第78話 お姫様抱っこ
景樹の実家もなかなかに広かった。
確かに家に金があるからと前の彼女が付き合ってたみたいなこと言ってたもんな。
あやねるは家に連絡すると、あやねるのお母さんが出たからなのか、即OKとなった。
父親の貴史さんではこうはいかないだろう。
「景樹の家も大きいんだな。駅の近くでこれだけの敷地って。」
自分の家が金持ちと思ったことは無いが、薬剤師の親父と看護師のお袋である。
普通の家に比べれば、割と裕福なんじゃないかなとは思っていたんだが…。
(ごめんよ、光人。甲斐性なしの父親で。およよよ)
(ウソ泣きはいいよ、親父。別にこいつらがおかしいだけだから)
「大きいと言っても、1階はスタジオ兼事務所だからさ。お袋の仕事場だよ。多くのタレントさんや訓練生もいるんだし、これくらいないと機能しないんだ。しかも2階の一部は寮になってたりするから、実際の家としては普通の庶民だよ。」
そう言われても謙遜にしか聞こえない。
しかも寮生が同居してるって、聞く人が聞けば天国みたいなもんじゃないか、景樹君。
という浮ついた考えは、すぐにあやねると伊乃莉の知るところになったらしい。
二人の視線が痛い。
「とりあえず、佐藤家の玄関はこっちだから、一緒についてきて。」
「芸能事務所ジュリ専用スタジオ」と大きく書かれた看板の下には、警備室とやけに目のつくプレートがかかっている。
そしてその周辺に、本当に解りやすく防犯カメラが設置されていた。
「その防犯カメラ、当然実働してるけど、ある意味抑止用ね。若いタレントが多いから変なのに狙われないように。警備室も目立つようにしてあるんだ。とは逆に、若い才能はいつでも募集してるんで、こんなにでかく看板をつけてるって、本当に矛盾してんだよね、ここ。」
一通りの説明をしてくれるとこが、景樹の気の利かせ方だと思った。
まだ言うことがあるらしいけど、ここでは言わないと小声で言う。
その説明を聞いて、これは明らかに伊乃莉の勧誘なんだとはっきり理解した。
あの西舟野駅前でのナンパ騒動。
いつでも、あやねるを守るようにして気が張っている伊乃莉にとって、あの時のことは久方ぶりの恐怖だったのかもしれない。
それを心配した景樹は、自分の母親の事務所はこれだけ防犯に気を使っているというデモンストレーションなのだろう。
俺たちは先導する景樹に従い、少し路地っぽい箇所に入り込む。
とそこは行き止まり。
景樹が壁の一部にカードを当てると、セメントの打ちっぱなしに見えた箇所が小さく開いた。
そこにはテンキーがしつらえてある。
もう一度そこにカードをかざし、テンキーを操作すると、前方の行き止まりの壁が観音開きにこちら側に開く。
その先にシンプルな扉があった。
「さっさと入ってね。ここ直ぐ閉まるようになってるから。」
言われるがままに、その観音開きの壁の中に入ると、すぐにその壁が閉まる。
と同時にそのシンプルなドアが横にスライドした。
その時、景樹は何もしてなかった。
開き始めた扉にちょっと驚くとすぐに「姉貴め」とぼそりと吐き出すように呟く。
「ようこそ、佐藤家の芸能事務所ジュリへ!お待ちしてましたよ!」
身長が女性としては高い栗色のセミロングの美女がそう言って出迎えた。
よく見ると、景樹の顔によく似ている。
年からすれば景樹の姉、現役モデルのJULIその人だった。
突然の現役モデルに驚喜した人物がいた。
鈴木伊乃莉である。
確かに熱烈なファンだとは言っていた気がする。
しかし、景樹の姉貴を見た途端、訳の分からん言葉を吐いて、気絶しちゃいかんよ。
支える俺の身にもなって欲しい。
いきなり倒れるもんだから思わず後ろから抱きしめる形になってしまった。
あやねるはラベンダーだったが、伊乃莉はジャスミンの香りが俺の鼻腔をくすぐってきた。
伊乃莉を抱きとめた直後に横から得も言われぬ圧を感じた。
「玄関閉めっから、早く入ってくれ。」
伊乃莉が動かないのが解っている筈なのに、景樹が俺を急かしてきた。
横から迫ってくる尋常ではない気を意識的に無視して、伊乃莉を抱き上げて景樹に続く。
その後ろをあやねるがついてきていることは解っていたが、怖くて振り向くことはできない。
俺の少なくない今までの経験上、この妙なプレッシャーは間違いなくあやねるだ。
そしてその原因が、長身の癖に思ったより軽く柔らかい体の持ち主、鈴木伊乃莉を抱き上げていることにある。
それは間違いようのない事実だ。
「あらまあ、最近の高校生は本当に凄いんだね。よそのお家に彼女をお姫様抱っこでご入場って!」
まだ紹介されていないので、正確性には欠けるとは思うが、おそらく景樹の姉、JULIが囃し立ててくる。
その嬌声に景樹が俺を見てため息をつきそうになった。
が、俺の後方からの異様な圧に気付き、もう一度俺に視線を戻す。
「できうる限り早く、鈴木さんを降ろした方が、光人自身のためだぞ。」
言われなくともわかっている。
わかってるけど!
卒倒した人が怪我をしないように抱き留めた。
この家の特殊な事情のため急かされたからその気絶してる人を抱え上げた。
極力女性の触ったらダメそうな所(俺判断)は触らないように意識した結果、お姫様抱っこになっている。
自分で今の状況を自分自身に説明した。
おっ、全く問題なし。
というより、俺、すごくいい人。いわゆる紳士。
(自分で言う事ではない。自分の行為を自分自身に言い訳している時点で有罪確定)
俺の中に居候している身分で、好き勝手言ってくれる!
「階段のとこで靴を脱いでもらうから、それまでには鈴木さんを起こしてくれよ。」
ご丁寧に景樹が靴を脱ぐポイントを説明してくれた。
玄関から付き辺りまでの廊下は土足で通行できるようになっている。
これはここが芸能事務所を兼ねているからだろう。
とうとう後ろをついてきていた人が俺の制服を引っ張ってきた。




