本能寺②
一月後、平九郎は坂本城の一室で明智光秀と向かい合っていた。
思った通り、波多野秀治の娘だと告げると、光秀は会ってくれた。父親の助命を約束しながら、信長の手により処刑させてしまったことに、多少なりとも後ろめたさを感じていたのだろう。
「お人払いを」と頼むと、平九郎を害の無い女と見たようで、二人切りにしてくれた。
光秀が優しい笑顔を浮かべながら言った。「波多野殿のご息女よ。息災であられましたかな?」
父親を殺されて、息災の訳がない。
「明智の殿」女は顔を上げると、ふうと怪しげな吐息を吐き出した。
途端に辺りが薄暗くなった。光秀の周りだけ、ほのかに薄紅色に明るくなる。光秀の眼が宙を彷徨う。
光秀は堅物な男だ。正室の煕子は病を得て既に他界していたが、煕子以外、女人を近づけなかった。だが、うつりぎの術の伝授を受け四百年、平九郎の術は進化を遂げていた。一瞬で相手を催眠状態にして意識を奪い、行為を迫ることができるようになっていた。
それだけではない。男色が盛んな戦国時代だ。男同士であっても、情を交えることさえ出来れば、相手に乗り移ることができるようになっていた。最も、女として男に抱かれたことも数知れない。もはや、相手が男であろうと女であろうと、相手を選ばない。
四百年間、他人に乗り移りながら果てしなく生きて来た。他人として生きることに、どうしようもない疲れを感じる時がある。いずれ、この世から消えてしまいたいと思う日が来ることだろう。このまま術を極めると、平九郎に術を授けた老爺のように、術を誰かに伝え、灰をなることが出来るに違いない。
平九郎は明智光秀となった。
「この女、親の仇と言って、わしに斬りかかって来おった」と言って、女を配下に斬らせた。中身は光秀だ。「わしを誰じゃと思うておる~明智光秀じゃ~!」と叫び続ける女は狂人にしか見えなかった。
(先ずは光秀を始末してやった。次は信長の首じゃ!)
光秀は織田家家中で出世頭だ。信長に近づく機会など、直ぐに訪れると思っていた。だが、天下統一を間近に控えた信長は、最近、安土城の奥深くに籠ってしまっている。天下様としての威厳を保ちたいのだろう。配下の武将たちの前に姿を見せなくなっていた。
光秀となった平九郎はじりじりと時を待った。
折しも織田軍は毛利攻めの真っ最中だった。羽柴秀吉は総司令官として備中で毛利軍と対陣していた。丹波を平定し、近畿を統率していた光秀は信長より、秀吉を支援援すべく、中国に出陣すべし――との命を受けた。
「中国攻めじゃ!兵を集めろ~‼」
中国攻めの状況と京の情勢が刻々と光秀のもとに届けられていた。もともと、光秀は信長の意を汲むのに汲々としていた。信長の動向を見張る為に、身辺に情報網を張り巡らせていたのだ。
(ふん。小心者めが。信長ごときに首根っこを押さえられよって)光秀となった平九郎は苦笑した。
毛利攻めが仕上げの段階に入っていると考えたのだろう、秀吉は信長に書を送り、出馬を請うた。信長自身の出馬を請うなど、自信が無ければできないことだ。
秀吉の要請を受け、信長は安土城を出て京に入り、本能寺に宿泊したことが伝えられた。長男、信忠も一緒だ。こちらは二条城に泊まっている。京を押さえていることに油断しているのだ。少人数の供回りの兵を連れただけで、警備が手薄だと言う。
(まるで掌の中の雛鳥のようだ)
千歳一隅の機会だ。今なら、簡単に握りつぶすことができる。
(ついに時が来た!)
光秀は坂本城を出ると亀山城へと移った。戦勝祈願の為に愛宕山に詣でると、重臣たちを集め、信長を討つと宣言した。
「我が殿は狂われたか!」と危ぶむ家臣もいたが、戦国の世だ。見事、信長を討ち果たせば加増は間違いない。家臣たちは総じて「ついに我が殿の世が来る!」と勇み立った。
一万を超える大軍だ。万が一にも仕損じることはない。
「わが敵は本能寺にあり!」光秀は軍を反転させると、京を目指した。
明智軍は夜陰に紛れて洛中に迫ると、本能寺を急襲した。
「信長じゃ、信長の首を挙げよ!」
大軍で本能寺を押し包むと、力攻めに攻めた。光秀の猛攻にこらえ切れず、信長は火を放つと、自刃した。
ついで、光秀軍は二条城に信忠を囲んだ。信忠は逃げ延びることを潔しとせず、二条城に散った。
こうして、一夜にして信長父子を討ち取ることに成功した。
紅蓮に包まれた京の町を見ながら、光秀となった平九郎は(信長も討ち果たしてやったわ。片野秀治の娘よ。親の仇を討ってやったぞ。何処かで、この炎を見ているか)と思った。




