さぷらいず・干し芋
『オリエンタルアート』シリーズ。ナンセンス物語です。
バンデンラ・ゴジジウは見知らぬ建物の中の椅子に座っている。彼が自分がそこに居ると気付いた時には「なんかヤバそう」だと直感的に思ったのだが案の定、次の瞬間部屋の上部から重厚感のある声が響きてきた。
『ごきげんよう、バンデンラくん』
バンデンラ・ゴジジウはこの男性のものと思われる声に聞き覚えはなく、更にに言えば自分の置かれている状況的にあまり悠長に構えていられないのは分かっていたのだけれど、それはともかくとしてこんなことを思った。
<あ、俺の事『バンデンラ』くんって呼んでくれてる…>
何故この瞬間にこんな事を思うのかと言えば、彼は吉岡末吉という本名であり、基本的に彼の周囲の人は師匠の木谷武志がよそよそしく『バンデンラ・ゴジジウくん』と呼ぶ以外は常識的な判断で『吉岡くん』と呼ぶからである。故に彼は見知らぬ人でも彼のアーティストとしての少し奇矯な名前を呼んでくれている事に結構感動していたからである。
<やっぱ、そろそろ俺もアーティストとして認知され始めてるんだなぁ…継続は力なり…それにしても俺どうしてここに居るんだろう、なんかあの、マジでなんか、あれで、、、>
深い感動が彼の自我呼び覚ましたのはいいけれど、既に彼の中では声の主のことよりもとても個人的な…得てして無内容な自省に立ち返る時間になってしまっている。
『バンデンラくん。先ずこちらの事を気にかけてくれないか?』
声の主は奇妙にも彼の考えている事が分かっているかのような反応をした。
「あ、はい。なんでしょう?」
注意をされたので学校の授業の際に上の空だった時に不意に先生に指された時のような反応をしてしまう末吉。
『バンデンラくん。突然だが君に一つの使命を与えなくてはならない』
「使命ですか?なんで?」
なんで?という部分には答えないまま声の主は続ける。
『君はこれから世界の人々に【ムラピ・へヴァル・ドリケン・アブリバイス・ヘルケンボ・ムボボボ・めらねったー】という概念を提示してもらう』
「ムラピ…何ですかそれ…?」
『【ムラピ・へヴァル・ドリケン・アブリバイス・ヘルケンボ・ムボボボ・めらねったー】という概念を日本語に翻訳しようとすると、【文明の特異点への収束を司る知的遊戯】と表現するのが妥当だと思われるが、それは現代文明には具体的な対象を持たない何かであり、言葉で知った所で役に立つものではない。とにかく君にはこれから【ムラピ・へヴァル・ドリケン・アブリバイス・ヘルケンボ・ムボボボ・めらねったー】という概念をそのまま君の頭脳に吹き込むから、あとは君の直観でそれを形象に顕して世の人に発表してもらいたいのだ』
「え…。困ります」
『どうしてだ?君は人類の中からその役割に選ばれた人間なのだよ?』
「え、だって俺には俺の表現したいものがありますし、やっと『オリエンタルアート』が認められ始めたんですよ?なんで自分のものじゃないものを俺が作らなきゃなんないんですか?」
アーティストとしては至極もっともな事を言うバンデンラ。けれど声の主はその憤りに対してこのように一喝する。
『バンデンラくん。君のオリエンタルアートなるものは中身があってないようなものだ。悪い事は言わない。【ムラピ・へヴァル・ドリケン・アブリバイス・ヘルケンボ・ムボボボ・めらねったー】の方に切り替えたまえ』
『オリエンタルアート』について理解のあるものなら、それがこの声の主の言った通りのものであるのは否定できないにせよ、声の主の提案はあまりに一方的である。
「いやです。それに俺のじっちゃんが言ってました。毒を喰らわばサルの真似って。人のものを真似しちゃダメだって、じっちゃんが言ってました。」
既に読者の中にはこのやり取りを追っているうちに頭痛がしてきた人もいるかも知れない。それは健全な反応であるから心配せずに最後まで話を辿っていって欲しい。とにかくバンデンラは明確に『拒絶』をしたのではあるが、ここで彼はある違和感に気付いた。
<あれ…俺別に椅子に座ってなくていいんじゃないか?>
そう。バンデンラは別に椅子に縛り付けられているわけでもなく自由の身であり、よくよく考えてみると声の主の話を丁寧に聴いている必要もないのである。周囲をよく見てみてみると、右の方に『ドア』がある事に気付いた。
「あなたには悪いけど、俺は俺の道を往きます。ゴーイングマイウエイ」
そう言って立ち上がって右の方に歩き出す。ドアの前で一旦深呼吸をして最後にバンデンラはこう言った。
「そう言えばあなたの名前を訊き忘れていました。あなたの名前は何ですか?」
『いいだろう。教えてあげよう。私の名は『アルベルト』だ。弟がいる』
「そうですか。ではごきげんよう」
『気を付けたまえ』
そして末吉は勢いよくドアを開いた。
そこは建物の外に通じていた。ただし、その先は『崖』になっていた。
「ええええーーーーーー」
勢いよく飛び出したものだからバンデンラ・ゴジジウはそのまま崖に放り出された。真っ逆さまに落ちてゆく。
【GAME OVER】
いつの間にか目の前にそんな文字だけが表示されている。
そこで彼は夢から覚めた。寝相が悪かったからなのか彼は布団から放り出されている状態で、外はうっすらと明るい時分であった。
「夢オチかよ。確かに夢の中で落ちたけどさ…」
すると末吉は夢の中の態度とは裏腹に、夢の中で声の主が言った謎の概念の名称を必死に思い出そうとしている。
「ムベべべ…なんだっけかな…」
夢の内容の必然からしてあまりに長い名称は記憶には残りにくい。ちなみにその日、彼は仕上げた作品を持参して例の館に向かう予定になっていた。