第169話 応接室にて Ⅰ
特別棟1階、校長室の横に応接室があった。
普段この棟に来ること自体が少ないので、入る前にその周辺をまじまじと見てしまった。
「こんなとこ来ることないですもんね。」
そんな俺に神代さんが言い、クスッと笑った。
首筋にうっすらと汗をかいてそんな笑い方をする神代さんに、つい視線が行ってしまった。
可愛い静海の友達もまた可愛い。
これが類友現象か。
「もう、恥ずかしいな、お兄ちゃん。」
妹は確かに2つ下だが、考えてみればこの学校に関しては1年先輩か、などとも思ってしまう。
そんな風に俺を馬鹿にする静海も落ち着いてはいない。
場所でも緊張するが、この扉の向こうにいる人たちを考えれば、当然か。
神代さんが扉の前に立つ。
何故かすぐに行動しない。
変だな、と思っていたら、膝が小さく震えている。
こんな場所に来ることが無いのは、神代さんも一緒だな。
俺の心は落ち着いてきた。
場所は関係ない。
相手とどう向き合うか、だ
コン、コン、コン。
神代さんの小さな右手が扉を軽くノックした。
「どうぞ、入ってください。」
少し低めの声が、丁寧に俺たちにかけられる。
神代さんが扉に手をかけ、軽く息を吸い、吐く。
扉が静かにスライドした。
「お二人をお連れしました。」
そう言ってその場でお辞儀をして、俺たちに道を開けた。
「ありがとうね、麗愛ちゃん。」
ダークブラウンの髪の毛が揺れ、柊夏帆先輩が立ち上がり、神代さんにお礼を言った。
先輩がダンス部を辞めた時には静海たちはまだ入学してないから、個人的な面識はないはずだ。
親父との会話が思い出されて、この「ありがとう」が、ここへの案内だけの意味じゃない気がしてきた。
柊秋葉さんはこの場にいなかった。
神代さんが、声を掛けた柊先輩に戸惑いと憧れの入り混じった表情を作って、しばし無言になった。
が、慌てて「いえ、とんでもありません」と言ってすぐに、体育館方面に去っていった。
(なんか、逃げるみたいだな)
(ダンス部の先輩がいるかと思ったら、この学校のマドンナが微笑をくれたんで、びっくりしたんだと思うよ、光人)
親父の解説が入った。
「白石光人君、静海さん。突然の申し出に戸惑いもあると思いますが、ここに来てくれとありがとうございます。こちらにおかけください。」
ダンディな男性、浅見英二さんが立ち上がりそう言うと軽く頭を下げた。
後ろの静海が俺の制服のブレザーの端をぎゅっと掴んだ。
見たところ学校関係者はいなさそうだ。
俺は英二さんの示す2人掛けのソファに向かう。
俺の制服を掴んでいる静海の手をそっと取り、握りしめた。二人でそのソファに座った。
「改めて紹介させてもらいます。私は浅見英二、蓮の父親です。夏帆の伯父にあたります。」
その声が合図なのか、英二さんの横の男の子、蓮君とその横の女性が立ち上がった。
「私は蓮の母親でございます。玲子と申します。そしてこの子が浅見蓮、あなたのお父様に助けていただいた私たちの息子です。」
「あさみれんです。」
その男の子がそう言って親たちの真似をするように頭を下げた。
俺たちも慌てて立ち上がる。
「白石光人と妹の静海です。頭を上げてください。蓮君を助けたのは私たちではありません。父の白石影人です。まずは頭を上げて、座ってください。でないと話が出来ない。」
俺は敬語も忘れて、人を座らせた。
「では失礼して…。」
英二さんの一言で、3人が座ってくれた。
そして蓮君を見る。
親父の夢の中でうっすらとみてた程度で、今初めてその顔を見た。
さすがは柊先輩の従弟だけあり、顔立ちは整っている。
先程立ち上がった印象から背丈は130㎝くらいだろうか。
髪の毛は玲子さんと一緒の黒だが、瞳は先輩と同じダークブラウン。
よく見たら英二さんも髪の毛も瞳もダークブラウンだ。
つまり、柊先輩と血の繋がりがあるのは英二さんという事か。
確かに鼻梁が高く整っている。
「本当に急で申し訳ありませんでした。夏帆から恩人の息子さんと娘さんが同じ学校にいると聞いた時は驚きました。できれば、もう一度ご自宅の方に出向くべきかと思ったのですが…。」
「いえ、それはまだ…。うちの母も、まだ気持ちの整理がついておりません。一度自宅に来ていただいた時にお話ししたとは思いますが、父が命を落としたのは決して蓮君の所為ではありません。蓮君は青信号で横断歩道を歩いていたのです。誰も責めることなど出来ないんです。間違ってない!父はそんな蓮君をその身を挺して守った。家族である私たちはそのことを誇りに思ってます。貴方たちが罪の意識を持つ必要なんかないんです。ましてや、まだ小学生の蓮君に絶対にそういう責を負わせないでください。」
俺なのか、親父なのかわからないくらいに、俺は浅見夫妻にお願いをしていた。
自制しなければ目の前のテーブルを叩いてしまいそうだ。
「そう言っていただけると、私たちも救われます。約束します。この蓮にはそう言った責を絶対負わせません。それと同時に命を助けていただいたことも事実です。そのことで私たち家族を含め、柊の者も白石影人さん、そして影人さんの家族にも感謝をしております。そのことはどうぞご理解ください。」
「それは充分わかっているつもりですが…。」
俺はそう言って、今だ椅子に座らず俺たちの斜め右に姿勢よく立っている柊先輩を見た。
「白石君、ごめんね。また強引にこんな場をセッティングして。」
「やっぱり、先輩ですか。こういうこと、出来ればやめてほしいと婉曲にですが伝えたような気がしたんですが。」
俺の非難の言葉に、「えへっ」っていう感じの笑みを返してきた。
「そうなんだけど。明らかに白石君、私を警戒してるよね?この機会を失うと、浅見の家の人を合わせることが出来ないかもって思って。」
だろうとは思ったが、さっきの親父との会話は、ほぼ正しかったようだ。