二之一.鉢の木④
「では、私は鎌倉へ向かいますので」と旅の途中で僧と別れた。
「世話になりました」と平九郎。
「女二人で心細いかもしれませぬが、心配無用です」と僧が言った。
何故と聞く前に、僧は背中を向けて歩き去ってしまった。
暫く歩くと、騎馬武者の一団がやって来た。野盗には見えない。だが、油断は禁物だ。道端に寄り、騎馬武者の一団をやり過ごそうとした。
騎馬武者の一団は二人の姿を認めると、馬を止め、先頭を走っていた武者が馬を降りて駆け寄って来た。
その姿を見た途端、慈悲が駆け出した。
「相模様!」
「慈悲殿!」
二人が手を取り合う。
何とやって来たのは相模太郎だった。「慈悲殿が生きていて相模に向かっていると聞き、街道を見張らせておりました。美しい女子が歩いて来ると聞きましたので、急ぎやって来たら、案の定、慈悲殿でした」と相模太郎は満面の笑顔だ。そして、「慈悲殿。心配めさるな。私が多田国忠を討ち果たし、父上の恨みを晴らして見せますぞ」と胸を叩いた。
頼もしい限りだ。
だが、一体、誰が、慈悲が相模に向かっていることを相模太郎に伝えたのだろうか?
その答えは春の訪れと共に明らかになった。
春、鎌倉から緊急召集の触れが出たのだ。
――いざ! 鎌倉へ。
だ。御家人たちは鎧を纏い、馬に乗ると鎌倉へと駆けつけた。
「慈悲殿。行って参る!」と相模太郎も鎌倉を目指した。
慈悲は晴れて相模太郎と夫婦になっていた。そして平九郎は慈悲の懇願を振り切って相模の館を出ると、旅の途中で知り合った武士と入れ替わった。
鎌倉武士としての生活を謳歌していた。招集の触れに血を湧き躍らせながら、駆けつけた。鎌倉中に武者が溢れ、言を違わず、痩せ馬に乗って駆けつけて来た佐野常世の姿があった。それを見て、平九郎は嬉しくなった。
諸将が居並ぶ中、北条時頼が姿を現した。出家をして、執権職は既に義兄の長時に譲っていたが、得宗家の長として武家の頂点に立つ人物だ。
時頼は佐野常世を呼び寄せると、「あの雪の夜、旅の僧は、実はこの自分であった。佐野殿、貴殿はあの時の言葉に嘘偽りなく、こうして鎌倉へ馳せ参じて来てくれた」と語りかけた。
あの旅の僧は北条時頼であったというのだ。
相模太郎に慈悲のことを早馬で伝えたのも時頼であったはずだ。
破れ鎧で平伏した佐野常世は「はっ! ありがたき幸せ」と叫ぶことしか出来なかった。
時頼は佐野常世に、あの晩の盆栽にちなむ加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三箇所の領地を新たに恩賞として与えた。
そして、「鎌倉を軽んじる者は許すべからじ。不忠者を討つ!」と諸将に多田国忠の征伐を命じた。多田国忠は招集に応じていなかった。
佐野常世が多田国忠に奪われた三十余郷の所領を全て奪い返してやるのだ。
「これは面白き戦になりそうだ」
平九郎の血が騒いだ。
「鉢の木」という能の一説をベースにしているのだが、前半部分は鎌倉時代に書かれたという「男衾三郎絵詞」という絵巻物に沿った内容になっている。