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うつりぎ  作者: 西季幽司
室町時代編
22/69

観応の擾乱③

 桔梗こと平九郎は直冬の傍にいた。

 逃げ出す機会は何度もあったが、直冬を見捨てるような気がして、傍近くに仕え続けた。

「奇矯な女子よ」と直冬が言う。相変わらず、手を付ける素振りを見せなかった。

 折しも、室町御所では直冬の義父、直義と尊氏の側近、高師直との対立が高じていた。師直を排除しようとする直義に対抗し、師直は軍勢をもって室町御所を取り囲んだ。政争に敗れた直義は引退を余儀なくされてしまう。

 それを知った直冬は軍を起こし、上洛しようとした。だが、尊氏は先手を打って、直冬討伐令を発した。直冬軍は播磨で赤松氏により上洛を阻まれてしまった。その上、奇襲を受けて大敗し、九州へ落ち延びることになった。

 この間、桔梗は直冬に従って各地を転々としている。

「どこぞへとも行くが良い」と直冬は言うが、「殿について参ります」と桔梗は直冬の傍を離れなかった。

 戦乱だ。平九郎は戦場に身を置いておきたいのだ。

 尊氏より直冬に出家命令が下された。出家すれば討伐令は取り消すという条件だった。だが、直冬は、毅然として、この命令を拒否した。

 この頃、直冬は九州の豪族、少弐氏の娘を娶っている。

 少弐の娘は桔梗の存在を知ると、わざわざ訪ねて来て、「あなたが桔梗ね。直冬様のお傍にお仕えしていると聞いた。あら、あなた。器量良しね。ねえ、直冬様のこと教えてくださいな」と尋ねた。

「直冬様のこと?」

「ええ、そうよ。誰に聞いても父親に似て、戦上手だとしか言わないの。そんなことじゃなくて、食べ物は何がお好きなのかとか、暑がりか寒がりかとか、そういうことを知りたいの」

「さようで」

 器量は十人前だが、気の良い娘のようだ。この娘なら直冬を幸せにしてくれるに相違ない。

 出家命令に従わないばかりか、九州で勢力を拡大する直冬に危機感を持った尊氏は討伐軍を派遣し、自ら九州に下向しようとした。それを知った義父、直義は京を脱出し、大和に逃れた。そして、驚くべきことに、尊氏の宿敵であった南朝と手を結んだのだ。

 直義軍は京を制圧した。

 慌てた尊氏は軍を返し、京の奪回を試みたが、南朝の庇護を得て大軍となった直義軍の敵ではなかった。尊氏軍を蹴散らし、直義は政敵であった高師直を葬り去った。

 高師直を排除したことで満足したのか、直義は尊氏と和議を結んだ。もとは二人三脚で歩んで来た兄弟だ。尊氏の顔を立てる形で和議が整った。

「そうか。和議が成ったか」

 言葉とは裏腹に直冬の表情は晴れなかった。

「これで戦は終わりなのではないですか?」と少弐の娘が尋ねる。

 直冬は「一色が勢力を盛り返しておる。和議は長くは続かないかもしれない」と答えた。一色は直冬が武力で九州より駆逐した武将の名だ。

 直冬の顔は闘志で溢れていた。

(この殿はまだ戦い足りないのだ)と平九郎は思った。

 バサラ大名、近江の佐々木道誉が南朝側に寝返ったとの報告を受け、尊氏が都を出た。道誉と尊氏は莫逆の友だ。道誉は過去にも偽って敵方に走り、獅子身中の虫となって尊氏の勝利に貢献したことがある。尊氏を裏切ったとは思えなかった。

 危険を感じた直義は京を出た。今日の町は攻めやすく、守り難い。

 すると、今後は尊氏が南朝と講和を結ぶという驚天動地の禁じ手に打って出た。ここで形勢は逆転し、直義は連戦連敗し、尊氏に捕らえられてしまう。

 鎌倉の延福寺に幽閉された直義は急死してしまう。

 義父の急死を聞いた直冬は「尊氏に殺されたのだ!」と地団太を踏んで悔しがった。だが、直冬自身、一色勢に押され、九州を放棄するしかない状況に追い込まれていた。

「こうなれば捨て身の攻撃あるのみ!」

 九州を捨てた直冬は怒涛の勢いで京へ攻め上った。

「そなたは、ここで待っておれ」と直冬は少弐の娘を実家に返した。

「殿のこと、よろしくお願いします」と少弐の娘に頼まれた。言われなくても、桔梗は最後まで直冬に付き添うつもりだった。

 京へ攻め寄せた直冬を前に、尊氏は都を捨てた。京都は守るより攻めた方が良い。そして、軍勢を立て直すと、京を守る直冬に攻めかかった。

「最早、これまでか」

「殿。京はお捨てあそばせ。ここにいては勝てませぬ」

「うぬっ!」

 直冬は京を捨てた。


――そして、尊氏が死んだ。


 戦死ではない。背中の腫れ物が原因の病死であると伝えられている。

 九州へ落ち延びる途中、尊氏の死を伝え聞いた直冬は「一人にしてくれ」と部屋に籠ると、慟哭を始めた。いがみ合って来たが、直冬には、やはり尊氏は敵であるより実の父親であるという思いが強かったのだろう。

 父親に認められたい一心で、反抗を繰り返して来ただけかもしれない。

「もう疲れた。消えてなくなりたい」と直冬が言う。

「よろしいのですか?」

「尊氏亡き後、一体、誰に直義殿の恨みを晴らせと言うのだ?」

「世捨て人になりたいのですか?」

「ああ、全てを捨て去りたい」

「分かりました」

 桔梗は立ち上がると、するすると着物を脱ぎ始めた。

「何をする?」

「望みを叶えてさしあげる」

 桔梗がふうと息を吐く。辺りが薄紅色の柔らかい光に包まれた。

 こうして観応の擾乱と呼ばれる壮絶な親子喧嘩、兄弟喧嘩、派閥争いが終わりを告げた。その後の直冬の消息については、誰も知らない。

 教科書では後醍醐天皇のよる「建武の新政」が終わると、足利義満の北山文化まで一気に飛んでしまうイメージだが、その間に、まだまだ血で血を洗う争いがあった。かなり込み入っているのだが、「観応の擾乱」を直冬目線でなるべく分かり易く書いたつもり。

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