第75話 お友達
俺の肩にそっと後ろから手が置かれた。少しラベンダーの香りが漂ってきた、様な気がした。
「私たちを学食に追いやって、楽しそうだね、コウくん。」
そうですね、やっぱりあやねるさんでしたか。
「べつに追いやったわけではないよ、あやねる。弁当持ちが集まって食べてただけさ。」
後ろを振り向き不機嫌が顔に出ているあやねるに、一応の言い訳をする。
でも、本論がそこにないことは解ったいた。
俺たちが文芸部に行き、そこで先輩たちに会っていたことが露呈したためである。
あ~あ、変な事口走っちゃったな。
「光人君、一つ聞いてもいいかな?」
口元はにこやかに笑みを浮かべてるんだけど、目が怖い。
須藤の気持ちが少しわかった。
「文芸部って、確か女子の先輩しかいなかったよね?」
「そうなのか、須藤?」
いきなりの質問に、見て気の毒なくらいに須藤はギョッとなった顔を向ける。
そして、ただ頷いた。
「今はね、光人君、君に聞いたんだよ、わかってる?」
ラベンダーの香りが強くなった。
これって、あやねるの体臭がラベンダーの香りってこと?で、興奮するとより強くなるとか。
「ああ、光人。この香りはさっき汗かいたからって、制汗シートの匂いね。変な妄想しないように。」
あやねるが近すぎてわからなかったが、後ろに伊乃莉がいた。
わざわざの注釈ありがとう。
俺の変な妄想に慌ててあやねるが俺から離れた。
「……光人君の、エッチ。」
胸元を押さえながらあやねるが言う。
智ちゃんと弓削さんの視線が明らかに変態を見る目に変わった。
「な、な、何言ってんだよ、伊乃莉!」
「図星みたいね。ひどい慌てよう。」
伊乃莉の冷淡な声に、智ちゃん、弓削さん二人が「確かに」とぼそりという声が耳に聞こえた。
景樹が俺の肩に手をかけ、爽やかに笑って親指を立てた「いいねポーズ」を決めてくる。
一気に俺の顔が赤くなった。
(若いね、光人。その瑞々しい感性、羨ましい)
(うっせいんだよ、親父!)
ちらと時間を気にした伊乃莉を見た俺にあやねるが振り向く。
「もう昼休み終わりそうだから、戻るね、あやねる。」
その声に、智ちゃんと弓削さんが立ち上がり、机を片し始めた。
「うん、じゃあ帰りに。光人君も送ってくれるって!」
「え、ちょっと…。」
言いかけた俺に凄い形相のあやねるが睨んできた。
「一緒に帰ります、はい。」
そう言わざるを得なかった。
伊乃莉が手を振りながら教室から出ていく。
「あ、そうだ、弓削さん!」
机を片して自分の席に向かおうとしていた弓削さんに俺が声を掛けると、きょとんとした愛くるしい目を俺に向けてきた。
「えっ、なあに?」
目をぱちくりしている姿は小動物の可愛らしさを彷彿させた。
「金曜のこと、まだお礼を言ってなかった。遅くなったけど、どうもありがとう。」
俺の言葉に一瞬何を言われてるかわからなかったようだ。
瞬きの回数が早くなってる。
「地下鉄のホームで…。」
そこまで行ったら、「ああ」と言って気付いたらしい。
その時にいたほかの二人、あやねると智ちゃんも気付いたようだ。
あやねるも一緒に「ありがとう」と言って、智ちゃんは気恥ずかしげにそっぽを向いた。
「ああ、いいって。すっかり忘れてたくらいだから。あれはこいつが絶対悪いんだからさ。」
と言って智ちゃんを指さす。
それに気づいた智ちゃんが少し気まずそうにしていた。
「あっ、えっと、その、ごめんなさい。」
弓削さんに言われ、少し考えたのち、あやねるに素直に頭を下げた。
こういうところが智ちゃんのいいところだ。
「あの時は、なんか頭に血が上っちゃって…。本当にごめんなさい!」
「あ、うん、大丈夫だよ、西村さん。しっかり私の話、聞いてくれたし。私も、幼馴染の西村さんを無視するように光人君と接して、悪かったと思ってるし…。できれば、普通のお友達になってくれると嬉しい。」
あやねるの言葉に少し驚いたようにしている。
その横から弓削さんが一歩あやねるに近づいた。
「私も!私もちょっと宍倉さんに興味あったんだ。私とも友達になってよ!」
「ええ、こちらこそ、喜んで。この高校に入ってから、あんまり親しい同性の友人が出来なくて寂しかったんだ。うれしい!」
と喜んで弓削さんの両手を握って飛び上がっているあやねる。
「ふん、入学式から男を追いかけてれば、女子から嫌われるのは当たり前だよ。」
その言葉はかなり小さく低かった。
おそらく当の本人のあやねるにも、弓削さんにも、そして智ちゃんにも届いてはいないと思う。
俺の耳がいつからこんなに良くなったかはわからないが、明らかに親父が影響しているのだろう。
つまり、親父は我が儘ナビシステムだけでなく、集音装置も兼ね備えているらしい。
(ちょっと待て、光人!人を結構使える中古の機械扱いをすんじゃない!)
(えっ、そういう存在だろう、親父は)
(違う!お前の人生をいい方向に導く神のごとき存在だ!少しは敬え!)
(それは、いくら何でも)
(耳が良くなったんじゃない。耳に入ってくる音に鋭敏になっただけだ。これは光人と私が二人がかりで聞いているといった状況が生んだ、副産物に他ならない。視覚も、入ってくる映像情報は同じだが、お前が中央を、私がそれ以外を見ているからこそ、生徒会室で隠れている柊夏帆を見つけたんだよ)
(あ、なるほど)
智ちゃんと弓削さんが楽しそうに、あやねると喋っているが、俺の目はさっきの声の主を探していた。
二人がかりで。
(あいつみたいだな)
親父が見つける。
こちらに不穏な瞳の色で見つめる女子生徒。
その周りにはその子と親しくなりたそうにしている男子数名が、ご機嫌を窺っていた。
(注意していた方がいいな、光人)
(ああ、わかってる、親父。それと、いつもありがとうな)
(ほう、お前から礼を言われるとは。中古の機械でも使えるってわかったか)
(その話はもういいよ。でも、注意しておく)
(何を狙っているか知らんが、あの手の女の子は自分の思い通りになって当たり前と思っているところがあるからな。どんな理由で人の足を引っ張って来るかわからんからな)
(了解)
予鈴がなった。
昼休憩は中学高校共通なので、これだけはチャイムがセットされてるようだ。
机を元通りにして、ざわついていたクラスメイト達が、各々の席に戻り始めた。
「帰りは一緒に帰っていいか、光人、宍倉さん。」
景樹がざわつく中でそう声を掛けてきた。
俺は構わなかったが、あやねるに顔を向ける。
少し考えるように魔が開いたが、頷いて肯定の態度を示した。
「ああ、大丈夫だよ、景樹。」
「んじゃ、よろしくな、お二人さん。」
部活は今日までは一応禁止だ。
これを逃すと一緒に帰ることが当分はできないと踏んだんだろうが…。
なにか含みがありそうだ。
「そういえば須藤はどうする?一緒に帰るか?」
「いや、部活に顔を出すよ。」
そのかしこまった態度は、あやねるが怖い、ということだけではなさそうだ。
きっと、また、文芸部へのお誘いの件なのだろうか?
それとも、また別の要件か…。
文芸部案件に関しては、先程有耶無耶にした感じなのだが、もしかしたら放課後にあやねると伊乃莉から何か言われるのかもしれない。
となれば、景樹が緩衝材になってくれるとありがたいんだが…。




