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血の呪い

 しばらく安定していたクスコが久しぶりに吐き気をもよおし、よたよたと危なっかしい人間のか細い足取りもあり、オレも女子便所までついていかなければならなくなった。


 そもそも、ここはどこなのだろう。街の中にしては静かすぎるし、オレたちみたいな戦争上がりのはぐれ者を閉じ込めておくには不用心すぎる。


 オレもクスコも他の連中も何人かは猫背とケツが丸出しになった患者服を着せられ、病院という可能性も考えられたが、どこまで行っても同じ見た目で人間性の欠片もない無機質な廊下が無限に続いていた。


 全くもって退屈極まりない。単純な動物ですら、この建物を作った何者かの才能の無さに絶望して自殺する。これが彼の有名な機能式建築というやつだ。


 たった一日で驚くほど消耗して弱々しいかぎりのクスコを猫背で温めながら、同じところをぐるぐると三周ばかりしたところでオレの本能が閃き、なんとか便所を探し当てた。


 男か女かの案内もない共有便所であったが、意外と重い人間娘をおんぶした状態でオレの鼻づらがクスコの嘔吐物でデコレーションされるのも癪だし、誰もいないのを念入りに確かめてから個室のドアを開ける。


 まあ、獣人がケツの菊門からため糞をひねり出して放置したコンビニのトイレよりは、いくらか綺麗なようだが。オレはクスコを下ろして楽なようにさせ、あとは手の肉球で細い背中をすりすりとして思いきり吐かせておいた。


 年下の下級将校らしい短い黒髪のおかげで手間は少ないが、姉妹そろって口うるさい人間娘だから、あとで何か言われないように一応は前髪も上げておいてやる。


 これも腹の子供が影響しているのだろうが、なんとも面倒臭い。クスコの姉がメグを孕んだとき、オレは種親として玉袋を搾られただけだったし、つい最近までメグの存在すら認識していなかったから、自分の子供を身籠っている女の云々を見るのは初めてであった。


「もっと、すりすり」


「へえへえ」


 まるで口から排泄しているような状態のクスコが必死に言うもんだから、オレも少しは気の毒に思って素直に背中をさする。


 そうすると、また景気良くクスコが吐きはじめてしまい、はたしてオレは助けているのか殺そうとしているのか分からなくなってしまう。


 だが、どれだけ苦しんでいてもクスコの手はよく動き、姉に似て意志の強さを感じさせる凛とした褐色肌の顔は便器に突っ込んだまま、オレの毛深い手を掴んで自分で自分の背中をごしごしと強くさすり続ける。


 オレの毛にまみれた手は人間からすれば大きすぎるが、クスコは孫の手のようにして器用に使いこなし、たまに脇腹を掻いたりして孫の手の本来の意味も果たさせていた。


「ホントに大丈夫かよ。なんか不安だな」


 あらかた吐き終えてぐったりとするクスコの姿は、凌辱されて穢された捕虜のよう。人間の世界じゃ男にも人権があるらしいが、オレの故郷では、こういう風になるのはもっぱら男の方であって身体もメスの方が大きいというオマケつきである。


 これも文化の違いか。女が凌辱されるというのは、なかなか想像しにくい。


 しかし、さっきまで交尾していたのもあって、クスコの股ぐらの下で白濁とした体液が溜まりとなっているのが風流であった。


「どいつもこいつも、わたしを姉さんと比べたがる。わたしが姉さんより劣るのは、他でもない自分がよく理解している。わたしは軍人としても母親としても、一族で最も優れていた姉さんに遠く及ばない。そんな当たり前のことを言われるのにも飽き飽きだ」


「いや、そこまでは言ってねえけど」


 夜中に二人きりになると、クスコは毎度この調子であった。


 由緒ある血筋は、相応の野心を抱く天才には最高の養分となるかもしれないが、そういう一個人の枠を大きくはみ出た身の程知らずな破滅願望を持たないオレたちには、古臭いだけの重荷でしかない。


 オレも母親の複乳に吸いついていたころは、ずいぶん悩んだものだけれど、広いようで狭い獣人社会や血に刻まれた戦闘本能を忘れるために、こんな銀河の赤道にある新しい植民地まで来て船長をやっているのだ。


 クスコも実家のことなんか忘れて好きにしていれば楽だろうに、オレとは違って冗談が通じないほどに根が真面目すぎるのは、銀河で最も融通が利かないエルフの血が混じっているのかもしれない。


 ヒマさえあれば、銀河を火の海にする本物の悪党であるオレの母親と比べれば、人間の名家のしきたりなんて便器にこびりついた小便のシミも同然だが。


 有望な姉たちが戦争で消えて最後に残った本家の娘がクスコであり、これを表だけでも元気づけて人の世界に戻してやらないと、結局は種親役のオレの責任になってしまう。


 しかも便所でつわりと泣き言を吐かれているのも問題だ。ちょうど個室の戸の内側には、上着かカバンをかけるフックがネジ留めされているし、あそこに支給品のベルトを引っかけて首つりでもされたら、たまったもんじゃない。


 人間と獣人の名門筆頭が戦うことになれば、それは銀河の危機である以前に、オレの存在が故郷の母親に知られて抹殺されるだけなら、まだ世の中にも救いはある。


 万が一、生きて連れ戻されるようなことになれば、一族の血をさらに銀河へ浸透させるために死ぬまで子作りを強いられるのだ。


 即応艦隊およそ十万を一週間以内にここへ派遣することなど、オレの母親なら容易い。


 数百の種族が併合された獣人社会において、最も強大かつ残酷な軍閥の長として何十年も私腹と子宮を肥やし続けるのがオレの母親であり、オレは嫡男というのもあって最低でも一万は子供を作る義務を生まれたときから課せられている。


 ここでクスコの青臭い感情につけ込んで弄びながら、快楽のために子供を作ることがオレにとってどれだけの贅沢であるか。


 そうして自由に恋愛と交尾を楽しみ、給料より休みが多い仕事を探して適当に生きる。それが銀河で最も幸せな暮らし方なのであった。


「そこの二人」


「あー?」


 この立て込んでいる最中に、また別の女がやってきてオレたちを呼んだ。


 風の音のように透き通った耳障りの良い女声だったが、オレの頭の上の獣耳がぴくぴくとしていることからも分かるように、ただ用を足そうとして偶然に居合わせたのではない。


 まだクスコは便器の前でうずくまっていたから、オレが個室から鼻づらを出して覗いてみれば、そこには廊下から差し込む蛍光灯の強い光に照らされた人間と同じか、それ以上に細く見える肢体からしてオレの母親の手先ではないだろう。


 それでも、この銀河には油断のできない危険な生き物が数えきれないほどいる。


 スカートとヒールで武装した女性士官というのは見慣れたものだけれど、その上に大層な白衣をまとい、顔の横からピンと長い耳を突き出させているのは、ある意味で男に飢えた女獣人よりタチが悪い。


 それが四勢力のひとつ、エルフというものであった。

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