松之廊下②
赤穂の町についた。
城下は平穏そのものだった。
――さて、どうやって赤穂城に忍び込もうか。
と考えながら歩いていると、「ごめんなさい」と女がぶつかって来た。
ほっそりとした美人だ。優雅に会釈をして、立ち去ろうとする。その女の腕を平九郎が捕まえた。
「あっ、お武家様。何をなさるのですか?」
女が体をくねって逃げようとする。
「すったものを返してもらおう」
武芸に長けた平九郎だ。懐の巾着をすられたことに、直ぐに気がついた。
女は「あら。気がついたのかい。その辺のぼんくら侍とは違うみたいだね~」と途端に柄が悪くなった。そして、「斬るなら斬りな。ばっさりやってくれ。どうせ、この世に未練なんかないんだ。こんなこと、好きでやっている訳じゃない」と開き直った。
「せんなきことを言うな。悩みごとがあるのなら、相談に乗ってやっても良い」
「ふ~ん。優しいこと、言ってくれるね。おてんとうさまの当たらない日陰で生きて来た身。今更、どうにもならない。私はね――」
女は名を菊と言い、赤穂の町を裏で支配する石黒一家の手下として働いていた。飢饉で村を離れた菊一家は道中で両親が餓死し、孤児となった菊は赤穂の町に流れ着いた。そこで拾われたのが石黒一家だった。
石黒一家の親分、石黒藤兵衛は赤穂藩の副家老と結びつき、塩田の人足を手配する口入れ屋として大きくなり、今では赤穂の町で酒屋や茶屋を営む傍ら、スリや強盗まで抱え、裏社会の顔役として君臨していた。
酷薄な性格で、藤兵衛に睨まれると、三日と生きてはいられないと言われているらしい。「逃げ出すと追手がかかり、直ぐに始末されてしまうのさ」と菊は言う。
「そうか。じゃあ、お主、自分を捨ててみないか? 男に生まれ変わって、新たな暮らしを送るというのはどうだ?」
「男に生まれ変わる? 面白そうね。そう出来たら良いんだけど」
「そうと決まれば、話は早い。ところで、お主、赤穂の侍に知り合いはいないか?」
「赤穂の侍・・・いるよ。一人。百石取りの貧乏侍のごく潰しの次男坊。うちの親分の店で、ただ酒飲んで、店の者に袋叩きに遭っているところを助けてやった。そしたら、しつこく付きまとってくるようになった」
「ほう~それはまた・・・ろくでなしだな」
「極上のくず」
「名を何と言う?」
「田中貞次郎」
「まあ、仕方あるまい」
「仕方ない?」
「さあ、どこぞの茶屋を借りよう。私と入れ替わるのだ。心配するな。江戸に行けば、住処はあるし、蓄えもある。それを全てくれてやる。生まれ変わって生きて行け」
「入れ替わる? 何を言っているんだい」
平九郎は菊を茶屋の一室に引きずり込むと、「ふう」と息を吐いた。部屋が薄紅色の柔らかい光に包まれた。菊が「ああ・・・何、これ・・・」と恍惚の表情を浮かべる。そして、両手で襟元をはだけた。形の良い胸が露になった。
平九郎は菊の胸にむしゃぶりついた。




