第23話 来栖花菜 Ⅰ
日曜に父親がいるのは久しぶりだった。
今は松島に籍を置いているが、日本各地を飛び回っている。
航空自衛官に限らないが、国家公務員は3年ごとに勤務地を異動するのが通例だ。
そのため小さい頃はよく転校を強いられた。
仲の良い友人が出来てもすぐに別れることになる。
それ以上に父親が自衛隊というだけでいわれのない酷い言葉や、いじめも受けてきた。
この房総県は元々の父の実家がある県だった。
4年前に勤務地が航空自衛隊の基地である原木県の十里基地になった際に、この県境に近い父方の家に住むことが決まった。
すでに父方の父、つまり私にとっての祖父は亡くなっており、祖母が一人で住んでいた。
実質祖母の面倒は母が見ているが、私のおばあちゃんは比較的いい人で、私たちの同居も喜んでくれた。
75になる祖母はさすがに衰えてきているものも、頭もしっかりとしていて、自分のことは自分でできる人だった。
公務員官舎でも自衛隊の官舎でもないため、私が自衛隊の子供であることはあまり知られることがなくて助かった。
それでも中学2年の冬に親しくなった女の子に父の職業を言ってしまったことから、自衛隊嫌いの親に育てられた男子に必要以上に絡まれ、暴言を吐かれもした。
といっても、東日本大震災時の自衛隊の救援活動が大きく取りざたされたりしたことで、昔ほどひどく他の人が同調することはなかった。
中には航空自衛隊に興味のある男子やミリタリーヲタクの腐女子さんなどが、結構話してくれたりもして助かったのを覚えている。
ただ、原木県の基地からの異動が決まった時に、私の進路についてちょっと揉めた。
さすがに高校となると、安直に転校というわけにはいかなくなる。
では異動先の高校を受験するか?
だが、すでに母はこの家にしっかりと根を張り始めていた。さらに祖母がまた独りにするのか?という問題もあった。
父には3つ離れた弟がいるのだが、今は名古屋の自動車会社にいて、そこで家族で暮らしている。
今更母を引き取るということは大変な問題でもあった。
何より祖母自身がこの家から離れる気がない、と明言していた。
数度の話し合いの末、父一人の単身赴任が決まった。
もっとも配属先がブルーインパルスである。
日本各地で曲技飛行を繰り広げる舞台となれば、私たちがついていく理由が希薄になったということもあった。
私はこの房総県で通学可能の学校を受験することになった経緯である。
久しぶりに父がいる食卓ですき焼きをつついていた。
本当は私の入学式に合わせて帰ってくるはずだったが、外せない公務があり、昨日から2泊3日で帰ってきた。
「お父さんお疲れさま。久しぶりの家はどう?」
お母さんが機嫌よくお父さんに聞いた。父と母は仲がいい。
もともと自衛隊近くの食堂でバイトをしていた当時女子大生だった母との縁だそうだ。
ちなみに母はあの当時では珍しい戦闘機のヲタクだったらしい。
そのため、航空自衛隊基地近くの定食屋をバイト先に選んだほどだ。
母の目論見は見事に花を咲かせたと言っていい。
「やっぱり落ち着くよ。普段は自分で何もかもやっているからね。花菜、入学式に行ってやれなくてごめんな。」
「ううん、全然大丈夫だよ、お父さん。」
父はいつも優しい。
自分の仕事に誇りを持っている父は、それでも転勤が多いことに私に対して負い目を持っているのは知っている。
そして自衛隊批判をする保護者とその子供たちが自分を否定していることも…。
小学校高学年でいじめてきた男子は市議会議員の息子だった。
政権与党と対立している党で、護憲派自衛隊反対の筆頭だったらしい。
父親が市議会とはいえ議員であればそれにすり寄ってくるものたちが当然のようにいた。
私が眼鏡をかけ、三つ編みで容姿もあか抜けない。
いじめのターゲットに最適だったのだろう。
そして親が自衛隊員。
1年にわたり嫌がらせを受け続けた。
父には知られたくなかったが、奴の取り巻きに私が暴行されそうになったことで、いじめが発覚した。
その時に助けてくれたのが、この高校の生徒会長でもある斎藤総司さんだった。
たまたま部活の帰りだったらしいが、斎藤先輩のお父さんが父の上司であり、その時は官舎に住んで居たことから、自宅も近かったらしい。
このことは航空自衛隊の幹部である斎藤先輩のお父さんに知られたことにより、一気に解決した。
自衛隊反対派の議員の息子が、自衛隊員の娘をいじめ続け、暴行未遂を起こした。
ニュース沙汰にはならなかったものの、議員は所属政党を追放され議員辞職に追い込まれた。
後ろ盾を失えば、学校内に居られるはずもなく、転校。
そのいじめの主犯の男子の家は一家離散したと噂で聞いた。
だが、残りの小学校では、いじめはなくなったものの、腫物を触るような扱いだった。
中学進学の際に父の転勤が決まり、今の家に引っ越してきた。
そんな縁で、受験校の一つには斎藤先輩の通っている高校が前から頭の片隅にあった。
そして実際に父の転勤にはついていかないという事が決まり、自然に、斎藤先輩のいる日照大付属千歳高校を目指した。
同じ自衛隊の息子である斎藤先輩の存在は、私にとって大きい安心感を与えてくれるものだったから。
斎藤先輩とその後に親しくなるほどではなかったが、入学式の後で声を掛けてもらった。
それだけで充分だった。
自分の中学からこの高校に来た人は確かあと一人いたと思う。
でも、ほとんど知らない男子だった。
クラスも同じになったことはない。
私立であるから、以前の小学校の人間も来るかもしれないと、正直恐れていたが、クラス発表の時に全員の名前を確認したが、その時代の人の名前は一切なかった。
私をいじめてくる人は、今はいないはずだし、何かあれば自分を頼ってくれて構わないと、斎藤会長にも言ってもらっていた。
だから、不安はないはずだった。
私は、二日目に起こった「女泣かせのクズ野郎」の現場にいた。
後から知ったけど、泣いていたのは同じクラスの宍倉さん。
泣かせたとされるのは同じくクラスメイトの白石君。
見てる限りは「女泣かせのクズ」という雰囲気ではなかったんだけど…。
そんなことより、ちょっと暗い感じではあるけど、喋りやすい須藤文行君と知り合えた方が嬉しかった。
勇気を奮って自衛隊についての意見を聞いた。
ついこの間中学を卒業したばかりの男子に聞く話ではないことは充分分かっていたんだけど、聞かずにはいられなかった。
多分、この人なら否定的なことは言わないはず、という謎の信頼感があってだけど…。
予想以上に好意的な意見が帰ってきて、かなり安心した。
私はお父さんの職業を誇りに思っている。
違憲の軍隊なんて言われているけど、そこで働いている人のほとんどは、この国の人を守るという使命感を誇りにしているのは事実だ。
その姿勢は、この国を何度も襲う自然災害から、被災者の救助ということに、如何なく発揮されている。
戦争するだけの職業じゃない。
ちゃんと人を助けるための仕事なんだ。
そういう私の気持ちを須藤君は、肯定してくれた。
口数は多くなかったけど、私はその言葉に、どれほど安心したことか
目の前で肉をほおばる父を見て、自然と笑みが浮かんできた。
「なんだ、花菜。そんなに父さんの顔を見て。さては惚れたな。」
「もう、くだらないこと言ってないで、ちゃんと食べてよ、お父さん。」
横から母が笑いながら言ってくる。
「だが、ごめんな、花菜。お父さんは母さんにぞっこんでな、ハハハ。」
「もう、そういうこと、娘に言わないでくださいよ。」
お母さんがお父さんの言葉に、照れながら突っ込みを入れる。
うん。
私は幸せだ。
「変な事言ってると、話さなくなるから、気を付けてよ、お父さん。」
少し冷たく言った。
「う、ご、ごめん、かな。」
すぐしゅんとなるお父さんを見て、また少し私は笑った。
今回の話には、かなり個人的な感情を入れてしまいました。
もし、こういったことに興味のある人は、是補、有川浩さんの「空飛ぶ広報室」を読んでみてください。




