私は償いきれない罪を犯した花屋の娘です。フェリアーネ様、お許し下さい。
シェリーヌは叔父叔母が経営する花屋を手伝っている、16歳の娘である。
金の髪に碧い瞳、にこやかに対応するシェリーヌはお客さんに評判の看板娘であった。
男性客がシェリーヌ目当てに、よく花を買いに来る。
デートに誘われることだってある。
でも、シェリーヌは断った。
私はとても可愛いの。そして美人だから、こんな所で平凡な男と結婚して終わるなんてことは無い。
「いつか素敵なお貴族様に見初められて、玉の輿に乗るの」
そう言うと、叔父叔母夫婦は、
「変な夢を見るんじゃない」
「そうよ。シェリーヌ。お貴族様なんて、恐ろしくて堅苦しい世界なの。こうして毎日、ちゃんとご飯が食べられて、平凡に暮らせる。それが一番よ」
そうは言われても、やはり諦められない。
そんなとある日、一人の青年がよく花屋に訪れるようになった。
立派な馬車に乗って、花屋の前で降り、綺麗な花束を買っていくのだ。
薔薇の時もあれば、彩りが豊かな花を花束にする事もあって、
「婚約者の令嬢に持っていく花でね。自分で選んで用意したかったから」
そう言う青年は明らかに貴族の御曹司といった感じで。
シェリーヌは花束を用意しながら、出来るだけ彼とお近づきになりたい。
そう思ったのだ。
青年もまんざらでないようで、
「シェリーヌはとても可愛らしい。今度、私とデートをしないか?」
「えええ?いいんですか?」
「婚約者は堅苦しい人でね。君みたいな人と息抜きがしたかったんだ」
婚約者には悪いと思ったけれども、ちょっとデートをして美味しいものを食べるくらいなら。それに、もしかしたら婚約者を押しのけて、自分と結婚してくれて、お貴族様になれるかもしれない。私がお貴族様の奥様?素敵なドレスを着て、美味しい物を食べて、贅沢に暮らして。
凄く憧れた。
だから、シェリーヌはその青年に誘われるまま、とある日、デートをすることになった。
自分が持っている服の中で一番お気に入りの水色のワンピースを着て、彼が花屋に迎えに来てくれたので、その馬車に乗り込む。
花屋の二階に叔父叔母と住んでいたので、叔父叔母には止められたのだけれども、シェリーヌは振り切って、馬車に乗り込んだ。
青年はブラッド・リッケル、リッケル公爵家の息子だと名乗った。
リッケル公爵家といえば、有名な高位貴族である。
シェリーヌはあまりの幸せに、ドキドキした。いずれは公爵夫人?この私が???
ブラッドはシェリーヌの耳元で囁いて、
「私は君の事を好ましく思っているよ。だから、今日はうんと楽しもう」
「ええ、楽しみにしています」
豪華な食事処へ連れていってもらった。
二階の個室で、出てくる料理は、食べた事のない高級な料理ばかりで。
美味しくて舌がとろけるような肉のスープ、ふわふわのパン。他にも魚料理や、美味しいサラダ等、色々と出て来て、シェリーヌは夢中になってその食事を味わった。
ブラッドは、
「喜んでくれてよかった。食事が終わったら、洋服やアクセサリーを買ってあげるよ。君は青い色がよく似合うから、ブルーのドレスでも買ってあげようか」
「わぁ、嬉しい。ブルー好きなんです」
素敵なブルーのドレスをお店で買って貰って、ドレスに似合う宝石をあしらった首飾りや、耳飾りを買ってもらった。
なんて幸せなんだろう。
ブラッドはシェリーヌを抱き締めて、
「楽しかったよ。ああ、そうだ。少し休んでいかないか?私の知っている宿があるんだ」
幸せに浸っていたシェリーヌは思いっきり頷いて、一緒に馬車に戻ると、宿へと向かった。
ブラッドに望まれるまま、その夜に身体を許してしまった。
ブラッドはシェリーヌを抱きながら、
「結婚しよう。君みたいな子が私の理想だ。なんて可愛い。なんて愛しい」
何度も何度も囁いて愛してくれた。
疲れ果てて、朝まで彼の腕の中で幸せに浸って眠っていたシェリーヌ。
その時、宿の外が騒がしく、いきなり部屋の扉が開け放たれた。
「ブラッド。やはり、貴方、また、浮気をしていたのね」
「フェリアーネ様。こ、これは浮気ではなくて」
「浮気ではなくて?裸の女とベッドに共にいることが浮気でないと言うの?」
シェリーヌは驚いた。
銀の髪のそれはもう、美しい女性。
一目で貴族と解るその女性はどうも彼の婚約者らしい。
シェリーヌは身を起こして、その女性に向かって叫んだ。
「貴方の事、堅苦しいと言っていました。だから私が癒してあげたの。私の方が結婚するにふさわしいわ。だって、私、彼に愛して貰っているんですもの。美味しい物も綺麗なドレスも、私を愛しているから、ブラッド様が私にくれたの。だから、諦めて。私はブラッド様と夕べ結ばれました。結婚するの。ブラッド様と結婚するのよっーー」
フェリアーネと呼ばれたその女性はシェリーヌに向かって、
「何度目だと思っているのかしら。女の子に近づいては、適度な物を買い与えて、その身体を楽しんでいる、ブラッドは女癖の悪い屑よ。ああ、もう、いい加減に婚約破棄したいわ。こんな屑男」
ブラッドは素っ裸のまま、床に土下座をする。
「許して欲しい。君の家に婿入りすることが決まっているんだ。婚約破棄をされたら困る。この女が俺を誘ってきたんだ。悪いのは俺をたぶらかしたこの女だっ」
酷いっ。シェリーヌは自分に罪をなすりつけてきたブラッドに驚いた。
あああ、この男は自分を騙したんだ。結婚を餌に美味しい物を食べさせてくれて、素敵なドレスを買ってくれて、そして、この身体をもてあそんだ。
「酷い。ブラッド様……私と結婚してくれるって言ったのに」
「お前なんて知らん。さっさと出ていけっーー。俺は今、謝罪に忙しい」
シェリーヌは服を着ると、泣きながら宿を出て行った。
家に帰ると、叔父叔母夫婦が心配していたみたいで、
「こんな時間まで何をしていたんだ?」
「そうよ。心配していたんだから」
「何でもない。何でもないわっーー」
二階にある自室にこもるシェリーヌ。
あああっ。私は夢を見ていたんだ。夢を。
昨日は幸せだったな。素敵な体験をした。でも、今朝は地獄だったな……
もう、二度と男には騙されない。夢を見ない。シェリーヌはそう誓った。
そんな悪夢も忘れようとしていたとある日、月の物が来ないと思ったら、シェリーヌは妊娠していた。
ブラッドの子である。
叔父叔母夫婦に内緒で医者に診てもらったのだが、二人が心配するので、妊娠の事は言えない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
おろす事はこの王国では認められていないのだ。
産むしかない。
ブラッドの子を?あの屑男の子を?
でも、ブラッドの子なら、ブラッドに責任をとってもらわねばならない。
リッケル公爵家の息子だと言っていた。ブラッド。もう、二度と男には騙されない。夢を見ない。そう思ってはいたけれども……子供が出来た事で、ブラッドに会いたくなった。
きっと、ブラッド様はあの公爵令嬢の手前、ああいう態度を取ったのだわ。本当は私に会いたいに違いない。
王都にリッケル公爵家の屋敷がある。
そこへ行って責任をとってもらおう。
そう、シェリーヌは思って出かけた。
門番に向かって、お願いする。
「ブラッド様の子を授かったのです。私は花屋のシェリーヌ。どうか、ブラッド様に会わせて下さい。この子はブラッド様の子なのです」
門番は、冷たい様子で、
「リッケル公爵家に婿にくるはずの、ブラッド様?クルス伯爵令息の?」
「え?では、もしかしてフェリアーネ様の?」
ブラッドは婚約者の家の姓を名乗っていたようで、困っていたら、馬車が門の前で止まって、中からフェリアーネが降りてきた。
「あら、貴方は、いつかのブラッドの浮気相手ね」
「フェリアーネ様」
「名を呼ぶことを許してはいないわ」
「だって、フェリアーネ様でしょう。私、ブラッド様との子がお腹の中にいるのです」
「まぁ、ブラッド様との子?だったら、貴方、話があるわ。屋敷の中へ」
屋敷の中へ連れて行かれるシェリーヌ。
豪華な客間のふかふかのソファに座って、シェリーヌは、あちこちを見渡して、ドキドキする。
なんて豪華な、なんて凄い世界。
暖かい飲み物が用意されて、シェリーヌは飲み物を飲んで、ほっと息をつく。
フェリアーネは呆れたように、
「貴方、どうするつもり?ブラッドはこの家に婿に来る予定なのよ。来月に。わたくしと結婚します。わたくしは入り婿に愛人を認めるなんて事はしないわ」
「で、でも、私、ブラッド様の子をっ」
「ずうずうしい平民ね。貴方とわたくしは生きる世界が違うの。産むのなら産んでかまわない。おろす事は認められていないから。でも、我が家とは関係ないわ。二度と、顔を見せないで頂戴」
「でも、ブラッド様の子ですよ。ブラッド様が父親で……」
「だから、言ったでしょう。ブラッドはこのリッケル公爵家の入り婿になるのよ」
涙が零れる。ブラッドの子を身ごもっているのだ。ブラッドに産んだ子を抱いて貰いたい。
子供だって認めて欲しい。
フェリアーネに睨まれた。
「しつこいと、殺すわよ。わたくし、ブラッドを婚約破棄しないから。だって、わたくしだって、ブラッドを愛しているの。婚約破棄しようと思ったわ。あまりにも浮気癖が酷いので。でも、わたくしはブラッドが好き。あの綺麗な顔で微笑まれると、たまらなく幸せになるの。だから貴方は二度と、関わらないで頂戴。本当なら貴方の事は殺したい程、憎い。いいわね」
諦めるしかなかった。
リッケル公爵家を出ると、馬車が止まってブラッドが降りてきた。
じろりとシェリーヌは睨まれた。
「なんだ?何用だ?」
「ブラッド様。子が出来ました。あの夜の子です」
「俺は知らない。他の誰かの子だろう?」
「ブラッド様以外に、私、身体の関係を持ってなんていません」
「馬鹿を言うな。俺を破滅させる気か?俺はリッケル公爵家に婿に入るんだ。お前なんて本当は声をかける事も出来ない高位貴族なんだよ。二度と関わるな」
シェリーヌは、今度こそ、認めるしかなかった。
自分は騙されたんだ。ただ、身体目的で遊ばれたんだ。
自分は虫以下だ。どうしようもない屑だ。
死のうと思った。
あれから数年経った。
あの時の子は男の子で5歳になって、やんちゃな盛りだ。
シェリーヌは、とある伯爵家でメイドとして、働いている。
川に飛び込んで死のうとしていた所を馬車で通りかかった伯爵令嬢アイスリーナに助けられたのだ。
アイスリーナは、シェリーヌの身の上話を馬車の中で聞いてくれて。
「わたくしも、ブラッド様に騙された一人だわ。身体の関係までは結ばなかったけれども、彼はとても口が上手かったから。本当に許せない。貴方、よかったらわたくしのメイドにならない?子供を我が伯爵家で産むといいわ。貴方は悪い事をした。人の婚約者と身体の関係まで持ったのだから、それはわたくしも同様。彼に騙されて一時期は付き合ったりしたわ。彼に騙された令嬢は大勢いたから、リッケル公爵家から慰謝料は請求されなかったけれども」
とても、同情してくれた。
なんて自分は愚かだったのだろう。なんて自分は自分勝手な夢を見ていたのだろう。
働きながら、そう反省した。
息子のルイスはブラッドの面影がある。
それでも、可愛い我が子。愛しくて仕方がない。
そんなとある日、フェリアーネが尋ねてきた。
驚いたのはアイスリーナも同様で、慌てて客間にフェリアーネを通した。
シェリーヌと、ルイスに会いに来たそうで、恐る恐るルイスを連れてシェリーヌは客間に足を運んだ。
「まぁこの子が、ブラッドの子なのね。わたくしに抱かせて欲しいの」
ルイスをフェリアーネは抱き上げた。
「ああ、本当にブラッドの面影があるわ。有難う。会わせてくれて」
シェリーヌは床に両手を頭でついて、謝罪する。
「ご迷惑をかけてしまって申し訳ございませんでした。私、本当に愚かでした。ブラッド様と身体の関係を持ってしまって。フェリアーネ様の婚約者だったのに」
「いいのよ。ブラッドはもう、この世にはいないの。病で亡くなったわ」
「え?」
「二週間前の事よ。突然倒れて。わたくしはブラッドの事を愛していたわ。今でも、愛しているのよ……酷い男だった。浮気三昧で、本当に入り婿の癖に。それでも、わたくしは愛していたのよ」
涙を流すフェリアーネ。
アイスリーナがハンカチを差し出して、そのハンカチで涙を拭いて、
「彼の子を見たかったの。わたくしには子が出来なかった。ああ、親戚から養子を取ることにしたの。その養子がリッケル公爵家を継ぐことになるわ。この子の名前はなんていうのかしら」
「ルイスです」
ルイスはフェリアーネを見て、にっこり笑った。
「ルイス。立派な大人になるのよ。いいわね」
「はいっ」
フェリアーネは帰っていった。
次の日、アイスリーナから驚く事を聞いた。
フェリアーネが夫のブラッドを殺したと騎士団に自首したのだ。
あまりにも浮気が酷くて、メイドに手を出して、もう耐えられないから毒を飲ませて殺したと。
シェリーヌはその事件を聞いて、ぞっとした。
自分はよく命があったものだ。
命があったのは単に運がよかっただけなのか?それとも……
フェリアーネは本当にブラッドの事を愛していたのだ。
アイスリーナに頼んで、牢に入っているフェリアーネの世話を願い出た。
高位貴族のフェリアーネの牢は、牢と言っても普通の平民の家よりは、立派な部屋の作りで。扉に外鍵が、横に小窓がついているだけで、中は広く出来ていて。
ドアの横の小窓から食事を差し入れるシェリーヌ。
「フェリアーネ様。シェリーヌです。お世話をする係になりました」
「まぁ、シェリーヌ。ルイスは元気?」
中から明るい声が聞こえてきた。
「はい。毎日、元気に走り回っております。フェリアーネ様。これから、私は毎日、お世話しますから、不便があったら言って下さいね」
「有難う。わたくしね……本当にブラッドを愛していたの。だから、もう耐えられなくて。
あの人は沢山の女性を騙して、楽しんで来たわ。口先だけは上手いし、あの通り綺麗な顔をしているでしょう。わたくし、本当に本当に彼の事が好きだった。彼は優しい所もあったのよ。よく花束をくれたわ。プレゼントもくれた。ブラッドの子が産みたかった。何で貴方に出来てわたくしに出来なかったのかしらね……」
心が痛かった。
フェリアーネの言葉が胸に刺さる。
こんなにブラッドの事を愛している人を裏切って、愚かな事を言って、傷つけたんだ。
それから、フェリアーネに毎日、食事を運んで、時にはお話をした。
フェリアーネはルイスの話を聞きたがった。
「ルイスは今日も元気に遊んでいたの?」
「はい。アイスリーナ様の屋敷の庭を走り回って、チョウチョを追いかけておりました。本当に虫が好きで興味を持って、変な虫なんて持ってこられたら困るので、そういう虫はお外が好きだからお外へ逃がしてあげましょうねと、言い聞かせています」
「まぁ、本当に男の子って、可愛いわね」
小さくため息をつく、フェリアーネ。
フェリアーネは、
「わたくしの処刑が決まったの。貴方とこうして話が出来るのも後、少しね。貴方の事は憎かったけど、今はもういいわ。わたくしはやっとブラッドに会える。最後に、わたくしを世話してくださって有難う。ルイスの話、楽しかったわ」
シェリーヌは小窓越しに手を差し出した。そして、フェリアーネの手を握り締める。
彼女の手は涙で濡れていた。
それから一週間後、フェリアーネの処刑が行われた。
処刑はひっそりと行われ、フェリアーネは首を処刑人に斬られた。
シェリーヌは世話をしていた関係で、処刑の様子を牢番から聞く事が出来た。
最後まで、動じることなく、立派な死に様だったと……
本当にフェリアーネ様はブラッド様の事を愛していたのですね。
ごめんなさい。愚かな自分でごめんなさい。
今度、生まれ変わったら二度と、人の婚約者は盗りません。
恋愛なんて絶対にしたくはない。
今は可愛い息子を立派に育てる事を考えて、アイスリーナの屋敷で一生懸命働こう。そう思うシェリーヌであった。
シェリーヌは一生結婚しなかった。
ルイスは立派な若者になり、アイスリーナの息子を支えて伯爵家を盛り立てた。
ひっそりと、共同墓地に葬られたフェリアーネの墓には、綺麗な花がよく供えられていたと言われている。