天一坊②
目星はつけておいた。
貧乏旗本の三男坊、浅野育三郎だ。とにかく評判の悪い男で、玄真も診療費を踏み倒されたことがあった。
金はないが暇はある。気は強いが武芸はからきし駄目。典型的なごく潰しだった。
町で町人に難癖をつけては金を巻き上げ、品川宿辺りの茶屋で安酒を飲んでいた。茶屋の前で張っていると、案の定、育三郎がやって来た。
「あら、良い男だね~」と近寄ると、平素、女に縁のない育三郎だ。直ぐに、眼の色を変えた。
茶屋に連れ込んで、ことを行うのに時間はかからなかった。女日照りの貧乏旗本の三男坊だ。部屋で二人きりになると、抑えが利かず、飛び掛かって来た。
簡単に入れ替わることが出来た。
ことを終え、裸で死んだように横たわる千代の姿を見た時、一抹の寂寥感を感じた。裸で転がしておくのが可哀そうになって、着物をかけておいた。
茶屋を出ると、「おうっ! 育三郎」と薄汚れた武士が声をかけて来た。
「・・・?」
「どうした? 俺だ。中井半兵衛だ」
遠江掛川藩井伊家の浪人、中井半兵衛だった。半兵衛が言う。「例の件、考えたか?」
「例の件?」
「何だ。まだ考えていないのか。天一坊殿の件だ」
「天一坊?」
「忘れたのか?」と半兵衛が天一坊のことを話してくれた。
天一坊は元禄十二年に、紀州田辺で生まれた。母が城へ奉公に出て、子を孕み、実家へ戻された。そして、生まれた子が天一坊だ。天一坊は母から「吉」の字を大切にせよと言い聞かされて育てられたという。
十四歳の時に、母が死亡。出家して山伏となり改行と名乗った。この時、死んだ伯父から「その内、公儀からおたずねがあるであろう」と言われた。
天一坊は自分の素性がただならぬものであると悟った。紀州の生まれで、「吉」の字を大切にせよと母に言われたことから考え合わせると、実の父親は吉宗ではないかと思った。
八代将軍、徳川吉宗は紀州藩主、徳川光貞の四男として生まれた。紀州藩を継ぐ立場になかったが、兄たちが次々と逝去し、紀州藩主となった。
それだけではない。七代将軍、徳川家継が八歳で早世すると、家康との血の近さから、八代将軍に選ばれた。
天一坊は、その幸運児、吉宗の落胤ではないかと言うのだ。天一坊は品川宿の常楽院という山伏の家にいた。
「いずれは御公儀よりお召があり、天一坊殿は大名に取り立てられるであろう。天一坊殿には家臣がおらぬ。今の内に天一坊殿に詣でておけば、大名に取り立てられた際に、家臣となることができるよう」と半兵衛は口角から泡を飛ばしながら言った。
「さようなこと・・・」
「お主、将軍直参の旗本とは言え、三男坊ではないか。この先、兄者の禄を食みながら、日陰者として生きて行くのか? わしと一緒に、天一坊殿に詣でよ。さすれば、いずれは大名家の家臣じゃ」
「しかし・・・」
「既に天一坊殿のことは勘定奉行を通して、老中に伝わり、将軍の耳に達していると聞く。ふふ。どうやら、吉宗のやつ、身に覚えがあるようだ。天一坊殿は本物よ」
将軍を呼び捨てだ。
「妙なところがある」
「妙なところ?」
「ああ、そうだ。上様が吉宗を名乗られたのは紀州藩をお継ぎになった時だ。それまでは頼久と名乗られていたはずだ。紀州藩を継がれた時に、綱吉公から偏諱を賜り、吉宗と改名されたと聞く。天一坊殿の母御が亡くなったのは、何時だ? 上様は紀州藩主になる前であったのでは? そうであれば、天一坊の母親が『吉』の字を大切にせよと申したことは辻褄が合い申さぬ」
「うぬ・・・武士のくせにうだうだと。その気がないのであれば、結構。ごく潰しとして生きるが良い!」
半兵衛はそう言い捨てると、怒って行ってしまった。
浪人は何処も苦しい。生きづらい世の中だ。太平の世となり、仕官の口は減る一方だった。藁にもすがる思いなのは理解できたが、どうも話が怪し過ぎる。
――由井正雪のような。
平九郎は慶安事件を思い出していた。あの時は寸でのところで、町奉行所の捕り方に捕まるところだった。同じ臭いを感じた。
案の定、その日の内に天一坊とその一味は勘定奉行所の捕り方により一網打尽にされた。天一坊は、みだりに将軍家の御落胤を騙り、いわれなく浪人を集めたという罪状で、死罪のうえ獄門に処すとの判決が申し渡された。
後に、鈴ヶ森の刑場で処刑されている。
常楽院にたむろしていた浪人たちは、島流しや江戸払いとなった。その中に中井半兵衛の姿があった。




