狒々退治①
小牧・長久手の戦いに於いて、羽柴秀吉と対立した織田信雄だったが、秀吉が伊賀と伊勢半国の割譲と人質の提出を条件に講和を申し込んで来ると、あっさりとそれに応じた。
平九郎は織田信長の長女にして、徳川家康の長男、信康に嫁いだ徳姫に成り代わっていた。信康と姑の築山殿が武田氏に通じていると信長に訴え、信康を自害に追い込んだ――とされる女性だ。
信康の死後、織田家へ戻っていたが、本能寺の変で信長が横死してからは、織田信雄の庇護下にあった。信雄は徳姫を人質として秀吉に差し出すことにした。徳姫は京都に居を構え、秀吉の人質として暮らすことになったのだ。
秀吉は徳姫の庇護を秀吉陣営に加わったばかりだった小早川隆景に命じた。徳姫の身辺警護を命じられたのは、小早川隆景の剣術指南役を務めた岩見重左衛門の次男、岩見重太郎だった。若手では群を抜く武芸の持ち主だ。
「徳姫様には、よろしくお見知りおきを」と挨拶にやって来た岩見重太郎の涼やかさを徳姫は気に入った。
深窓の姫君としての生活は退屈ではあったが、この頃、平九郎は笛の稽古に夢中になっていた。知勇兼備なだけでなく、横笛の名手としても有名で、「花相実の大将」と呼ばれた尼子政久の影響だろう。武芸だけでは、人としての深みが出ないことを平九郎は悟りつつあった。
笛の稽古も奥が深かった。
――これは武芸に通じるものがある。
生来、凝り性だったからだろう。平九郎の、いや、徳姫の笛は都の貴族たちも一目置くほどの上達を遂げていた。時の今上天皇、正親町天皇が御前で笛を披露して欲しいと言ったという噂があったほどだ。
ある日、何時も通り部屋で笛を吹いていると、警護の為、縁側の端に畏まっていた岩見重太郎が「ほう~」と大きなため息をつくのが聞こえた。
「そこにいらっしゃるのは、岩見重太郎殿ですね」と徳姫が声をかけると、「はっ」と戸の陰から重太郎の声がした。
「退屈ですか?」と声をかけると、「とんでもございませぬ。いやはや、美しきものでござるな。徳姫様の笛の音を聞いておりますと、幽界に遊ぶような心地よさがございます」と重太郎が褒めてくれた。
「面白いことを言う」
徳姫は「くっく」と笑った。
「姫の笛を聞いておりますと、私も笛を習ってみたくなりました」
「そなたは武に秀でた若武者だと聞いております。笛を習ってなんとするのですか?」
「間もなく秀吉公により天下は統一されるでしょう。戦が止めば、武は使い道がなくなります。そうなれば私のような武辺者は必要なくなるでしょう」
「面白いことを言う」とまた、徳姫が「くっく」と笑った。
翌日、何時も通り、縁側で徳姫の警護につくと、「重太郎殿。これへ」と徳姫に呼ばれた。
「はっ!」と重太郎が部屋の隅で平伏する。
「もそっとこれへ」と徳姫が手招きをする。
「はっ!」と重太郎が膝を進める。「御用でございましょうか?」
「笛を用意しておきました。今日から一緒に笛を吹きましょう」
「えっ!左様なこと・・・私のような武辺者には、笛は似合いますまい」
「似合う似合わぬではありません。吹くか吹かぬかです」
「私に試練をお与えになるということですか?」
「相変わらず面白いことを言う。その通りです」と言って徳姫は「くっく」と笑った。
「敵に後ろは見せられませぬな」
「私は敵ではございません」
「失礼いたしました。よろしくお願いいたします」
こうして、二人の笛の音が屋敷に響くようになった。




