粛清②
時尾は町屋に住んでいた。小奇麗に片付いてはいたが、一人暮らしとあって、とにかく狭かった。夜中は布団をふたつ敷くと、部屋はもういっぱいだった。
「果し合いまで、どれくらい日にちがあります?」と聞くと、「三日ほど」と時尾が答えた。
「時間がござらぬな」
近くにある寺の境内で、武芸の練習を始めた。
日中、時尾は料理屋で働かなければならないので、早朝と夕方に平九郎から剣を教えてもらうことになった。
「三日では、色々、教えても覚えるのは無理でござろう。ひとつだけ、ひとつだけお教え申す。それをひたすら極められよ」と言って、平九郎は相手が斬りかかってくる瞬間に、右手首を打ち据える技を教えた。出小手という技だ。
境内に落ちていた枝の中から時尾の体格に合いそうな枝を選んで持たせ、自分も枝をひとつ持って構えると、「先ずは足を使って、相手に圧をかけます」と平九郎は足さばきを教えた。そして、「後は切っ先をよく見ることです。ほれ、打って出ようとすると、切っ先が、このように僅かに沈みます」と実践して見せた。
こうして奇妙な稽古が始まった。
寺を訪れたものたちは、若い女が剣術の稽古に励む様子を、物珍しそうに見守った。
時尾が見事、平九郎の小手を討とうものなら、「お見事~!」と手を打って囃し立てた。
日が暮れると町屋に戻り、食事を済ませ、銭湯で汗を流すと、時尾は倒れるように寝てしまった。疲れ果てていたようだが、それも、三日の辛抱だ。
明日は果し合いという夜も、時尾は町屋に戻ると、あっという間に寝息を立て始めた。
「果し合いを明日に控え、男でも気が高ぶって眠れるものだが、豪胆な女子よ」と平九郎は、時尾の肝の太さに驚いた。
翌朝、平九郎が目覚めた時には、時尾は朝食の準備を終えていた。
「よく眠れたようだな?」と平九郎が聞くと、時尾は「はい」と笑顔で答えた。笑うとえくぼが出来て、娘らしい華やかさが広がる。
「果し合いの刻限は?」
「明六つに、相国寺の境内にて」
「今朝の練習は、もう良いであろう。体を休めることだ」
「分かりました。果し合いまで、ここで休んでおります」
「料理屋に行かなくて良いのか?」
「今日はお暇をいただきました」
「そうか」
「早めに行って待っていましょうか?」
「遅れて行くくらいで丁度よい。宮本武蔵の巌流島の決闘を知らぬか?」
「知りませぬ」
「獲物はどうする。私の刀を貸しても良いが」
「あの枝で十分です」
「刀相手だと分が悪いぞ」
「一太刀で倒すことが出来なければ、私の負けです。斬られるだけです」
その辺のやわな男より潔い。
刻限が来たので、二人揃って町屋を出た。
相国寺に向かう。
境内には既に人だかりが出来ていた。
「御免なさいな」と時尾が人をかき分けて進む。
人だかりの中に浪士風の男が五人ばかりいた。時尾の姿を見つけると、「遅いぞ!」と、その中の一人が叫んだ。
「お待たせしました」と時尾が余裕綽々で言う。
「何だ。その枝は?」
「あなたなど、この枝で十分です」
「小生意気な小娘め。冥途に送ってやる」
男が刀を掴んで立ち上がった。
ばらばらと仲間の男たちが立ち上がったので、観衆に紛れて様子を見守っていた平九郎がずいと前に進み出た。
「女子一人に、大の男が五人で相手をしようなど、みっともない。多勢に無勢、拙者、助太刀いたす。そこの男、お主が果し合いの相手だな。お主以外のものは、拙者が相手だ。良いか。一歩でも動けば命が無いものと思え」
平九郎が言うと、「いいぞ。お侍!」、「そうだ、そうだ。女子を相手に卑怯な!」と群衆からやじが飛んだ。
「ふざけるな!」と二人の男が刀を抜いた。
一人の男が一歩、前に踏み出す。その瞬間、平九郎が動いた。
「うげっ!」と男が血しぶきを上げて地面に転がった。平九郎が何時、刀を抜いたのか分からなかった。目にも留まらぬ早さだった。
「おのれ!」
もう一人の男が平九郎に斬りかかったが、平九郎は振り向きざまに刀を振るうと、男の腕が刀を持ったまま飛んで行った。
「うおおおお~!」と観衆が湧く。
「動くな!」と再び、平九郎が警告する。
平九郎の剣の凄まじさに、残った男たちは縮み上がった。
「さあ、始めましょうか」と時尾が枝を構えた。
「うぬぬ・・・」
相手の男が刀を抜いた。
平九郎は残りの男たちに気を配りながら、二人の様子を見守った。大した女だ。真剣を前に、まるで動じていない。枝先がぴたりと止まっている。
反対に男は、切っ先がぶるぶると震えていた。平九郎が一瞬で、仲間を斬り捨てるのを見たからだろう。相手は木の枝を持っているだけなのに、動揺しているのだ。
――この勝負、あったな。
と平九郎が思った、その時、男の切っ先が僅かに下がったのを見た時尾がぴしりと男の小手を打った。
「あがっ!」と男は悲鳴を上げて、刀を取り落した。
時尾の枝は男の手首を砕いた。
「私の勝ちです」と時尾が手首を押さえて蹲った男を見下ろしながら言った。
「つまらぬ復讐をしようなどと考えなさるな。その際は私が相手をいたす」と平九郎が男たちに向かって言った。
「うおおお~!」
観衆は大喝采を上げた。
相国寺を後に家路へついた。
「見事な腕前でした」と平九郎が言うと、時尾は「お侍さんこそ、私の見込んだ通り、剣の達人でございました」と言って笑った。
「人を斬ったのですよ。私が怖くはないのですか?」
「怖い? お侍さんが?」と時尾は平然としていた。
その夜、「私には何のお礼もできませぬ。せめて、私を抱いてくだされ」と時尾が布団に忍び込んで来た。
「左様なこと・・・御心遣い無用でござる。こうして宿を貸していただいております」
「私のことがお嫌いですか?」
「滅相も無い。時尾殿のことは、憎からず思っております」
「では、抱いてくだされ」
「それが・・・時尾殿を抱いてしまうと、入れ替わってしまうのです」
「入れ替わる?」
「私が時尾殿に、時尾殿が私になってしまうのです」
「私がお侍さんに! ああ~そうなれたら、どんなに嬉しいでしょう。私はお侍さんになりたい」
昼間、斬り合いを見て頭に血が上ってしまったようだった。
平九郎には時尾を止めることが出来なかった。




