狒々退治②
何時も通り笛の練習を終えると、重太郎が改まって言った。「徳姫様。お暇をいただきとうございます」
「やはり行かれるのですか?」
「はい」と重太郎が頷いた。
岩見重太郎の父、岩見重左衛門が同僚の広瀬軍蔵に殺害されてしまったのだ。諍いの訳はよく分からない。広瀬は重左衛門を殺害すると、姿を消していた。
仮にも父、岩見重左衛門は剣術指南役だ。腕が立つ。鳴尾権蔵、大川八左衛門の二名が広瀬の手を貸したらしかった。三人で重左衛門を切り刻んだのだ。
その噂は徳姫の耳にも届いていた。いずれ、重太郎が父親の仇を探して、旅に出るであろうことは想像がついていた。
「残念です。重太郎殿は筋が良い。いずれは私以上の笛の名手となったでしょうに」
「私も笛の修行が中途半端に終わってしまうことが心残りです」
「仇討ちなどせんなきこと。恨みが恨みを招くだけのことです」
仇討ち話には滅法、弱かった平九郎だ。以前なら、尻を叩いてでも重太郎を仇討ちに向かわせたことだろう。だが、夫の仇を討つために、明智光秀となっていた平九郎と入れ替わった徳姫が仇討ちを果たせぬまま討たれてしまっていた。
その悲しい最後に、平九郎は同情を禁じえなかった。そして、仇を討つということに、世の無常を感じていた。
「わが父は傲慢な方でございました。広瀬殿のことはよく存じております。温厚で滅多なことでは腹をたてぬお方。父と斬り合ったとなると、よほど腹に据えかねることがあったのでしょう」
「そうですか。仇を討つのも物憂いものですね」
「左様で・・・」
「・・・」暫し、二人で黙り込んだ後、徳姫が言った。
「ひとつ提案がございます」
「なんでしょう」
「私と入れ替わるというのはどうでしょう? 私が仇を見つけて、討ち果たしてさしあげましょう」
「お戯れを」
「戯れではありません」と徳姫は「うつりぎの術」を用いて、他人と入れ替わりながら生きて来たことを打ち明けた。
「左様なことが出来るのでございますか・・・」
重太郎は半信半疑だった。
「仇を討ち果たせば、また元通り入れ替わりましょう。あなたは徳姫として、ここで笛を習い、仇が何処に潜んでいるのか探ってくれればよろしい」
徳姫の人脈をもってすれば、仮に、仇がどこかの大名の庇護を受ければ、直ぐにそれを探知することができる。
「しかし・・・」と躊躇う重太郎に「久々、男に戻って、思いっきり暴れてみたいと思っていたところでした。旅も良い。こまめにやり取りを続けましょう」と言うと、徳姫はすっくと立ち上がった。
そして、するすると帯を解き始めた。
「と、徳姫様。なにを・・・」
「うつりぎの術を使うのです」
徳姫はふうと息を吐いた。薄紅色の柔らかい光に包まれた。「さあ、重太郎殿」と徳姫が重太郎に覆いかぶさった。




