第87話 電車通学
何を当然のことを、という気持ちと、何故ここで通学の話が?という想いがあやねるの中で錯綜しているだろう。
相手の思考力を混乱させた上で、納得のいく説明をする。
説得の常とう手段だ。
「だけど、基本的に一人でその電車に乗るかとが出来ない。」
この俺の言葉に、明らかな動揺が現れた。
さらに、俺に向けた視線、感情は恨みにも似た負の感情のように思えた。
さらに追い打ちをかけるように、伊乃莉の顔から感情が消えたように思える。
人は怒りや悲しみといった負の感情がMAXになると、無表情になるというが…。
「別に責めているわけではなく、あやねるの現状の認識をしているだけだよ。そういう怖い顔は、可愛いあやねるには似合わない。何といっても、芸能事務所の社長から勧誘があるほどなんだ。自分が他人から可愛いと見られていることを、しっかりと自覚して、自信にしてほしい。」
「その言い方は、ずるいよ、光人君。今は私が可愛いかどうかという話をしてるんじゃないよ。私に嘘をついて、親友と二人っきりで会っていたことを。」
「その説明と、その後の話には、いかに宍倉彩音という少女が可愛いかということが大きく関与するんだ。」
自分でも、話の持って行き方に狡さを感じている。
先程までの冷徹な尋問官と化していた宍倉彩音が、今はもう少しで可愛いあやねるまで戻ってきているのだ。
うん、女の子は正面切って可愛いと褒めることは有効な手段だ。
使い過ぎると、どこがどう可愛いのか?という具体性を要求されたりもするが、今回は芸能事務所社長から可愛いゆえに勧誘されたという事実があるから、これは都合がいい。
「で具体的に俺と伊乃莉の間で交わされた話なんだが、俺が話しても大丈夫か?」
あやねるも混乱しているが、伊乃莉もまた、俺がこれから何を話そうとしているのかわからず、混乱していることだろう。
「光人に任せる。」
実際に俺があやねるの記憶の混乱について話したことは、ただの推測に過ぎない。
今回、その話は当然する気はない。
それよりも、近々に片づける必要なことを、俺の独断で話すつもりだ。
これは勝手に俺とあやねるだけで帰宅の電車にのせた伊乃莉へのささやかな復讐という一面もある。
「俺と伊乃莉はあやねるが通学時の電車に一人では乗れない。さらに、かなり親しいものとでなければ、乗れない。これは今後、あやねる自身にも、伊乃莉にも負担、ストレスがかかるようになると俺は思っている。」
この俺の言葉に、明らかにあやねるが気づいたようだ。
そう、あやねると伊乃莉が同じクラスで、さらに同じ委員会や部活動をしていれば、この問題はかなり負担が少なくなるだろう。
だがこの1週間で、状況は変わってる。
まず、あやねると伊乃莉は違うクラスになった。
今後クラス単位のイベント、体育祭や文化祭、合唱コンクールなんてのもあったはずだ。
その練習や準備があれば、一緒に帰るのは難しくなってくる。
さらに、あやねるは生徒会などという激務の頂点のようなところに所属してしまったのだ。
この生徒会には伊乃莉はかたくなに入ることを拒否しているのも知っている。
だから昨日は帰るまでファミレスで伊乃莉が待っていたのだ。
今では俺と一緒でも電車に乗れるようにはなっている。
だが、基本的に帰りは逆方向。
「つまり今後のあやねるが、自由に帰るための方法を話していたんだ。」
「それって私が居ちゃいけない話なの?私のことなんだから、それっておかしいよ。」
全くその通り。
あやねるの弁は正当だ。
実際の話は、今のあやねるに話してはいけないものだが、そのカムフラージュのこの話には、そこまであやねるを排除する必要はないと思うかもしれない。
「こんなことになるなら、そうすべきだと思ったよ。でも、その時はあやねるを思っての行動だったんだ。」
反論に対して、こちらもそれを正当と伝える。
そこで自分の見識が浅かったことも伝えれば、相手は優越感という甘美な思いを味わえる。
その後の話に余裕と隙を持って当たってくれるものだ。
「地下鉄の沿線で、門前仲町よりも遠くから通っている友人が出来るのが一番理想的。」
俺の言葉に、一瞬何を言ってるんか、というような不審げな目を向けた。
それはあやねるだけでなく、伊乃莉も、景樹さえも。
「つまり、友好の上に友人関係を作るのではなく、あやねるの通学のための友人を複数作れないかと思った。」
これは別に不義理でも何でもない。
あやねるや伊乃莉よりも遠くから通っている女子が友人になってくれれば言うことは無いというだけの話。
ただ俺の言ったことは利用価値がある者をピックアップして近づき、その本心を隠して友人を作ろうとしているものだ。
高校生ぐらいだと、結構こういった話は毛嫌いを起こす奴もいる。
変に正義感があったりするとなおさら。
あやねるも、たぶん伊乃莉もそう言った感じだ。
もう少し経験を積んで、挫折も味わったりすると、この考えに同意することも多くなるとは思うんだけど…。
「今の話は、私が通学時の選択の自由を多くする手段として、友人を探そうってことだよね。」
少しの沈黙の後、あやねるが口を開いた。
「うん。まさしくその通りだよ、あやねる。あまり気分のいいものではないだろう?伊乃莉に相談してもそんな感じだった。」
全くそんな話をしていないにもかかわらず、伊乃莉の名前を出す。
しかも、この方法に対して否定的な立場であるような雰囲気で。
こうすれば、この話に嫌悪感を抱くあやねるが自分を含まなかったことも、伊乃莉と二人きりでの相談の意味も、そして、伊乃莉の気持ちはあやねると同レベルであり、悪いのは俺だけ、となる。
これがあやねるの伊乃莉に対する不信感を拭える話なのではないかと考えたのだ。




