平尾合戦②
明日は平尾に到着するという夜、無人となった一軒の農家に宿を取った。家主は戦を避けて何処かに避難したのだろう。
孫三郎は何度もため息を吐いた。明日にも合戦になるかもしれない。戦が嫌なのだと言う。
「お武家様ではございませぬか」
「わしに争いごとは向かぬのじゃ。血を見ることが嫌いなのだ」
「それでは武家は勤まりますまい」
「誠に」と孫三郎は苦笑いした。
「家人のいぬ間に、家を荒らすのは忍びない」と手持ちの干し飯で食事を済ませると、「明日は家まで送ってやろう」と孫三郎は甲冑を脱ぎ、床座に横になった。
「孫三郎殿」とにじり寄ると、「いや、桔梗殿」と孫三郎はうろたえた。
「あなたのお体が欲しいのです」
「わ、わしのようなものに、そなたのような美しい女子は相応しくない」
「戦がお嫌なら、女となって暮らしなさいませ」
「な、何を言うのだ」
平九郎がふうと息を吐くと、周りが薄ぼんやりと明るくなった。薄紅色の柔らかい光に溢れ、ふわふわとした雲のようなものが家中に漂っていた。
「さあ、孫三郎殿」
「・・・」何も答えない。孫三郎は恍惚とした表情を浮かべたままだった。
翌朝、福間孫三郎貞守となった平九郎はあばら家を出た。女となった孫三郎はすやすやと寝息を立てていた。
平九郎は駆けた。
「素晴らしい」
孫三郎の体は、平九郎の思いのままに動いた。孫三郎の体躯に平九郎の経験と技術が加われば天下無双だ。互角に渡り合える相手などいる訳ない。
平九郎は一気に山名の陣まで駆けた。
「おうっ! 福間孫三郎殿ではないか。貴殿の活躍、期待しておりますぞ」と山名氏清が自ら出迎えてくれた。
室町府侍所の所司であり、丹波、和泉、山城の守護を兼ねる有力者だ。その氏清が自ら出迎えてくれたのだ。福間孫三郎貞守に対する期待の大きさがうかがえた。戦が嫌いだと言っていたが、戦場では目立つ存在だったのだろう。
――楠木に味方したかったが、戦であれば、どこで戦っても同じことよ。
腕が鳴った。
朝から霧が出ていたが、日が昇るにつれ、霧が晴れてきた。霧の向こうに楠木氏の家紋、菊水の旗印が見えた。楠木正勝が率いる千の軍勢だ。
楠木軍も山名軍を認識したようで、陣を偃月の形に展開すると、山名軍を押し包もうと押し出して来た。
「我が軍は三千五百、少数の兵力を以て、大軍を押し包もうとは笑止! なれど、敵ながら見事な陣形よの」
山名氏清が側近にそう漏らす言葉が聞こえた。
楠木軍は結束の固さで知られている。よく調練されているようで、御大将の指示のもと、一糸乱れぬ動きを見せていた。
――楠木正勝という男、なかなかの戦巧者と見た。
平九郎が闘志を燃やす。
楠木軍は正面と左右から、盛んに矢を浴びせかけた。
「動じるな! 陣を崩すな! 掻楯に籠って、矢を防げ! 我が軍は数で勝る。楠木勢が疲弊した時を狙って攻め立てるのだ!」
山名氏清は馬で陣中を駆けまわりながら、動揺を鎮めた。
弓勢が弱まると、「それ、左右の軍勢を蹴散らせ!」と楠木軍の両翼を責め立てた。楠木軍はたまらず、兵を退く。相変わらず見事な進退だ。
今度は騎馬隊を押し立て、山名軍を挑発して来た。氏清は「陣形を崩すな!」とそれに乗らず、福間孫三郎を傍らに呼ぶと言った。
「貴殿の武勇、しかと目に焼き付けておきたい」
「陸奥守殿。確かに、承った!」
平九郎は馬の腹を蹴り、駆け出した。後に三百の騎兵が続いた。
平九郎は迎え撃とうとやって来た騎馬武者を鉾で薙ぎ払い、突き伏せ、払い飛ばした。あっという間に七騎の武者が、木の葉のように吹っ飛んで行った。
――化け物め!
それを見た楠木勢は二の足を踏んだ。
一気に山名勢が襲い掛かる。
楠木勢は総崩れとなった。
楠木軍を撃退した山名軍は将軍、義満の待つ和泉国久米田に向かった。
意気揚々と行軍する山名軍の中に、平九郎はいた。
途中、あのあばら家の前を通った。あばら家には美しい女と傍らには戻って来た家主なのか、若い農民が一緒に立っていた。
平九郎が頷くと、女がにこりと笑った。幸せそうだった。
――孫三郎殿。幸せになってくだされ。
平九郎はそう呟いた。




