乱心②
翌日、水野忠恒は江戸城を揺るがす大事件を引き起こした。
忠久は時の将軍、徳川吉宗に戸田家の娘との婚儀が成ったことを報告する為、江戸城に登城した。吉宗への拝謁を済ませた忠恒は松之廊下を歩いている際、扇子を忘れたことに気がついた。取りに戻ろうとすると、長門国長府藩第六代藩主、毛利匡広の世子、毛利師就から呼び止められた。
師就は兄たちが次々と早世した為、世子となり、吉宗への拝謁を済ませたばかりだった。
「ここもとに、そこもとの扇子がござる」と師就が声をかけた。
忠恒が扇子を忘れたことに気がついて、持って来てくれたようだった。
その言葉を聞いた途端、忠恒は突然、脇差を抜いて師就に斬りかかった。
「何をなさる!」
刃は師就の右手をかすった。
「うぬっ!」と忠恒は返す刀で師就に斬りつけた。
刀は師就の左耳を僅かに切った。
師就は忠恒の刃を交わしつつ脇差を鞘事引き抜くと、丁と忠恒の手首を激しく打ち据えた。
「うがっ!」
忠恒が刀を取り落した。
「婿殿!」
傍にいた戸田氏房が異変に気がついた。氏房は親族となった忠恒に付き添う形で一緒に登場していた。勇壮な体格を誇る氏房は体当たりをして、忠恒を廊下に転がすと、馬乗りになって押さえ込んだ。
氏房に押さえ込まれては身動きが出来ない。
「毛利殿!」
斬りつけられた師就が忠恒を斬りかかろうとするのを目付が止めた。
忠恒の身柄は川越藩主、秋元喬房の屋敷に預けられた。
人々の脳裏には二十四年前に起きた浅野内匠頭のよる松之廊下の刃傷沙汰を思い起させた。浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた、あの事件だ。
事件後の処理のまずさから、浅野家浪士による討ち入り事件を引き起こしてしまった。幕府は事件処理に慎重にならざるを得なかった。浅野内匠頭は即日切腹だったが、忠恒は叔父の水野忠穀の屋敷に移され、蟄居となった。
この寛大な処置の裏には、被害者であった毛利家より「何卒、御寛容な御沙汰を」という嘆願があったからだと言う。
それにしても不可解だったのは、何故、忠恒が師就に斬りつけたのかということだった。師就は世子となり将軍への拝謁を済ませたばかりだった。当然、忠恒とは初対面だった。
忠恒は、「自身に不行跡が多く、家臣に人気が無いため、領地が取り上げられ、師就に与えられると思った」と言っているらしかった。
この日、将軍拝謁前に戸田氏房が毛利師就と親し気に話をしているのを見た。二人は初対面であったので、お互い自己紹介をしていたに過ぎなかった。だが、それを見て忠恒が勝手に勘違いをしてしまったようだ。
「少々、脅し過ぎたかもしれない」と平九郎は後悔した。
自堕落なだけで、気の弱い若者であったようだ。
気の毒なのは、嫁入り早々、夫の不祥事により寡婦のようになってしまった定子だった。
「武家の娘に生まれて来たのが間違いのようです」
平九郎を前に定子はそう嘆いた。
「そのようなことを申されますな。この先、良いこともありましょう」
「そうでしょうか。玄真殿と江戸の片隅で、慎ましやかに暮らして行ければ、私はそれで満足なのです」と定子が危ないことを言った。
いっそ、このまま定子を抱いて入れ替わり、町医者として生きて行く道を開いてやろうか――と考えた。
だが、姫様育ちの定子に町医者が勤まるはずがない。
「戯れを申されますな」と言うことしか出来なかった。
定子は実家の戸田家に戻って行った。また、何処かの大名家に嫁いで行くのだろう。




