第8話:難攻不落の冒険者との対話:SPIN理論とバックトラッキング
デッドエンド・ダンジョンの入り口には、不機嫌な空気が漂っていた。
以前、不満を訴えて去っていったベテラン冒険者パーティーが、ひょんなことから再訪することになったのだ。
彼らはダンジョンの噂が好転していることを聞きつけ、半信半疑で足を運んだらしかった。
パーティーリーダーは屈強な戦士で、腕を組み、不満げな表情で耕太たちを見据えている。
「ふん、まさかまたこのデッドエンドに来るとはな。どうせ前と何も変わってないんだろう?時間の無駄だと思ってるんだが、ギルドからの推薦があったんでな。」
彼の言葉には、隠しきれない懐疑心がにじみ出ていた。
リリエルがおずおずと「いえ、あの、最近は色々と改善を…」と言いかけるが、リーダーに話を遮られる。
「もういい。どうせ時間の無駄だ。俺たちは忙しいんだ。」
彼の声は、デッドエンド・ダンジョンへの根強い不信感を露わにしていた。
耕太はリリエルの隣に立ち、冒険者リーダーに向き合った。
その威圧感に気圧されそうになりながらも、彼は冷静を保とうと努めた。
「メティス、このベテラン冒険者、手強いですよ…。何を提案しても、『前と同じだろう』って聞く耳持ってくれません。このままでは、せっかくの機会を失ってしまう…。」
耕太の心には、焦りが募っていた。
光の粒子が、耕太の視界の隅に集まり、メティスが姿を現した。
彼女の声は、耕太の焦燥感を鎮めるかのように、静かに響き渡った。
「耕太よ、その冒険者は警戒心が強い。
直接的な売り込みでは心は開かぬ。古き世界の文献には、『SPIN理論』という対話の技術が記されている 。
これは、質問の力を使い、相手自身に課題と解決の必要性を気づかせる方法だ。」
「SPIN理論?そして、相手の言葉を繰り返す『バックトラッキング』も有効だ 。
相手は『自分の話を理解してくれている』と感じ、心理的な壁を低くし、心を開きやすくなる 。」
「スピン理論?バックトラッキング?」
耕太は聞き慣れない言葉に問い返した。
彼の知るマーケティングでは、顧客のニーズを事前に分析し、それに対する解決策を提示するのが主流だったが、目の前の冒険者のように頑なな相手には通用しないと直感していた。
「うむ。まず、『状況質問(Situation Questions)』 。相手の現状を把握するための質問だ。
『今、どのようなダンジョンを探しているのか?』『普段、どのようなパーティーで冒険しているのか?』…まずは事実を尋ねるのだ。」
「なるほど、相手の情報を引き出すんですね。
まずは、彼らが何に時間を費やしているのか、現状を把握する…。」
「次に、『問題質問(Problem Questions)』 。相手が抱える不満や課題を明確にする。
『他のダンジョンでは、どのような問題に直面しているか?』『経験値稼ぎが非効率だと感じることはないか?』…相手の問題意識を掘り起こすのだ 。」
「冒険者の不満を具体的に聞くわけですね。
そこから、うちのダンジョンで解決できる点が見えてくるはずだ。」
耕太は、この段階で冒険者が具体的な不満を語り出すことを想像した。
「その通り。
そして、最も重要なのが『示唆質問(Implication Questions)』だ 。
その問題が放置された場合、どのような悪影響があるかを相手に想像させる。
『もしこのままでは、目標達成がどれだけ遅れるだろうか?』『その非効率さが、君たちのパーティーの士気にどう影響するか?』…問題の深刻さを、相手自身に気づかせるのだ 。」
耕太は息を呑んだ。
それは、相手の痛みを深く掘り起こすような質問だった。
「うわ、これは手厳しい質問ですね…。相手の不満を、放置することのデメリットとして、彼ら自身に語らせるのか。でも、確かに、自分で気づかないと人は動かない…。」
彼の脳裏に、前職で改善提案がなかなか通らなかった経験が蘇った。
あの時、もっとこの「示唆質問」を使えていれば…という思いがよぎる。
「最後に、『解決質問(Need-Payoff Questions)』 。
問題が解決されたら、どのような良いことがあるかを想像させる。『もし、君のレベルに最適なモンスターが効率よく配置されたダンジョンがあれば、どうなると思う?』『そのアイテムが手に入れば、君たちの冒険はどれだけ楽になるだろうか?』…解決のメリットを、相手の言葉で語らせるのだ 。」
「なるほど!そうすれば、うちのダンジョンが、彼らの問題を解決する『最高の解決策』だと、彼ら自身が気づいてくれるわけですね!
強引な売り込みではなく、相手自身に『欲しい』と思わせる…これはまさに魔法だ!」
耕太は、このSPIN理論が、異世界における最高の「交渉術」になりうると確信した。
数日後、デッドエンド・ダンジョン内の休憩所。
耕太は冒険者リーダーと向き合っていた。
周囲の冒険者たちは、耕太たちの会話に気づかぬように、あるいは気づかないふりをして、それぞれの休憩を楽しんでいた。耕太は、メティスから学んだSPIN理論とバックトラッキングを実践するべく、落ち着いた声で尋ねた。
「リーダーさん、以前はデッドエンド・ダンジョンにご不満があったとのこと、大変申し訳ありませんでした。
差し支えなければ、今、どのようなダンジョンを探していらっしゃるか、お聞かせいただけますか?」
彼の声のトーンは、相手に寄り添うように穏やかだった。
パーティーリーダーは最初は警戒していたが、耕太の真摯な態度に少し戸惑いながらも、口を開いた。
「…まぁ、効率よく経験値を稼げて、レアな素材も手に入るところだな。
最近は、新しい装備の材料が手に入りにくくて困ってる。」
耕太は頷きながら、リーダーの言葉を繰り返した。
「効率よく経験値を稼げて、レアな素材も手に入るところ、ですね。
新しい装備の材料が手に入りにくい、と。他のダンジョンでは、何か困っていることはありますか?」
この「バックトラッキング」に、リーダーは少しだけ警戒を解いたようだった。
自分の話がきちんと聞かれているという安心感が、彼の心を微かに開かせた。
「ああ、最近はどこも混んでてな。
特に人気のダンジョンフロアは、狙ったモンスターがなかなか見つからないし、素材も取り合いだ。時間ばかり無駄にしてしまう。」
リーダーが身を乗り出して話す。彼の表情には、具体的な不満がはっきりと見て取れた。
耕太は真剣な表情で言葉を返した。
「混雑していて、狙ったモンスターや素材が手に入りにくい、と。
もしこのまま、その状態が続くと、リーダーさんのパーティーの目標達成に、どのような影響があると思いますか?例えば、新しい装備がいつまでも揃わず、上位ダンジョンへの挑戦が遅れるとか、パーティーの士気が下がるとか…。」
耕太の問いかけは、リーダーの抱える問題の「示唆」を具体的に促した。
リーダーは眉をひそめた。
耕太の言葉が、彼自身の未来の課題を突きつけるかのようだった。
「…そりゃ、時間ばかりかかって、士気も下がるだろうな。
下手をすれば、他のパーティーに先を越されて、俺たちの評判も落ちかねない。」
彼の言葉には、不安と焦りがにじんでいた。
耕太は間髪入れずに続けた。
「では、もし、リーダーさんのレベルに最適なモンスターが効率よく配置され、混雑を気にせず素材が手に入るダンジョンがあれば、どうなると思いますか?
例えば、狙った素材が手に入り、新しい装備がすぐに揃い、パーティーの士気も向上し、誰よりも早く上位ダンジョンに挑めるようになるとしたら?」
耕太の言葉は、問題解決の「メリット」を具体的にイメージさせた。
リーダーの目が見開かれた。
彼の顔には、希望の光が宿る。
「…それは…最高の効率で、目標を達成できるだろうな!
他のパーティーに差をつけて、俺たちのパーティーが、さらに上のランクに行けるかもしれない!」
彼の口から語られるメリットは、デッドエンド・ダンジョンが提供できる価値そのものだった。
耕太は笑顔で言った。
「はい、デッドエンド・ダンジョンは、そのお手伝いができます。
我々のダンジョンは、冒険者行動記録装置で冒険者の行動データを分析し、常に最適なモンスター配置と素材ドロップ率を調整しています。
混雑を気にせず、効率的に、そして安全に目標を達成できる環境を提供できます。いかがでしょうか、この高額プランをご利用になりませんか?」
リーダーは深く頷いた。
「…分かった。このデッドエンド・ダンジョン、もう一度信じてみよう。
新しい高額プラン、詳しく聞かせてもらおうか!」
耕太は、相手の深層ニーズを引き出す「SPIN理論」と、信頼を築く「バックトラッキング」を駆使し、難攻不落のベテラン冒険者の心を開いた。
デッドエンド・ダンジョンは、顧客の課題を解決するパートナーとして、その価値を認められ始めたのだった。この成功は、単なる契約獲得以上の意味を持っていた。
それは、デッドエンド・ダンジョンが、かつての悪評を乗り越え、冒険者から真に信頼される存在へと変わり始めた証だった。
ようこそ、新たなビジネスの舞台へ!
デッドエンド・ダンジョン経営者の山田耕太です。 僕が突然転移してきたこの異世界で、戸惑いながらも学んできた「世界の仕組み」や「常識」「ビジネススキル」について、みなさんに共有できれば幸いです!