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うつりぎ  作者: 西季幽司
江戸時代編
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赤穂事件③

 平九郎は吉良邸に戻ると、清水一学を探した。くのいちを雇って赤穂の浪人の動向を探らせていたとなると、恐らく、清水一学の指図だと考えたからだ。清水一学は吉良上野介義央の用人として身辺警護を行う傍ら、赤穂の浪人の動向に目を光らせていると聞いていた。

 案の定、ふせの姿を見た清水一学は「いかがであった?」と声をかけて来た。

「それが・・・」

「お主が町屋の浪人が怪しい。赤穂の侍ではないかと言うので、確かめに出したのではないか。どうだったのだ?」

 やはりふせを指揮していたのは、清水一学であったらしい。

「町屋の浪人は赤穂の侍でした。このまま放置しておくと危険です。煮え切らぬ大石にしびれを切らし、仲間を集め、年明けに、吉良様の屋敷を襲撃しようと計画しておりました」

「何! 屋敷を襲うとは大胆不敵。御家再興が第一の大石内蔵助が動かぬことは分かっておったが、赤穂の浪人たちは困窮しておると聞く。それに従えぬものが出て来ても不思議ではない。さて、どうしたものか・・・」

「清水様。わたしに考えがございます」

「ほう。申してみよ」

「仲間割れを起させるのです」

「仲間割れとな。面白い。どうするのだ?」

「はい」と平九郎は清水一学の耳に顔を寄せて囁いた。


 ふせとなった平九郎は吉良邸を出ると走った。

 体が軽い。流石はくのいち。よく鍛えている。男でいる時よりも、素早く走ることが出来た。

 ふせの動きを想像してみた。平九郎は討ち入り計画の一部を知っているだけだ。計画の全貌を知りたいと思うなら、毛利小平太から聞き出すしかない――ということを、ふせに知られてしまった。ふせは毛利小平太のもとに向かうに違いない。討ち入り計画の全貌を掴み、それを手土産に帰参すれば、吉良家では粗略に扱いはしないだろう。

 毛利小平太は鍜治橋に住んでいる。ふせは鍜治橋に向かったはずだ。

 だが、討ち入りを目前に控えていた。毛利小平太は大石内蔵助のもとにいる可能性が高かった。何としてもふせより先に毛利小平太に会う必要があった。さもなければ、平九郎の計画が水泡に帰してしまう。

 大石は日本橋に住んでいる。一か八かだ。平九郎は日本橋を目指した。

 平九郎は駆けた。町中を若い娘が駆けて行く。「娘さん。そんなに急いで何処に行く?」、「一緒に茶屋で一服しないか?」など、男たちから盛んに声をかけられた。

 平九郎は無視して駆けた。そして、賭けに勝った。

 大石が住む長屋に駆けつけた時、折よく毛利小平太が出て来るのが見えた。


――ふせに先んじることが出来た!


 平九郎は小平太に駆け寄ると、「もし、もし、田中貞次郎様。これを」と書簡を胸に押しつけた。

「御新造。私は――」

 分かっている。田中貞次郎などではなく、毛利小平太だということくらい。

「清水殿よりの密書です。確かに届けましたよ。吉良邸でお待ちしています」

 平九郎は書簡を小平太に押しつけると、周囲を見回してから、脱兎の如く駆け出した。いかにも密書を届けたといった風勢だ。

 後には、呆然とした毛利小平太が残された。


 三日後、寅の上刻、赤穂浪士四十七名は吉良邸に討ち入った。

 梯子で塀を越え、木槌で裏門を打ちこわし、吉良邸へと侵入した浪士たちは、台所の裏の小部屋に隠れていた吉良上野介義央を引きずり出し、見事、討ち果たすことに成功した。

 吉良側は三十名を超える死傷者を出したが、赤穂浪士側は死者はおらず、二名の負傷者を出しただけだった。

 吉良邸を出た浪士一行は泉岳寺に行き、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた。その後、幕府は赤穂浪士を大名家に預け、切腹の沙汰を申し渡した。

 江戸庶民は赤穂浪士の壮挙に拍手喝采を送り、赤穂浪士は死して英雄となった。

 だが、討ち入りに、二人の浪士が加わることが出来なかったことを平九郎は知っていた。毛利小平太と田中貞次郎の二人だ。

 毛利小平太が住む鍛治屋橋の長屋の前で、二人は斬り合った。そして、小平太は貞次郎を討ち果たしたが、重傷を負い、討ち入りに参加することが出来なかった。

 毛利小平太は吉良家の家臣、清水一学が田中貞次郎に宛てた密書を手に入れた。そこには、


――討ち入りの日時、人数など詳細を教えてもらえるなら、吉良家の家臣として取り立てよう。


 と書かれてあった。

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