第62話 慎吾のささやかな夢
「静海ちゃんに聞いたんだよ、コウくん。昨日の帰宅時間。伊薙駅まで送っていったんなら、そんなにはかからないよね?」
「う~ん。まあ、そうかな。」
「ここから伊薙駅までは大体10分間。往復しても30分もあれば十分。でも、コウくんと鈴木さんがこの家から駅に向かったのが4時半ごろだったよね。」
「えっ、そうだっけ?」
覚えてるのか、智ちゃん。
怖えよ~。
「で、静海ちゃん、コウくんは何時頃帰ってきたの?」
そうか、これがすり合わせか。
うわあ~~~。
「7時くらい、かな。」
すでに静海から聞いていたはずだ。
今の質問は間違いなく確認事項。
「さて、ここで問題です。コウくん5時から7時までどこで何をしていたのでしょう。」
慎吾が沈痛な顔で俺を見ていた。
が、肩に回した腕の力は全然弱くならず、一切逃げられない状態が続いている。
だが、よく考えて欲しい。
別に俺は誰とも結婚してないし、彼女もいない。
何故、こんな形で尋問を受けねばならないのか?
「何もしてないよ。伊乃莉を駅まで送って帰ってきただけだ。」
適当に時間を潰した嘘も考えたが、ドツボにハマりそうだったから、正直に言う事にした。
でも、ちょっと怖めのお兄さん、まあ、本当はいい人なんだろうけど、に言い寄られて充分怖い想いをしてた女の子を家まで送るのは、悪い事ではない……はず。
「どこの駅?」
「門前仲町駅。」
「やっぱり嘘ついて、あんな厚化粧女と二人きりになってたんだ!」
少し涙目になっている気もするが、俺にどうすることもない。
「いや、まあー、二人きりであることは間違ってはいないが…。電車の中だぞ。何が起こるって言うんだ?」
「今日だって日向さんや宍倉さんとは話したって、私は無視してるし。終いには文芸部に行ってたでしょう?あそこ、ギャルの先輩がいるとこじゃない。あんな女迄囲って、ハーレムでも作ろうっていう気なの!」
うん、言ってることが無茶苦茶になってきたな。
涙が零れ始めてることに当の本人は気付いてない。
それに気づいた慎吾の力が緩んだので強引に引きはがし、立ち上がった。
そして泣き始めた智ちゃんを代わりにソファーに座らせた。
慎吾が大きなため息をついて、目線を智ちゃんに合わせる。
こういったところが慎吾の優しさで、モテる秘訣なんだろうな。
立ったままだと、何言っても上から見下ろす感じになるもんなあ。
「なあ、西村さあ。お前が光人に惚れてるのは以前から知ってたけどさ。光人が二戸絡みで恋愛に臆病なのは十分知ってるよな。それでいて、親父さんがなくなった時に、光人のそばにいること拒否してただろう。別に光人はお前のことは嫌ってないし、充分好意を持ってはいる。高校で何があったかはよくは解っていねえけど、光人はまだ彼女はいないはずだ。つまりそういう事だ。仮に西村が選ばれなくても、友人でいたいと光人は言ってたはずだ。そんな態度はよくないぞ。」
まあ、泣いてる相手に言う事ではないよな。
厳しい言い分に、静海が若干引いてるぞ、慎吾。
「うん、わかってるよ、そんなこと。でも、光人、凄くモテてるんだよ。中学の時とは別人みたいに…。」
「の、ようだな。確かに親父さんが亡くなってからの光人は別人みたいだ。でも、それも仕方ないことだろう?この家、家族を守らなきゃならないんだぜ。なあ、静海ちゃん。」
「う、うん。そうだよね、慎吾さん。」
妹が少し照れたように慎吾に頷く。
相変わらず、慎吾のイケメンぶりにメロメロになっているな。
でも、慎吾に彼女が出来た話ししても、全然動揺はしてなかったな。
「とりあえず、昨日の光人の行動について、まとめようか。」
慎吾はそう言うと、静海と智ちゃんを、さっきまで座っていたテーブルの席に座らせる。
慎吾の顔がにやりと笑った。
イケメンだが、かなりの悪意の籠った笑顔だ。
「まあ、悪いとは思ったんだが、どうしても俺の彼女と、出来れば顔を合わせても逃げないくらいには、仲良くなってもらいたい。それだけだった。」
一昨日の慎吾からの連絡のことだ。なんと言っても、入学式の朝、榎並虹心が慎吾の家の来るのを遠目で見えた瞬間に、駅までのルートを変えて回避行動を取ったところを慎吾にしっかり見られていた。
慎吾も虹心と二戸詩瑠玖が仲が良かったことを知っていた。
本当に榎並虹心と俺が相容れないのであれば仕方ないとは思っていたらしい。
が、自分の彼女を親友と合わせられないのは、仮に恋人関係が長くなるようであれば、不利益が大きくなると思ったのだろう。
結果的には、俺がいじめられた実態を榎並虹心が理解してくれたことで、この事案は解決した。
そう、慎吾の最大の懸念は解消したんだ。
それでいいんじゃないかと俺は思うんだが…。
「俺の彼女の誤解は解け、光人に今までの行動をしっかり謝ってくれた。この件はこれで終わったわけだが、光人の身には日照大付属千歳高校に入学してから今日までの間に、俺が想像すらしなかった出来事が起こっていたようだな。」
「そ、そうかもしれないけど…。慎吾には直接は関係ないだろう?」
「直接は関係ない。だが、親友の異常な行動については、変な誤解はしたくない。さらに、恋愛感情を持つまでに心のリハビリが進んでいて、恋をした。それどころか彼女が出来たら、こんなに素晴らしいことはない。俺のここ数か月の夢が達成できるかもしれないと思えば、心も踊るってもんだ。」
「ちなみに、その慎吾さんの夢って、何ですか。」
慎吾のたわごとに静海が反応した。
智ちゃんは慎吾の演説に、明らかに体を固くしている。
「おお、よく聞いてくれたよ、静海ちゃん。まあ、ささやかなもんだが、ついこの間までの光人では、かなりハードルが高いもんだったんだ。」
静海が変な期待で慎吾を見ている。
俺は何となく、その慎吾のニヤニヤした表情から察することが出来た。
「俺と虹心、光人とその彼女との、ダブルデーとさ‼」
あまりに予想通りのくだらなさに、ソファに沈んでいた俺の身体が、さらに一段沈んだ気がした。