五.万人恐怖②
細川持春は「蘭を呼べ。誰も部屋に近づけるな」と近習に命じた。
蘭は下人の一人で、赤鍬衆と呼ばれる集団に属している。表向きは土木作業従事者の一人だが、蘭は敵情視察を専らにしていた。要は女忍者だ。
あの日、塀を超えて逃げ去った大名たちは、武士の風上にもおけぬ卑怯者との誹りを受けた。持春は果敢に立ち向かった忠義者となったが、そんなことで満足など出来なかった。
――あの者に一太刀お見舞いしてやらねば胸の内が収まらぬ。
小寺勝職。持春の前に立ち塞がった者の顔を忘れられなかった。腕を失った痛みが悔しさを一層、募らせた。
だが、右腕を失ってしまった。刀を振るおうにも、槍を突こうにも、左腕一本では勝職の敵ではないだろう。
やがて蘭がやって来た。
「何用でございましょうか?」
「今から、そなたに大事な使命を与える。身に着けているものを全て脱いで、そこに横になれ」
「身に着けているものを・・・?」
「そなたは細川持春となって生きよ」
「お戯れを――」
「案ずることはない。そなたはたいそう、知恵が回る。我が家を立派に盛り立てて行ってくれ」
そう言うと持春の姿が消え、蘭の周りを薄紅色の柔らかい光が包んで行った。
蘭は走っていた。
目指すは播磨、そこに小寺勝職がいるはずだ。
武家の棟梁、足利将軍が討たれたというのに、幕府の対応は鈍かった。幕府の面子を保つためには、一刻も早く討伐軍を起こし、赤松満祐の首を上げる必要があった。突然のことで大名たちが混乱していたこともあるが、強権的だった義教が亡くなり、ほっとしている大名が多いのだろう。満祐に同情するものも多かった。
その一人であったのか討伐軍の総大将に任じられた山名持豊は京から動いていない。この状況に、批判は時の管領でありながら真っ先に赤松邸から逃げ出した細川持之に集まった。持之は赤松満祐と結託して義教を亡き者にしたという噂が立つ始末だった。
細川持春は地団太踏む思いだった。
討伐軍に参加し、赤松満祐を討伐することは勿論、小寺勝職に一太刀浴びせてやらねば気が済まなかった。だが、右腕を失い、討伐軍に加わるどころか、当分は静養を強いられ、動けなかった。
そこで持春は蘭となって播磨を目指した。
膠着状態を破ったのは山名教清の美作侵攻だった。
山名一族の教清の軍勢が山名持豊本軍を後目に西から美作に侵攻すると、破竹の勢いで諸城を抜いて行った。これがきっかけとなり、山名本軍が北から、細川持常の指揮する大手軍が東から播磨に攻め入った。赤松勢は支えきれず、本城である坂本城に撤退した。それを追って、山名教清、山名持豊、細川持常の三軍が一塊となって押し寄せ、坂本城を取り囲んだ。赤松勢は平城である坂本城では支えきれぬと判断し、城を捨てて亀山にある城山城に走り、籠城した。
幕府軍は城山城を大軍で押し包んだ。
蟻のはい出る隙もない包囲網だ。赤松満祐とその一族は絶体絶命の状態だった。
明日は総攻撃という夜、山名教清はかがり火の側で城山城を見上げながら闘志を燃やしていた。
――この体なら小寺勝職と対等に渡り合える。城に籠っていないで出て来い。決着をつけてやる。
「ふむっ!」教清は城山城に向かって拳を突き上げた。
翌朝、籠城の気配を見せていた城山城の城門が開いた。十数騎の武者が討って出る。
「我こそは赤松満祐がいちの郎党、小寺勝職なり~死出の旅路に供してくれる良き武者はいないか~いざ、手合わせせん!」
先頭を駆ける武者の姿を見た途端、教清は駆けだしていた。
「そこなる武者は小寺勝職殿とお見受けした~我こそは山名教清なり~いざ、尋常に勝負、勝負~!」
「おう!山名教清殿か。御大将自らお相手くださるとは、かたじけない。我らが手合わせ、後々まで語り草とせん!」
小寺勝職は馬首を巡らすと、教清目掛けて突進して来た。大将を打たれては一大事だ。近習が教清を取り囲むように動く。
「一騎打ちじゃ! 道を開けよ」
教清は近習を追い払う。槍を構えると、手綱を巧みに操って馬首を勝職へ向けた。槍を構え、鞍から腰を浮かして、迎撃態勢を整えた。
血がたぎる。
(この時の為に生きているのだ!)
教清、いや平九郎はそう叫びたかった。生粋の武士である平九郎にとって、戦場での命のやり取りこそ、生きている証なのだ。
すれ違いざまに槍を合わせる。その衝撃に槍が跳ね上がる。強い。守護大名として近習にかしずかれて生きて来た教清とは鍛え方が違うのだ。
――負けるかもしれない。
とは平九郎は思わない。負けてなるものかと闘志を燃やすだけだ。
二人は馬首を反転させると、もう一度、槍合わせの為に馬を走らせた。心臓が鼓動する。生きている。平九郎は生きていることを強く感じだ。
戦場の武士たちが固唾をのんで、二人の様子を凝視している。
ガッツン! と再び、槍が激しく討ちあわされた。
「おう――!」戦場の武者がどっと沸く。
衝撃で、教清がどうと馬から転げ落ちた。馬上から槍を突かれると、ひとたまりもない。
教清が落馬したのを見ると、勝職は「組み合わん!」と自ら馬を降りた。
「おおおおお――!」
戦場で武者たちが地鳴りのような歓声を上げ始めた。
「かたじけない」
「なんの。願っても無き相手。こちらこそ、ありがたや」勝職が兜の下で白い歯を見せて笑った。
良き武者だ。
沸き立つ血潮に、平九郎は昇天しそうな幸せを感じていた。