第171話 応接室にて Ⅲ
気づいたら、俺の眼から涙が零れていた。
その感情が俺自身のものなのか、親父のものなのか、自分でもわからなくなっていた。
2か月近く見たあの夢の所為だろうか?
懸命に自分の体にムチ打ち、この少年を守るために跳んだ時の想い。
トラックに轢かれ意識を失う前に、無事助けられたと思った安堵の気持ち。
それがぐちゃぐちゃになって俺の心を締め上げてくる。
そして目の前に座るその時の少年。
柊夏帆を彷彿させる、
その天使のような顔に不思議そうな表jが浮かんでいる。
無事であることが確認できた。
先程の英治さんの言葉に、聞きたいことが湧き出てきてはいるが、今は無事に元気であることが、俺の感情に追い打ちをかけたようだ。
俺の膝が崩れるように床に接した。
その時の目の高さが、座っている蓮君の目の高さにまで来るように腰を低くした。
「俺の親父が、君を助けた。君は覚えているだろうか?」
俺の口から、また無意識の言葉が漏れた。
俺のその不可解な行動に、静海も、蓮君の両親も目を丸くしている。
だが、憎らしいことに柊夏帆は俺の横に移動して、俺の肩に手をかけていた。
そのことは解っていたが、柊夏帆の手を振り払おうとは思わなかった。
「ごめんなさい。覚えていません。……でも。」
当然だと思った。
私が突き飛ばした後、気を失っていたという事は聞いている。
その方がいい。
もしはねられた後の私の身体を見ることがあれば、精神的外傷に陥っていたかもしれない。
「それでいいんだよ、蓮君。何も知らなくていい。」
私はそう言って、蓮君の頭に手を伸ばした。
その私の行動に、一瞬、身を引くように動いた蓮君だが、何を思ったのか、頭を下げ、私が触れやすいようにしてきた。
私はその頭を優しく撫でた。
柊夏帆のようにシルクを思わせるダークブラウンの髪の毛が柔らかい感触を私の撫でている手に伝えてくる。
「でもね、お兄ちゃん。お兄ちゃんによく似たおじさんが、僕に笑いかけてくる夢をよく見るんだ。その人がお兄ちゃんの親父?さん。」
似ているのだろうか?
私と光人は…。
「そう、だね。それが俺の親父だと思うよ、きっと。天国から君のことが心配で、様子を見に来ているんだろうね。」
私はここにいるし、単なる偶然なのだろうとは思う。
でも、そう思ってくれることは嬉しい。
蓮君を撫でているところを、嬉しそうに見ている柊夏帆が視界に入った。
既に方に置かれた手はなくなり、3人の座るソファーの後ろに回っていた
その微笑みが妙に苛立ちを覚える。
普通の男子高校生には天使の微笑みに見えるその笑顔は、小悪魔の意地の悪い笑みにしか映らない。
蓮君の頭を撫でていた手を離し、立ち上がる。
そして、その手を蓮君の前に差し出す。
「蓮君、よければ俺の妹を紹介するよ。」
チラッと静海を見る。
その視線を蓮君が追う。
「うん!」
元気よく言って手を握り、椅子から立ち上がる。
明らかに戸惑いの顔を見せている静海の前に蓮君を連れて行く。
「静海、親父が助けた浅見蓮君だ。仲良くしていこう。」
不安げにこちらの顔を見た静海は、この言葉に無理矢理、顔の表情を笑顔に変えていく。
「さっきも会ってるけど、初めまして。白石影人の娘で、白石静海といいます。この学校の中学2年。本当に元気そうで、よかった。」
最初は強張っていた笑顔が、最後の言葉を言う頃にはかなり柔らくなっている。
この子の所為で、あの事故が起きたとは思えなくなっていることを祈る。
「あさみれんです、るなお姉ちゃん、よろしくです。」
そう言ってちょこんと、頭を下げた。
振り向くと蓮君のご両親が涙をぬぐっていた。
ああ、よかった。
そう思った時に気付いた。
今までの行動は俺だったのか、親父だったのか?




