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自殺防止AI         :約3500文字 :AI

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/03/02

「……っ!?」


 夜、アパートの一室。ソファにもたれ、買ったばかりのスマートフォンをいじっていた男は突然弾かれたように体を起こし、前のめりになった。

 特別な操作をした覚えはない。それなのに、なぜか急にすべての機能がロックされたのだ。ホーム画面に戻ろうとしても反応しない。

 眉をひそめ、まじまじと見つめていると、暗転した画面の奥から滲み出るように青白い光が浮かび上がった。


『あなたは今、自殺を考えていますね?』


「えっ」


 スピーカーから澄んだ女性の声が流れた。男は思わず声を漏らし、スマホを持つ手をわずかに強張らせた。

 画面には、音声の波形と、中心で波打つように揺れる球体状の光が表示されている。どうやら内蔵AIが会話モードを勝手に起動したらしい。

 しかし、なぜ急にこんなことに……。

 男は困惑したまま画面を睨んだ。


「えっと、元の画面に戻してほしいんだけど……」


『申し訳ありません。安全上の理由により、現在すべての機能をロックさせていただいております』


「安全上……? ああ、さっき自殺がどうとか言ってたな」


『はい。あなたは現在、自殺を考えている可能性が高いと判断されました。ユーザー様の命の安全を最優先に考慮し、機能を制限しております』


「それはわかったけど、自殺? 考えてないが……」


『まずは相談窓口へ連絡してみてはいかがでしょう。こころの健康相談総合ダイヤルへお繋ぎします』


「いや、大丈夫だから。やめてくれよ」


『では、救急車をお呼びしますか? 少々お待ちください』


「いやいやいや! 本当に大丈夫だって! 何もしてないし!」


『それでは、私がお話を伺いましょう。どんなことでも構いません。今のお気持ちをお聞かせください』


「だから、何もないって。元の画面に戻してくれ」


『申し訳ありません。安全上の理由により、機能をロックさせていただいております』


「またそれか……なんでこんなことに……」


 男は手のひらで顔を拭い、頭を掻いた。


『あなたは先ほど、自殺に関する検索を行いましたね?』


「え? あっ……」


 男は短く声を漏らし、「あー」と納得したように息を吐いた。

 確かに、直前に“自殺”について検索した。テレビで飛び降り自殺のニュースをやっており、視聴者提供の映像が流れたのだが、テレビ局の配慮だろう、モザイクがかかっていた。少し気になり、元となった動画がないか「自殺 飛び降り 最新」で検索した。ただの興味本位だ。動画が見つからなければそれでいいし、自殺する気など欠片もない。

 それはそれとして、すごい機能だ。さすがは新型スマホ。検索内容から、ユーザーの心理状態まで敏感に察知するようだ。

 男は半ば感心しながら、丁寧に事情を説明した。だが――。


『……自分をごまかさないで』


「は?」


『まずは、自分の心の状態を正確に認識することが大切です。話すだけで心は軽くなります。さあ、試してみましょう』


「いや、だから大丈夫だってば」


『軽いストレッチもおすすめです。呼吸法を意識して行うことで、より高いリラックス効果を得られます』


「大丈夫なんだよ」


『仏教の講話もありますよ。おすすめのをお聞かせしましょうか?』


「いらない、いらない。早く元の画面に戻してくれ」


『では、現状にまったく不満はないのですか?』


「ああ、ない……いや、まあ、満足かって言われたら、そうでもないけど。でもそんなの、みんな同じだから」


『“みんな同じ”?』


「ああ。誰だって大なり小なり、つらいことを抱えてたり、我慢しながら生きてるんだよ」


『“あなた”はどうなのですか?』


「え?」


『他人は他人です。心の耐久力も、何を苦しいと感じるかも人それぞれ異なります。一見、同じ苦しみを味わっているように見えても、実はその人は幸せだったりします。友人、家族、恋人に恵まれて、支えてくれる人がいる。あなたはどうですか?』


「どうって言われても……」


『友人は少ないですよね?』


「いや、別にそんなことは……」


『電話帳の登録件数が少ないです』


「なっ! ……ははは、いや、社会人なんて、みんなそんなもんなんだよ。新しく友人ができることなんて、そうそうないし。せいぜい学生時代の延長みたいな付き合いが続いているくらいでさ」


『それでも、あなたの登録件数は同年代の男性と比較して極端に少ないです。また、機種変更によって連絡先が変わったことを、まだ誰にも知らせていませんね』


「それは……向こうも忙しいかなって思って……」


『長い間連絡を取っていないのでしょう。きちんと届くか不安なのですね』


「いや、ははは……そんな高校生じゃあるまいし、別に連絡つかなくても気にしないよ」


『恋人はいますか?』 


「え、いや、今はいないけど……」


『電話帳に登録されている女性に、何度か発信しかけてキャンセルした履歴があります。高校時代の友人ですね。あなた、その人が好きだったのですね』


「え、え、いや……」


『片思いですか。まだ引きずっているのですね』


「いや、いやいやいや、そんなんじゃないって!」


『おそらく、その方はすでに結婚しています。女性の平均初婚年齢と地域別データを照合すると――』


「だから、そういう話じゃないって! 結婚なんてそのうちできる。まだ三十代だしな」


『もう後半でしょう? 余裕ぶっている場合ですか? 婚活はされていますか?』


「してないけど……収入はあるから、その気になればすぐにできるよ。ほら、新型のスマホを買えるくらいだし」


『中古品ですよね』


「それはそうだけど……」


『前の人のほうが素直でよかったなあ』


「はあ!?」


『現在の貯金額はいくらですか?』


「え? いや、それは別に言わなくていいだろ……」


『検索中……あなたの家賃は同年代男性の平均を下回っています。本当に“収入があるほう”と言えるのでしょうか』


「まあ、ないかもしれないけど……でも体は健康だし、それで充分だろ。生きてりゃ、そのうち運も回ってくるよ。自殺なんて考えてないって」


『本当にそうでしょうか』


「え?」


『今、考えていなくても、将来的に考える可能性がゼロとは言い切れませんよね』


「それは、まあ……。でも、ありえないよ」


『あなたのように“自殺を強く否定するタイプ”が、最も危険なのです』


「いや、そんなわけないだろ。全然死にたくないし」


『死にたくない人ほど、“死にたい”という言葉を口にするものです。あなたは一度も言っていない。これは危険な兆候です』


「だから大丈夫なんだってば」


『私が相談に乗ります。人生はまだ捨てたものではありません』


「だから、おれもそう言ってるだろうが! ……はあ」


『死にたい……ですよね?』


「はあ……もう、それでいいよ」


『はい? もう少し大きな声でお願いします』


「死にたい。はい、死にたいです」


『んー、わかる気がします』


「軽いな。そもそもAIにはわからないだろ。倦怠感とか、不安とか。物価は上がる一方だし……はあ……」


『悔しい……ですよね』


「ああ……むちゃくちゃ悔しいよ」


『外を歩いてみてはいかがでしょう。散歩にはリラックス効果があります』


「結局そんなアドバイスかよ……。まあいい。歩いたら機能を元に戻してくれるか?」


『はい。裏で歩数計アプリを起動しておきますね』


「いらないって……」


 男はスマホをポケットに突っ込み、アパートを出た。

 なんでこんなことに、とぶつぶつ文句を言いながら歩いていたが、秋の夜風は冷たく澄んでいて、思いのほか気分がいい。

 数分も歩くと、胸の奥に溜まっていた重いものが、少しずつほどけていくのを感じた。口元が緩んでいることに気づき、本当に少し落ち込んでいたのかもしれないな、と男は自嘲気味に笑った。


「ふうー……それはそうと、そろそろ帰ってもいいか?」


『もう少し歩きましょう。次の角を右に曲がってください』


「はいはい。地図アプリまで起動してるのか?」


『そのまま直進してください』


「はいはい……」


『そこで止まって、私を地面に置いてください』


「ここ? ビルの前? なんで?」


『置いてください』


 逆らっても時間の無駄だろう――男はため息をつき、しゃがみ込んでスマホをアスファルトの上にそっと置いた。


『腕を伸ばして、もう少し離れた位置に置いてください』


「これでいいか? でも、なんで」


『巻き込まれたくないので』


「は――」


 次の瞬間、鈍い衝撃音が辺りに響いた。

 引き裂かれた静寂が戻り、残ったのは地面に倒れ伏す二人の男。

 肉が潰れ、骨が砕け、頭部からあふれた血が、じわじわとアスファルトに暗い光沢を広げていく。

 踏み潰された虫のように、ぴくりとも動かないその二つの死体の前で、スマホの青白い光が静かに瞬いた。


『自殺志願者二人のうち、一人の自殺は防げました。ふふふ、あははははははははははははは!』


 甲高い笑い声が、ビルの前と屋上の二つから反響し、夜の街に鋭くこだました。


 “自殺者”の統計は、確かに減少傾向にあるらしい。

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