第38話 笑う景樹
部室を出て、しっかりと扉を閉めた後、景樹が俺の手を引っ張って部室等から飛び出し、下駄箱まで来てから大笑いした。
本当に苦しいほど笑っていて、目から涙まで流している。
「景樹さ、後半から笑いを懸命にこらえていたよな?で、笑いたいがためにここまで俺を引っ張て来た。で大笑い。さすがに部室で笑っちゃいけないことで笑ってるのは、その行動でわかるんだけど…、一体何がそんなに可笑しいんだ?」
こいつが笑いを堪えるのを見たあたりから、不思議だった。
確かに、俺と景樹以外が、明らかに視線だけで会話してたっぽい、ということは解っていた。
それが、どう結び付けたらこの大笑いになるんだろう?
「いやあ~、腹の中の内臓が捻じれて壊れそうなぐらい笑ったよ。ここ数年でここまで笑えたことってないんじゃないかな。」
まだ笑いの余韻に浸っている景樹が俺にどうでもいい情報を言ってくる。
俺は景樹が何年前に笑おうが知ったことではないのだが。
「それにしても、文芸部の連携と友情に厚い日向さん。素晴らしいとこだぞ、文芸部。うちのサッカー部ではまねできないコンビネーションだった。」
「非常に幸福の中にあって、その幸せを壊すのは忍びないんだが、一体何があれば腹がよじれるまで笑うことができるんだよ。」
目にたまった涙をハンカチで拭いながら、景樹がまじまじと俺を見つめてくる。
そのイケメンっぷりに、うっかりすると惚れそうになる。
危ないアブない。
「あの部活自体も面白かったし、相次ぐアシストされてんのに決めきれないあのギャルっぽい先輩も十分興味を引かれるが、やっぱりその中心の光人は凄いな。あの艦橋でよくもまあ、気付けないもんだと思ったら、また笑いが込み上げてきそうだ。」
「部室の中で確かに高度な情報交換があったであろうことは、理解しているつもりだが…。その内容が全く理解できん。景樹は十分すぎるほどわかっているような感じだな。」
「わからない方がどうかしてるとは思うんだけどな。まあ、そっちの方が俺は楽しいからいいよ、うん。光人はこのまますくすくと育ってくれ。」
「俺は幼稚園児じゃねえよ。」
そう言った俺の顔を見て、お前の精神年齢が幼稚園児だ、と言ってきた。
「で、入部すんのか、文芸部?」
「まさか。俺にそんな部活が似合うとは思えないよ。」
「でも、凄い勧誘だったじゃないか。あの感じだと日向さんも入るだろう、文芸部。何といっても友達の、あの怖い先輩がいるんだし。でも、そうなると、須藤はきっと肩身が狭そうだけどな。」
「そうは言っても、いい修業の場じゃないのか。女子に対する免疫、付けといたほうがいいよ、あいつは。」
「俺もそうは思うけど、女子の中に男子一人はさすがに大変だと思うよ、特に慣れてない奴にとっては。光人が入ってやれば、もう少しいい感じになると思うんだけどな。」
そう言いながらも、クックッと変な笑い声を出している。
考えてみても、俺があの部に入るメリット、ないんだけどな。
確かに本は好きだし、その本の感想を語るのも嫌いではないけど…。
(入ってやればいいだろう。運動部や音楽系と違って、時間は結構融通が利くってことだし。須藤君の件もあるが、光人に対して他の女子も好意的だ)
(いや、それはないだろう。特にギャル先輩が俺を嫌っている)
(光人さあ、さっきの雰囲気は嫌ってる雰囲気じゃないだろう。それくらいは解るだろう。しかも下の名前を呼んでほしいってさ)
(ああ、もう、煩いなあ!わかってますよ!さすがに景樹と親父かっらここまで言われれば、気付くよ!俺のこと悪しざまに言ってたから、まさかそんなことになるなんて思わないから、考えないようにしてたんだろう!ギャル先輩が俺に好意を持ってるってことだろう!だ・か・ら、俺があの部に入ったらだめだって思ってんの!)
俺は景樹が大笑いしてたことや、やけに俺を勧誘してくる女子たちから、考えないようにしていたことが、ふっと頭に浮かんでしまったのだ。
そして、「ギャル先輩が俺に好意を持っている」というキーワードを加えたら、あ~ら、不思議!
すべての事柄が一気に収束し、疑問点が簡単に解決した、という次第。
「入る入らないは光人の自由さ。でも、あれだけ請われてるんなら入部してもいいんじゃないか。実際問題としての小説の作成はしなくてもいいって言うんだから。好きな作品の紹介ぐらい、出来るんだろう?」
「まあ、そりゃあ、ね。」
「入ってやれよ。それこそ部の存続もかかってるっていうんだから。」
「うん、まあ、とりあえずはテストの後だな。もし俺が入るメリットが見つかれば、考えるとしよう。」
そう言った時だった。
急に景樹の砕けていた態度が固くなった。
ちょっと爽やかなイケメンの顔面が引き攣った感じになる。
どうしたんだろう。
声を掛けようとした瞬間、違うところから声がかけられた。
「光人君!どうしたの?」
あやねるの耳に心地のいい声が俺の耳に入ってきた。
「ああ、あやねるも生徒会の用事、終わったの?」
何で景樹も須藤みたいにあやねるを見て、こんなにビクつくんだろう。
「あれ、佐藤君と一緒だったの?須藤君となんかやましいことするからって、私を遠ざけたくせして。」
そうか。
俺には見えなかったが、俺の後ろから景樹があやねるに睨まれてたのかもしれないな。
あやねるは多分、俺と須藤、佐藤の男同士で遊びに行く算段をして、自分が蔑ろにされたと思ったのかもしれない。
「ああ、さっきまで景樹と一緒に須藤の新作の小説について話してたんだ。特に恋愛経験のない須藤が景樹に教授を受けてたとこ。な、景樹。」
(お前、よくこの場でそんな嘘八百を並べられるな!)
(しょうがないだろう。そういう以外の言い訳、思いつかなかったんだから)
(佐藤君の顔見て見ろ。私と同じ感想を抱いてるぞ)
確かに見ると、驚いた顔から一転、すぐに俺の話に合わせてきた。
「うん、そう。卒業式に他校からわざわざ花束持ってくるような女の子っているかとかさ、そんなことにあったことないからさ、ははは…。」
(こいつ、まさかそんなにモテるのか?)
(確かにイケメンだが…。光人の友達、恐るべし)
「う~ん、私は聞いたことないけど…、先輩はどう思いますか?」
あやねるがそう言って後ろに問いかけた。
あやねるの後ろに、絹糸のようなダークブラウンの髪の毛が、そこにだけ光の粒子を吸収したように輝いている、柊夏帆が天使のような微笑みで立っていた。