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うつりぎ  作者: 西季幽司
室町時代編
26/72

道芝の露②

 山名氏清の屋敷があった和泉堺に向かうと、既に保子の姿はなかった。

「陸奥守殿の御遺言を預かって来た。怪しい者ではない。奥方はどちらにいらっしゃる?」と家人を問い詰めると紀伊に向かったことが分かった。

 紀伊には氏清の叔父、山名義理(やまなよしさだ)がいる。義理を頼って再起を図ろうというのだ。

 平九郎は紀伊に向かった。

 途中、日野根まで来たところ、宿屋で武家の一団が通りかかり、輿に乗った貴人に何かあった様子で医者が呼ばれたという噂を聞きつけた。

 医者の話では、さる武家の奥方が胸に短刀を突き付けて自害しようとしたと言う。山名氏清の妻らしい。


 ――しまった! 間に合わなかったか⁉


 と思ったが、幸い、発見が早く一命をとりとめ、養生の為か根来に向かったと分かった。

 平九郎は根来へ急いだ。

 山名氏清の妻、保子の行方は直ぐに知れた。紀伊の守護、山名義理が根来に構えた屋敷にいるらしい。屋敷を尋ねると、難波三位というお付きの女房が現れて、「傷が癒えずに臥せっております」と言う。氏清よりの伝言を預かって来た旨を伝えると、「寝所でよければ会う」と言うことだった。

 平九郎は保子と会った。保子は生気の無い顔で、脇息にもたれかかり、何とか身を起こしていた。

「陸奥守殿より言付けを頼まれました」と氏清の言葉を伝えると、「左様でございますか」と短く答え、氏清の最後の様子を聞きたがった。

 氏清は和泉に戻り、再起は図るつもりで敵陣を突破しようとしたが、武運拙く、最後を遂げたことを伝えた。

「そなたは氏清殿をおいて、敵陣を駆け抜けられたのか?」

「氏清殿より、敵陣を抜け、奥方に届けよと言付けを頼まれました」

「あの戦いでは、我が息子たちも氏清殿をおいて戦場より逃げ申した。情けなや。汚らわしや。お話は確かに承り申した。どうぞ、お引き取りを」

 難波三位より奥方は意識が戻ってから、食べ物も飲み物も摂らず、薬すら飲もうともしないと聞いていた。氏清が危惧していた通り、後を追うつもりなのだ。

「奥方。死んではなりませぬぞ」

「氏清殿のいないこの世に未練はありませぬ。このまま生き恥を晒したくはありません」

「生き恥などと・・・」

「氏清殿を見捨てたものと、これ以上、話はございませぬ」と保子が冷たく言い放った。

 我が息子たちですら許せぬのだ。平九郎を逆恨みしても不思議ではない。このままでは氏清との約束を果たせそうもなかった。

「うぬぬ・・・仕方がない」

 平九郎はふうと息を吐いた。薄紅色の柔らかい光が溢れ、ふわふわとした雲のようなものが寝所に漂った。保子が朦朧として意識を失う――はずだった。

「ほう。うつりぎの術をお使いか」

 保子の言葉と共に、薄紅色の光が消え、寝所に漂っていた雲のようなものが消え去った。

「奥方・・・うつりぎの術をご存じなのか・・・」

 平九郎は驚愕の表情を顔に張り付けたまま尋ねる。

「・・・」保子は答えない。

「お願いでござる。うつりぎの術とは、何なのでございますか?」

 平九郎が詰め寄ろうとすると、「誰かある⁉ 客人がお帰りじゃ~!」と保子が病人とは思えないほど、しっかりとした声を上げた。

 平九郎は屋敷を追い出された。

 保子は、うつりぎの術について、何か知っていた風だった。だが、それが何なのか、聞くことが出来なかった。

 その後、「孝ならざるは子にあらず」と保子は子供たちを遠ざけ、会おうとはしなかったらしい。そして、日々、衰え、死んで行った。保子の胸には一枚の和紙が折り畳まれて仕舞われていた。

 和紙には、二首の和歌が記されていた。

 ひとつは山名氏清より送られた辞世の句だ。


――取えすは 消ぬと思へあつさ弓 引て歸らぬ 道芝の露


「こと成らねば生きては帰らず。道芝の露となる」と氏清は死を決していたようだ。

 それに対し、保子が返歌を添えていた。


――沈むとも おなじく越む 待しはし 苦しき海の夢の浮橋


 はなから保子は氏清の後を追うつもりであった。

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