南北朝②
杣山城に一人の雑仕女の姿があった。
名を桔梗と言った。美しい名前だが、器量は良くなかった。むっちりと肉付きの良い田舎娘だった。越前の国人の娘だという。
桔梗は新田義貞の身の回りの世話を焼いていた。先陣で荒くれ武者に混じって、怖くないのかと思うが、義貞の側周りを取り仕切っているとあって、桔梗に手を出す不届きものなどいなかった。義貞が越前に落ちて来て金ケ崎城に拠を構えてから、気がつけば、桔梗が陰のように寄り添っていた。
最も義貞は「天下第一の美女」と称された勾当内侍を妻に迎えたばかりだ。勾当内侍を京に残して来ている。桔梗になど、目もくれなかった。
それでも、桔梗は甲斐甲斐しく義貞の世話を焼いていた。
杣山城で桔梗の姿を認めた平九郎は「桔梗殿。このようなところにまで、お出でか」と呆れた。戦の最前線だ。女子供のいる場所ではない。
平九郎の顔を見た桔梗が訴えた。「おう。平九郎殿。何とかしてたもれ。殿はわらわをこの城より追い出そうとしておる」
戦場で無類の武勇を発揮する平九郎は義貞のお気に入りだ。義貞の側に控えることが増えるに従い、桔梗と接する機会が増えた。器量は良くないが誠心誠意、義貞に尽くす桔梗を平九郎は気に入っていた。
初めて、「桔梗殿」と話しかけた時、桔梗は飛び上がって驚いた。家族以外、男、特に平九郎のような若い男から話しかけられたことなど、皆無だったようだ。以来、会えば口をきく仲になった。
「殿の申される通りじゃ。こんなところに居ては、いつ何時、敵に攻め込まれるか分からない。早々に立ち去られよ」
「嫌じゃ、嫌じゃ。殿のお側を離れるなんて、わらわは嫌じゃ!」
桔梗はまるで子供の様に駄々をこねた。
「敵がやってくれば、誰も桔梗殿を守ってはくれませぬぞ。戦場で、端武者が女子を見つければどうなるか、桔梗殿にも分かっておろう」
「何と言われようと、殿のお側を離れるのは嫌じゃ」
「我儘を申すものではない。殿も桔梗殿の身を案じて申しておるのだ」
「我が身など、どうなろうと構わないのじゃ」
「何故に桔梗殿は、そうも殿のことをお慕い申すのじゃ?」
「ふふ」と桔梗は笑うと、「初めて殿にご挨拶申し上げてから、殿はわらわのことを名前で呼んでくださるのじゃ。桔梗とな」と答えた。
「そんなことでござるか」平九郎は呆れる。
醜女である桔梗は、男からちゃんと名前で呼ばれることすら無かったらしい。
「平九郎殿も好きじゃ。わらわらのことを名前で呼んでくださる。でも、殿の次じゃな」と桔梗は明るく言った。そして、「ああ~平九郎殿が羨ましい。わらわが男ならば、殿のお側にいて、お守り申すのに」と大声で呟いた。
「うぬ・・・」平九郎は桔梗の顔を覗き込んだ。桔梗は赤い顔をして、睨み返した。平九郎が尋ねる。「桔梗殿。その言葉に偽りはございませぬな?」
「わらわも武士の娘。二言はございませぬ」
「桔梗殿。こちらへ参られよ」