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うつりぎ  作者: 西季幽司
江戸時代編
51/69

松之廊下①

 驚いた。

 昨日、播磨赤穂藩の藩主、浅野長矩(あさのながのり)が江戸城本丸大廊下にて高家筆頭、吉良義央(きらよしひさ)に斬りつけたというのだ。浅野長矩は朝廷より年賀の挨拶として派遣された勅使の饗応役を任され、典礼に詳しい高家の吉良義央が勅使を接待するのを手伝っていたらしい。そこで何があったのか分からないが、最終日に江戸城の大廊下で浅野長矩が脇差を抜いて吉良義央に斬りつけた。

 吉良は怪我を負ったが無事であったらしい。

 一方、浅野長矩は即日切腹となり、その日の内に身柄は田村右京太夫の屋敷に移され、庭で切腹して果てた。

 大名家同士の刃傷沙汰という大事件を知った江戸の庶民は、


――何故、浅野内匠頭は江戸城で刃傷に及んだのか⁉

――浅野内匠頭と吉良上野介の間で、何があったのか⁉

――武家同士の喧嘩は「喧嘩両成敗」と決まっている。何故、浅野内匠頭だけが切腹になったのか⁉


 と噂し合った。そして、


――赤穂藩はお取り潰しになるらしい。

――浅野家の家臣たちは城に籠城するらしい。


 と寄ると触ると浅野家の話をした。

 噂を聞いている内に、平九郎は居ても立ってもいられなくなった。関ケ原の合戦より百年、泰平の世となり、戦は遠くなってしまった。戦人である平九郎には、宮仕えなど無理だった。江戸の町で浪人として暮らしていた。


――戦になるのなら、是非、赤穂藩にお味方したい。


 と遠い赤穂に思いを馳せた。

 翌朝、平九郎は旅の空の下にいた。赤穂へ向かっていたのだ。急がねば、お家お取り潰しに間に合わない。道々、噂を拾いながら東海道を下って行った。

 赤穂藩では藩内で議論が紛糾しているようだった。城内の大広間で今後の対応を議論する評定会議が開かれ、そこでは、藩主、浅野長矩が切腹となったのに、吉良義央がお咎め無しとなったことに対する憤懣が渦巻き、籠城して幕府に抗議の意を示すのだという意見が大勢を占めていた。

 だが、この会議に派遣された広島の本家浅野藩の使者は、籠城など、公儀に対して畏れ多い、穏便に開城すべしと主張した。また、会議を主催した赤穂藩筆頭家老、大石(おおいし)良雄(よしお)はお家再興を第一に、籠城には反対の姿勢を示していると言う。


――戦にはならないのか?


 平九郎の希望とは裏腹に、事態は戦を回避する方向で動いているようだった。

 平九郎は赤穂へ急いだ。

 堺まで来たところで、大石は「赤穂城の前で、皆で腹を切る」と結論を出したと聞いた。既に六十名を超える藩士が「腹を切る」という起請文を提出しているらしい。


――馬鹿な。犬死ではないか。


 と平九郎は思う。一同、見事、腹をかっさばき、幕府へ無言の抗議を行いたいのだろう。だが、平九郎は、


――戦ってこそ武士ではないか。


 と思う。泰平の世が武士を形ばかりの空虚なものにしてしまったようだ。

 犬死に付き合う気は無かったが、戦の無い毎日に飽き飽きしていた平九郎だ。とあれ、赤穂に急いだ。

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