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希望的観測

 ところが、ふと目を覚ましたときには何もかもが消え去り、オレはぴこぴこと癪に障るバイタルモニターの機械音を子守歌にしてベッドに寝かされていた。


 オレの鼻づらにもぴったり合う細長い呼吸器まで取り付けられ、右の腕にはちくちくと地味に痛む点滴の管が突き刺されている。


 もし、めでたく一思いに死ねたのなら、ここが天国だろうと地獄だろうと病院で無駄な治療を受けることなどない。オレは不幸にも生き延びてしまい、あのとき、何が起こったのか正確に思い出すこともできずに入院費だの弁償だのと大金を請求されるのだろう。


 そんな大金をボロ船の船長が持ち合わせているわけがないと知っての嫌がらせ。どこの政府も役人もそういう弱い者いじめが大好きなのだ。


 だが、まだ医者から請求書を渡されないうちに逃げてしまえば、法的にもオレが払わされる義務はなくなる。そういうわけで、オレはそっと点滴と呼吸器を外してから起き上がり、未練がましい女みたいにオレを縛るバイタルモニターを押して逃げようとした。


 足裏の肉球に体重をかけて音もなくドアのところへ行き、地雷線やセンサーが仕掛けられていないのを慎重に確認してから、ゆっくりと引き戸のノブに手のツメで触れる。


 そして、ちらと視界の端に捉えた他人の顔が気になって振り返ると、そこには隣のベッドで眠りこけているクスコがいたのだった。


「むう・・・」


 ただの愛人の分際で女房気取りの口うるさい人間娘であったが、顔中にガラスの破片を受けて手ひどくやられた顔を見たら、オレも多少は気の毒に思う。


 これが獣人なら鼻づらが欠けても褒められるけれど、嫁入り前の人間の小娘、それも下級貴族とはいえ選ばれた血筋の令嬢の顔に傷が残っては結婚もできない。クスコの子宮には、まだ人の形もしていないであろうオレの子供も収まっており、なんだか他人事として割り切れなくなってしまった。


「逃げようとしても無駄だ。部屋の外にはヤツらがいる」


「なんだ。起きてんじゃねえか」


 オレはそう言って大きなため息をつき、諦めて自分のベッドに戻った。


「で、ヤツらって誰だよ。警備局か」


「言っただろう。この事件は銀河捜査局の管轄だ。我々がしくじった以上、ヤツらは大手を振って権力を自由に行使できる。あの場にいた貴様はもちろん、わたしや警備局の隊員も場合によっては試験管に入れられて解剖されかねない」


「ふうん」


 割と深刻なふうに聞こえた気もするが、戦争に行かされるよりは確実にマシだろう。勇ましく戦って文字通り、イヌ死にさせられる獣人の軍隊ほど地獄に近い場所は銀河にないし、警備局の税金泥棒と違って大人しく殺されるほどオレもバカじゃない。


 黒ずくめのマリア。あの女の得体の知れない力には少し油断して病院送りとなったが、ああいう超能力でなく科学と肉欲で説明がつく相手なら、誰だろうと軽くハメ倒す自信はオレの中でなお燃え続けているのだった。


「それより、メグは? 貴様と一緒に逃げたと聞いたのだが」


「さあな。もう死んでるだろ。あの黒ずくめに追い詰められて銃を抜いたところまでは覚えてるんだけど、その後はさっぱり」


 オレがウソ偽りのない事実を報告すると、クスコはまた包帯にまみれた顔で分かりやすく動揺し、反射的に起き上がろうとしたが身体がついてこなかった。


 この部屋には窓がないから、あれからどれだけの時間が経ったかは分からない。何もかもが不明のまま事態は急速に進んでいるが、たかが六歳児が街中で遺物を振りまわして破壊のかぎりを尽くすテロリストに追われ、いまも無事でいるのを考えること自体が非現実的だ。


 どうしようもない。そういう運命だったと素直に受け入れ、いま、その腹の中にいる子供に付ける名前でも考えた方が話も明るくなる。


 ただ、クスコがそんなに賢い女であったなら、オリも苦労などしないのだった。


「メグを探さないと。姉さんとの約束を果たす」


「あっそ。オレは行かねえからな」


 それは、全くもって真剣だったのだが。クスコがどこからともなく銃を取り出してオレの鼻づら目がけて構えたからには、完全に不本意だけれど、冗談としてごまかし通すしかオレには道がなくなってしまった。


 あれっきり、中古の銃まで失くしたオレの立場はさらに弱くなり、お互いによろよろとして年寄り染みた取っ組み合いしかできない状況では、整備された十五発入りの小口径自動拳銃を手に持つクスコの方が圧倒的に偉いのである。


 いくら獣人といっても、骨と肉と血で出来ている鼻づらに対人用のホローポイント弾を撃ち込まれて死ななかったのは、オレの母親ぐらいなものだ。


 そうではないオレは全身の毛とシッポを逆立たせて両手の肉球も見せて降伏し、とにかく謝ることしかできなかった。


 怒りと焦りと無力感で引き金から指が離れなくなってしまったクスコは、警備隊長というプロとしての一分を噛みしめ、オレの鼻づらを撃ち抜く代わりに、鋼鉄の拳銃の底でオレを叩きのめすことで気分を落ち着けたらしい。


 オレの頭の上の獣耳の間に、それはそれは大きなタンコブが出来てしまったが、とりあえずは生きているわけだし、それで良しとするべきだろう。


 鈍い激痛が脳天の奥底でぐるぐると渦巻き、鼻づらを抱えて丸くなるオレのすぐ横の電話が鳴ったのは、その直後のことである。


「もしもし、パパですか?」


「違います」


 オレはそう言って受話器を戻し、念のために、本体の後ろから伸びる電話線も引きちぎってベッドに戻った。

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