うつりぎの術②
月の無い漆黒の闇夜だった。
女は臥所から身を起こすと、床に脱ぎ捨ててあった着物に袖を通した。
身支度を終えると、女はすやすやと寝息を立てている男を見下ろして、にやりと残酷な微笑みを浮かべた。
「誰か~! 誰かある――⁉ 狼藉物じゃ~! 出会え、出会え~‼」女が声を上げた。
「御台様が一大事じゃ――!」
廊下を駆けて来る武者たちの足音が聞こえた。寝ずの番で、屋敷を警護している武者たちだ。
「御台様! 御免‼」からりと襖を開けると、どかどかと武者たちが部屋になだれ込んで来た。手に槍や刀をひっさげている。「御台様!」、「ご無事でしたか!」と口々に叫ぶ。
臥所で寝ていた男は、武者の乱入に驚いて、半身を起こすと、「きゃあ――!」と女のような悲鳴を上げた。そして、自分が半裸だと気がつくと、慌てて胸元を押さえた。
「不届者じゃ、この者を取り押さえよ!」
御台と呼ばれた女が臥所で茫然としている男を指さす。
武者たちが、わっと男に群がった。
「わらわの寝所に夜這いをかけてきた不届きものじゃ。即刻、腹を切らせよ。押さえつけででも、腹を切らせるのじゃ!」
御台が叫ぶ。狼藉者は取り押さえられた。
「な、何をするのじゃ~! わしじゃ。御台じゃ。おぬしら、分からないのか~⁉」男が叫ぶ。
男の声をかき消すかのように、御台が叫び続けた。「何を愚図愚図しておる。早く、この者を連れ出せ。庭に連れ出して、首を撥ねよ!」
「おぬしら、こんなことをして、ただで済むと思うな! わしを誰じゃと思っているのか~‼ 鎌倉殿に弓を引くつもりか~!」
武者たちに引きずられて、男が部屋から連れ出された。
正治二年、時は鎌倉時代。源頼朝の長子、二代将軍、頼家の治世が始まっていた。
世良田兼清は尼将軍と呼ばれた北条政子の寝所に夜這いをかけた不届きものとして、その夜の内に首を斬られた。
世良田は政子のお気に入りであったので、この事件に驚いたものが少なくなかった。夫、頼朝が亡くなって一年、髪を降ろした政子であったが、世良田との仲を疑うものが多かったことから、生贄にされたのではないかと噂された。情事が露顕したことを知った政子が世良田に罪を着せて口を封じた――そう人々は陰で噂した。
世良田は頼朝の不興を買い、遠ざけられていた新田家の家人だ。首を撥ねようが、政子に文句を言うものなどいなかった。
(ふふ。先ずは政子を始末してやった)
鎌倉幕府のある大蔵御所の奥深く、御台所として鎮座する北条政子は満足気な微笑みを浮かべた。
そう、北条政子は斎藤平九郎が成り代わった姿だった。
政子に辿り着くまでに、平九郎は何人もの男女にうつりぎの術を使った。男から女へ、そして女から男へと成り代わりながら、北条政子へ近づいて行ったのだ。そして、世良田へ成り変わり、政子と臥所を共にすることに成功した。
斎藤平九郎は奥州清川の斎藤氏の家人だった。いや、正確には下男に過ぎなかった。斎藤家で下男として働いていた時は、平吉と呼ばれていた。
源頼朝が平氏打倒の旗を上げると、奥州藤原氏に庇護されていた源義経は兄のもとに馳せ参じた。伊豆で挙兵した頼朝のもとへ急ぐ義経は、途中、清川の斎藤家に立ち寄った。その際、岩のような体躯をした平吉をいたく気に入った。
義経は斎藤家の当主に掛け合って、平吉をもらい受けた。そして、平吉に向かって「下男にしておくには惜しい男よ。これからは我が家人となれ。そして、存分に武功を挙げよ。そうだ。平吉では人に侮られよう。斎藤を名乗るが良い。名は・・・そうじゃな・・・我が名、九郎を与える。平吉と合わせ平九郎と名乗るが良い。斎藤平九郎、それが今日からそちの名じゃ!」と言った。
「あ、ありがたき幸せ――!」
平吉は斎藤平九郎となった。