平日の戦争
その後のことは、はっきり言って覚えていない。状況は教科書にある通りの出来すぎた展開だったし、丸腰の小ずるい泥棒女を捕まえる程度のことは、戦後の軍縮でまとめて解雇された連中の再就職先としてあった警備局の雑兵でも楽にできる仕事であった。
だが、その黒ずくめの人間娘、たしかマリアとかいう偽名で通していたことも瞬間的に思い出したのだが。
オレの目の前でマリアがかっとして目を見開かせて力を込めた途端、ここを起点として強烈な衝撃波が撃ち放たれ、街の建物や道路を行く電気自動車、その場に居合わせた生命体の全てが吹き飛ばされて動かなくなったのである。
軌道爆撃や衛星砲撃で町ごと焦土になった光景は戦場で山ほど見たけれど、マリアの不可思議な一撃で電気系統と人の喧騒を残らず破壊された街は、それだけで戦場と大して変わらないほどに無残なもの。
それは、爆心地のすぐ隣に座っていたオレも例外ではなく、しばらく誰かに引きずられて意識を失っている間に、見知らぬ路地裏まで辿り着いていた。
「んぐう・・・」
まるで死んだように毛玉姿が重い。これが戦争なら、身体に流れる毛深い血が勝手にたかぶって疲れも痛みも何も感じないのだけれど、平日の街中で突然に戦場が発生してしまったせいで獣人の本能すら追いつけなかったということだろう。
それでも、現実に戦争が起きた以上、のんきに寝ているヒマなどないのだ。身体中の骨が歪んで軋むような違和感が全身に渦巻いているが、オレは意識を集中させて身を起こし、近くの壁に猫背を押し当てながら辺りを見回した。
「パパ」
こんなときに自分の種汁で受精卵となった娘を見るとは、なんと子供想いの良い父親になってしまったのだろうか。
人間は孕みやすいという以外は母体として不適格だし、獣人のように大量の子供をぽこぽこ産めるほど強くもないから、ひとり当たりの子供の価値が相対的に増す。子供を選り好みするのが当たり前の獣人社会とは違い、人間の子供は親の愛着を受けやすいのだ。
だから、紛うことなき毛玉のオレでさえ感化され、死に際に子供の幻覚なんぞを見てしまうのかもしれなかった。
「あいつが、あいつが来るよ」
しかし、醜い半獣の我が娘メグは、父親であるオレの鼻づらや胸を思いきり叩きつけて起こそうとしている。ただの人間より力が強いのもあってか、何度も銃で撃たれて傷だらけになった毛深い身体にも少し応えるものがあった。
いま、オレの目の前にいるメグは母親を恨み損ねて父親を殴る亡霊ではなく、きちんと赤い血の通った生き物としてのメグなのだ。
それでオレも安心した。勝手に孕んだ女が勝手に産んで勝手に押しつけてきたメグのことをオレは父親として一度も愛おしく感じたことはなかったから、オレの男根が大きすぎて相手にできないと金だけ持ち逃げた娼婦は思い出しても、この忌々しい自分の娘を想うなんてことはオレの矜持が許さないのである。
「ったく。どうせなら、もっと色気のあるオトナの女に助けてもらいたかった」
「そうやって戦争のとき、ママに助けてもらって結婚したの?」
「オレはいまも昔も独身だっての。お前は他のガキと同じ、親の肉欲の副産物として生まれたんだよ」
「ふうん」
そう言ってメグは振り返り、火の上がる向こう側の道から追ってくる人影を見ると、ささっとしてオレの陰に隠れた。
真夜中でもネオンが輝いて自動運転の車が行き交うシャーベットの街。それが夕食前の明るい空だというのに、しんとして人の声ひとつ聞こえない異次元に取り残されたかのような静寂ぶりでいる。
そんな異質な状況にあって、こつこつとオフィス街の女のようにヒールの音を響かせて近付いてくるからには、およそまともな輩ではない。
まあ、ヒールを履いて戦場にいる女なのかもしれないが、そんなバカげた可能性を考えるよりも前に黒ずくめの衣をまとったマリアが何事もなかったかのように現れたのだ。
「お待たせしてごめんなさいねえ。そこの力持ちな可愛い子が大事なパパを取られまいと、一生懸命に逃げるものだから、交尾の約束が遅れちゃったの」
「パパはママが決めた人としか浮気しちゃいけないって決まってるんだよ」
「バカ。こういうセックス込みの浮気は、不倫っていうんだよ」
オレは相手が美人なら種族を問わずに交尾するのが信条だけれど、今回ばかりは、オレの猫背に隠れて言うメグの主張に便乗しておきたいところだ。
それもこれも隠し持っている遺物の力だろうが、さすがに、オレも街中でテロをするような気の触れた女と付き合う趣味はない。
こういうとき、クスコのような制服組なら利き手側の腰、刑事なら懐か上着に隠れたところにホルスターを付けるらしいが、オレは服務時代のクセで堂々と股ぐらの上に自前の銃を下げている。これも戦争が終わった後に、中古で買った一昔前のものだけれど、装弾数が少ない代わりに威力は申し分ない大口径の拳銃だ。
オレは銃のグリップを握ってホルスターから引き抜き、それをマリアに向けた。