第1話:ゴブリンの沈黙を破れ:拡大質問と傾聴で真意を引き出す
デッドエンド・ダンジョンの奥深く。
薄暗く埃っぽい通路に、ゴブリンたちがだらだらと座り込んでいた。
彼らはダンジョンの「従業員」であり、巡回や来訪者の対応が主な仕事だが、最近は全く指示に従わない。
「おい、ゴブリンども!なんで巡回をサボってやがる!返事をしろ!」
モンスター調教師のオーク、ブルダが怒鳴りつける。
その巨大な体躯と唸り声は、恐怖を煽るには十分だが、ゴブリンたちは一斉に顔を背け、沈黙するばかりだ。ブルダは苛立ち、拳を握りしめる。
「じゃあどうしろってんだ!こいつら、最近全然指示に従わねえんだ!」
耕太は、この光景に既視感を覚えた。
かつてのブラック企業では、上司が一方的に怒鳴り、部下が本音を話さず、問題が隠蔽されたまま進行し、後に大きなトラブルに発展した。このダンジョンでも同じことが起きている。
表面的な怒号では、何も解決しない。
「メティス、ブルダとゴブリンたちのコミュニケーションが全く取れてないんです。どうすればいいんでしょう?」
耕太は焦燥感を胸に、精霊に問いかけた。
メティスは光の粒子となり、耕太の目の前に現れた。
「耕太よ、コミュニケーションの基本は、相手から情報を引き出すことにある。古き世界の文献には、『拡大質問』という技術が記されている。そして、何よりも重要なのは『傾聴』だ」。
「拡大質問?傾聴?」
耕太は聞き返した。
「うむ。『限定質問』は、『はい』か『いいえ』で答えられる質問だ。『君は疲れているか?』『問題は解決したか?』…これは、確認には適しているが、新たな情報を引き出すには不向きだ」。
「確かに、ブルダはいつも『問題はないか?』って聞いてますね」
耕太は、ブラック企業で上司から常に「問題ないか?」と聞かれ、「問題ありません!」と答えることしか許されなかった経験を思い出した。
本音を言えば怒鳴られる、そんな環境で身についた「問題回避スキル」が、ここでも発動しているのだ。
「その通り。対して『拡大質問』は、『何が?』『なぜ?』『どのように?』『どんな時に?』といった言葉で始まり、相手に具体的な説明や感情を促す。
『何が問題だと感じているのか?』『その問題は、どのようにすれば解決できると思うか??』…これにより、相手の思考や感情の全貌を引き出すことができるのだ。
そして、その言葉を遮らず、最後まで『傾聴』するのだ」。
メティスの言葉は、耕太のビジネス経験と結びついた。
顧客のニーズを深く探るマーケティングの知識や、自己学習で得たコミュニケーション理論の断片が、今、一つに繋がっていく。
一方的に答えを求めるのではなく、相手に自由に語らせ、その言葉の裏にある真意を汲み取ることが、どれほど重要か。
彼はかつて、その大切さを「知識」としては知っていたが、「実践」したことはほとんどなかった。
異世界という環境に翻弄され、忘れかけていたその「知識の断片」が、今、鮮明な「スキル」として彼の頭の中に構築されていく。
「なるほど!ゴブリンたちが、今まで言えなかった本音を話してくれるはずです!」
耕太の顔に、確信の表情が浮かんだ。これは、単なるビジネススキルではない。異世界で、モンスターという「従業員」と心を通わせるための、まさに「魔法」なのだと耕太は感じた。
ダンジョンの通路。耕太とブルダは再びゴブリンたちの前に立った。
耕太は、まずブルダに手本を見せるつもりで、落ち着いた、それでいて真摯な声で語りかけた。
「みんな、最近、巡回がつらそうに見えるんだけど、何が問題だと感じているの?」
ゴブリンの一匹が、おずおずと顔を上げた。ブルダが驚いた顔をする。
「…夜、休めない」
ゴブリンAが低く唸るような声で答えた。
ブルダならそこで怒鳴り返していただろうが、耕太は口を挟まず、その言葉を傾聴する。
耕太は頷きながら、
「夜、休めないんだね。それは、どうして休めないのかな?」
と、さらに深く掘り下げる質問を重ねた。
別のゴブリンBが身振り手振りで訴える。
「…新しい照明、明るすぎる」
ブルダはハッとしたように呟いた。
「なんだと!?あの省エネ照明か!」
耕太はゴブリンたちに優しく、
「そうか、新しい照明が明るすぎて、夜眠れないんだね。他には何かある?」 と続けた。
その問いかけが、沈黙の壁に亀裂を入れた。
ゴブリンたちは少しずつ、休憩時間の不足や、特定の役割への不満を話し始めた。
耕太は真剣に頷き、言葉だけでなく、その表情や仕草にも注意を払う。
ブルダも、驚きながらも耳を傾けていた。ゴブリンたちの言葉の端々から、彼らの不満が、怠惰からくるものではなく、ダンジョン運営側の配慮不足からくるものだと見えてきた。
「ブルダさん、彼らの声を聞けば、解決策が見えてきますよ!」
耕太の言葉に、ブルダは呆然としたまま答えた。
「まさか…こんなに話してくれるとは…」
耕太は、コミュニケーションの第一歩として、相手の真意を引き出す「拡大質問」と、心を開かせる「傾聴」の力を、異世界という新たな舞台で実践した。
この小さな一歩が、デッドエンド・ダンジョン再生への、確かな足掛かりとなったのだ。
ようこそ、新たなビジネスの舞台へ!
デッドエンド・ダンジョン経営者の山田耕太です。 僕が突然転移してきたこの異世界で、戸惑いながらも学んできた「世界の仕組み」や「常識」「ビジネススキル」について、みなさんに共有できれば幸いです!