第164話 特別観覧席にて Ⅰ
少し照明が暗くなって、俺は自分が何も見ていないことに気づいた。
隣の静海が俺の膝を軽く指でつついてきた。
「お兄ちゃん、何が起きてるの?急にあの男の子が出てきて、私、意味が解んないんですけど…。」
「俺だってわかんないよ。それこそ、この公開練習の話って、静海からだろう?その時は、あの、えっと、……神代さん?だっけ。何か言ってなかったのかよ!」
「ちょっと、静かにした方がいいよ。」
小声で伊乃莉が忠告してきた。
生徒会のメンバーの席を見ると、柊先輩が少しすまなそうにしていて、あやねるが苦笑していた。
他の人たちは少し冷たい目でこちらを見ている。
俺と静海が、その様子に慌てて頭を下げた。
そのタイミングで、さっき自分たちが出てきたドアから、練習着の部員の女子が早足で柊先輩に近づく。
何かを耳打ちしていた。
その子に手を挙げ、周りに何か小声で言ってるようだ。
するとすくっ立ち上がり、こっちをちらっと見た。
そして笑顔を俺たちに向ける。
非常に魅力的な笑顔である。
普通の男子は、また一部の女子はこの笑顔を向けられたら、一発で惚れるだろうという笑顔だ。
逆に俺は猜疑心でいっぱいになる。
何で、蓮君とその家族がこの場にいるのか?
確かに柊先輩の妹で俺と同学年の秋葉さんがダンス部らしい。
それを見に来た。
保護者用の招待券なのだから、十分あり得る。
俺たちがいることは、神代さん経由で知らされた可能性はあると思う。
だからと言って、ステージ脇に呼ばれるというのは変だ。
普通は公開練習後に俺たちを捕まえて…。
ああ、逃げられる可能性があるか。
静海は神代さんの友達だからまだしも、俺は友人と来てるからな。
(それでも、光人。その公開練習中に呼び出すのは、常識的におかしい。しかもその後に、学校の応接室を借りているというのはな)
(用意周到という感じがするな)
そもそも学校の応接室というのは、そんなに簡単に借りられるものなのか?
本来はこの学校に関係のある来賓クラスのためだろう。
柊さんの家族がこの高校の経営陣の関係者か?
それとも…。
(学校側が絡んでいる可能性があるな、光人)
(でも、学校側に何のメリットが?)
(メリットはあるよ。私が子供を助けるために命を失った。その息子が光人だ。そこそこマスコミでも報道された。今、この高校の上部組織である日照大学は不祥事続きでイメージが悪いんだ。この時点で私の行為を美談で取り上げ、その息子が通ってる。高校側はその生徒をしっかりとサポートしてる。そういうストーリーを立てる。十分考えられるな)
親父の声にため息が漏れる。
(今すぐどうこうということは無いんだろうが、ここで被害者の子供、蓮君の家族との和やかな雰囲気を学校内で演出できれば、最高のシチュエーションだな。)
(いいように扱われるわけか)
(とは言っても、それは学校の考えであって、蓮君の家族は真摯な気持ちだと思う。そこを間違えるなよ、光人。特に静海のこと、よろしく頼む)
(ああ、わかってる)
ステージの照明が暗くなって、結構時間がたった。
その間、アリーナでは各パートごとでダンスの練習をしていたようだ。
自分の内側で親父と相談をしていた俺には、そこでどんな練習をしていたかはわからない。
静海も、たまに神代さんに手を振る程度で、真剣に見ているわけではなさそうだった。
後ろの席で、瀬良はかなり熱心に見ているのかと思い、ちょっと後ろを向いたら、その瀬良と目があってしまった。
「なあ、大丈夫か、白石。その妹さんも。」
「えっ、心配してくれてたのか?」
「さすがに、あんなの見たらな…。」
先程のステージ脇のことを言ってるらしい。
「てっきり、この特別席で女子のダンスを食い入るように見てるのかと思ったよ。」
「こんなチャンスはないから、ラッキーとは思ったよ。でも、今一集中できなくてさ。」
「なんだか、申し訳ないな。」
「それはいいんだけどさ。本当に大丈夫か?親父さんの事故がらみなんだろう?」
エロ瀬良君。
なかなかどうして、結構いろいろ気配りができる。
気配りができるエロ男子。
結構いい奴なんだな、こいつ。
「まあ、そんなとこだ。あとで、説明できるかどうかはわからんけど、そう思ってくれて間違いはないよ。」
「さっき、この後あうような流れになってたけど、妹さん、無理させない方がいいんじゃないか。」
「心配してくれてありがとう、な。もし、静海の調子が優れないようなら、会わずに帰らせるよ。」
「そのほうがいい。」
俺は頷いて前に向き直った。
静海が「大丈夫だよ」と声を掛けてくれた。
聞こえてたらしい。
ステージから、さっきの部長さんが出てきた。
「ここでいったん練習をやめて、今日来ていただいてる皆さんに、私たちのパフォーマンスを見ていただきたいと思います。最後に、ちょっとしたサプライズも用意してますので、楽しんでくださいね!」
その言葉に、海上から歓声と拍手が鳴り響いた。
ステージが明るくなり、さっきよりもステージ用のメイクをした女子たちが、各々の位置に立っている。
音楽が流れ、ダンスが始まった。