年以上の時間を越えて、規制後に生まれた女の子に届いた。

(俺もリスクを犯さないといけない)

 煙草を灰皿に置いた。

 品川のことを、考えた。

 

 品川達也。

 かつて同じ業界にいた男だ。

 高山が編集長を務めていた頃、週刊『Fresh・Bomb』の専属カメラマンだった。年齢は高山より三つ下。口数が少なくて、現場では無駄なことを一切言わなかった。機材の扱いが丁寧で、撮影前の準備に人の三倍の時間をかけた。

 だが、シャッターを切り始めると、何かが変わった。

 品川が撮る写真には、見た目の話だけじゃないものがあった。

 笑顔の奥にある、その人間の芯のようなもの。緊張の中に滲み出てくる、その人だけのエネルギー。それを引き出すことに、品川は異常なほど長けていた。

 あの男に撮られた女性は、皆、羽ばたいていった。

 写真に撮られてから何かが変わる。そういう女性を、高山は何人も見てきた。品川のレンズが、その人間の中に眠っていた何かを引き出してしまうのだ。

 だから——相澤めぐみを撮れるのは、品川しかいないと思った。

 直感ではなく、確信だった。

 

 問題は、連絡先だった。

 規制が本格化した後、品川は姿を消した。スタジオを没収され、機材を処分され、表の世界から消えた。風の噂では地下に潜って細々と活動しているというが、それ以上のことは何も知らない。

 連絡先がわからない。

 今の世界では、それは単純な「連絡先がわからない」ではない。迂闊に辿ろうとすれば、辿った経路そのものが記録される。誰かに聞けば、その「聞いた」という事実が残る。

 高山は端末を開いた。

 アングラのネットワークには、いくつかのルートがある。全部、一本道ではなく、複数の中継を経由する。誰が誰を知っているかを直接繋げず、「Aを知っているか」ではなく「こういう人間を探している」という形で流す。それが、この世界での探し方だった。

 高山はしばらく考えてから、一通のメッセージを作成した。

 宛先は、かつて別の雑誌の編集部にいた男——今は地下ネットで映像を細々と流しているという噂だけは聞いている、吉沢という男だ。直接会ったことは数回しかない。だが、業界の横の繋がりで、品川の名前を知っているかもしれない。

古い知人を探している。

カメラマンだった人間。

イニシャルはS・T。

心当たりがあれば、繋いでほしい。

急ぎではないが、できれば今月中に。

 名前は書かない。それがルールだった。

 送信した。

 

 返事が来たのは、三日後だった。

Sの知人に当たってみる。

少し時間をくれ。

 それだけだった。

 高山はその短い文章を読んで、煙草を一本取り出した。今度も火はつけなかった。ただ指の間で転がした。

 待つしかない。

 それも、この世界の動き方だった。

 急げば足がつく。焦れば判断を誤る。時間をかけることが、そのまま安全に繋がる。頭ではわかっている。

 それでも、めぐみの顔が浮かんだ。

 公園のベンチで、缶コーヒーを両手で持って、真っ直ぐこちらを見ていた。怖いと言いながら、目が怖がっていなかった。

やらないまま終わりたくない。

 そう言ったときの声が、まだ耳に残っている。

 あの娘には、待っている時間の意味がわからない。待つことが戦略だということも。でもそれを教える必要はない。ただ、動くべきときに動けばいい。

 高山は端末を閉じた。

 

 さらに五日後、吉沢から二度目のメッセージが来た。

一人、繋がりそうな人間がいた。

ただし、その人間もSと直接ではなく、

もう一枚挟む。

時間がかかる。

それでもいいか。

 高山は即座に返した。

構わない。

頼む。

 もう一枚挟む、ということは、少なくとも三人を経由するということだ。時間がかかる。一週間か、二週間か、あるいはもっとか。

 だが、それでいい。

 品川に繋がる糸が、どこかで動き始めている。それだけで十分だった。

 

 その夜、高山は久しぶりに段ボール箱を開けた。

 写真のプリントが出てきた。

 廃刊になる前、最後の数号分の撮影カットだ。没になったもの、掲載されたもの、全部まとめて持ち出してきた。それ以来、一度も開けていなかった。

 一枚、手に取った。

 品川が撮ったものだった。

 真顔でカメラを見つめて立っている。ほんの少し下を向き上目遣いで。

 彼女の目から、顔から身体から溢れてくるエネルギーは時を経っても消えていない。それ程、この写真には奥に何かを感じずにはいられなかった。このグラビアアイドルもあの規制後既に表舞台から消えた。たが、このとき品川が撮った写真。彼が閉じ込めた時間は永遠なのだ。

——そういうものが、一枚の紙の中に閉じ込められていた。

(これだ)

 相澤めぐみに必要なのは、これだ。

 高山は写真を丁寧に戻して、段ボールを閉じた。

 返事を、待つ。

 それだけだ。


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