妖精の付き人
"デービッド"それが彼の通り名だった。
生きていた頃の記憶はもはや半々くらい曖昧な状態だと言う。
自分がポアロ本人なのか、はたまたそれを演じていた俳優だったのか、或いはただのソックリさんなのか…区別出来ていないという事のようだ。
しかし、「我輩は奥ゆかしいゆえ…」と言うのが彼の判断であり、『名探偵』よりは『名優』という方が今はお気に入りらしい。
そもそもその方が、頭の良いのをひけらかしていない様で、彼の気持ちの中では『大人の対応をしている』という満足感を支配出来るそうだ。
その割には『灰色の脳細胞大活躍』だった様であるが…そう思った途端、デービッドは、強力な眼光をさらに光らせて、ギロッとこちらを睨んだ。
私はあの眼に弱い。
どうも生来、臆病なせいかあの眼で見られると、それだけで、たじたじになってしまう。
「まぁ、良いわ、直にこのポアロに感謝する様になるでしょうからね…」と彼は淡々と言うと、フゥ~と吐息をついた。
私はここぞとばかりに、「デービッドかエルキュールかはっきりして欲しい…」とポツリと一言、溢す。
すると途端にまたまた、彼にエグい程の眼光で睨みつけられてしまった。
「まぁ、大分慣れたでしょうから、次に!と言いたい所ですが、今日はこれくらいに…精神体というのは、慣れないうちは、疲れ易いものです。根を詰めても、メキメキと上達するものでもありません…」
「…無論の事、サボっていたら、精神体からポロリポロリと抜けていくので、毎日努力しなければ為りませんが。まぁ炭酸のガス抜けみたいなものですよ。」
そう然も他人事の様に言い放つと、「あ~疲れた!」と本音を駄々漏れにして、あっちへ行ってしまった。
少しずつ離れていく彼をボーッと見守っていると、一定の距離が開いた後で、「明日またそこで続きをやるから時間厳守で宜しく!」と大声が飛んで来た。
『やれやれ…割とアバウトな御人らしい。』
しばらくは疲れたので、その場をボーッと過ごしていたが、よくよく考えると、今日は色んな事があったな…。
昼休みに殴られて死んだし…、死後の世界で転落死しそうになって、ポアロそっくりのゴムまり超人に助けられ、現況を知って愕然と為った。
そして、そこから立ち直る暇も無く、精神トレーニングの数々…疲れて当然だな(笑)と摩訶不思議と言わんばかりに独り御馳た。
そう言えば、"精神体というのは慣れるまでは疲れる"とデービッドが言ってたっけな…。まぁ考えても仕方ない…既にこの世界が自分にとっては未知との遭遇なのだ。
しばらくはデービッドに導かれるままやるほかないのだ。そう思い至った瞬間、肝心な事に気がついた。
そう言えば「明日またココで!」と言っていたが、明日って何だ??
時計もなければ時間も言ってなかったが…どうなってんだ?と割と重要な事が歯抜けのまま推移している事にようやく気づく。
「明日って…」ともう一度口にしかけた途端、「スケジュールを開いて見ると判る事でしょ!基本よ基本…」と肩口から声が聞える。
見ると左肩の上に、いつの間にかチャイナドレスの女の子が座っている。小さくてまるでお人形さんのようだが、髪形はまるで昔見たアニメの主人公の様だった。
『確かお湯を掛けると男に戻った記憶がある…』
顔はというと、とても端正な整った顔をしていて、美しくて可愛らしい…喩えるならば、まるで『ローマの休日』当時のオードリー・ヘップバーンの様で、想わず見惚れてしまうくらいなのだ。
そのくせ、口はとても悪いらしい…第一声から既にマウントを取られた感は否めない。私はびっくりしてしまって、少々たじろいだ。
「何だ…誰だ君は??」と焦りながら、横目でチラッと見ると、女の子は、『何だとは何だ』という顔をしながらプリプリ怒っている。
『ハァー…この歳になって中二病かぁ~』とガックリしていると、よくよく考えたら、『もう死んでるんだから、中二病も無ぇ~かぁ~』と思えて来た。
そこでクルッと首を左に向けると、低姿勢のつもりで、
「御免なさい!本当に御免なさい!私ここには今日(?)来たばかりで、色々と不案内で、ほとんど何も判ってないんです。お気に障ったのなら、謝ります…」
とひたすら低姿勢で謝意を示した。
その姿勢で望むと、相手も理解してくれると考えた訳だが、女の子の態度は、意外なものだった。
「馬鹿みたい…大の男がそんなにすぐ、女に頭を下げるもんじゃないわよ、みっともない。まぁいいわ…さっさと確認したら?スケジュール!」
そう言って左肩に座ったままトントンと指を下の方…ちょうど私の胸元に当てている。
私はポカンと口を開けたまま、指の差し示す方角に視線を移してみる。するとどうだろう…つい先程までは全く気づいていなかったのだけれども、いつの間にか胸元の心の蔵の辺りが、ピカリピカリと点滅しているではないか?
私は驚きの余り、想わず声が出そうになったため、口に手で蓋をしたまま、女の子を見ると、「手を翳して押すのよ!」と早くしろと言わんばかりに指示されたため、恐る恐る手を翳して、ドキドキしながらも、ポン!と押してみた。
すると、驚くべき事に目の前に半透明のパネル(画面?)が開いて、左右に判り易くスクロール出来るように矢印がふってある。
私は再び女の子の方を振り向き、顔を然も、『ど~すんの?』と言った具合にしながら、首を傾げてみる。
「全くもう…」
彼女は全身から怠さを滲ませながら、呆れた様に、まず嘆息し、両肩を軽く挙げると、『仕方無い…』と言った呈で私に応えた。
「一回しか言わないから、よ~く聴くのよ!まず直ぐに矢印に惑わされない事!男って単細胞だから、直ぐ矢印を見ると、大抵の人が押す、若しくは、スクロールしたがるのよね。要は慌てん坊さんなのよ…」
「…然も自分はこのくらい理解出来ます的な、勘違いに気づかずに、マニュアルも読まないで、行き当たりばったりで、進めようとするでしょう?世の中のシステム化が進む前なら、それで通用したからでしょうね…」
「…いわゆる成功体験て奴だろうけど、それが曲者なのよ。直ぐにトラップに懸かって、ジ・エンドだわっ。システムを分からん域にこねくり廻した挙句、"判がりませ~ん"て、正に愚の骨頂よね…」
「…それをまたリカバリーする身になって 欲しいわよ、絡んだ糸を解しながら、1本1本丁寧に解きほぐして行くのって、案外大変な作業なんだから…」
「…相手にかける不担を考える事!それが出来ない男は、とても紳士とは言えないわ!迷惑千万もいい所よ!判ったかしら?」
そう息をつく暇も無い程のスピードで捲し立てた。
私は『良く息が続くな…』と感心しながら、『こりゃあ今まで相当、男で苦労して来たんだな…』と想わずほくそ笑んでしまった。
すると女の子は眉を寄せながら、額に皺を刻み、憮然とした顔をするや、肩を震わせる。
「貴方ねぇ…」と、然も遺憾だと言った呈で、「さっきから、心の声が駄々漏れなんですけど…全くデリカシーが無さ過ぎなのよ!しかもそれってセクハラやモラハラに相当するのよ、お分かり?」とプリプリ怒っている。
私は次から次へと矢継ぎ早に、言葉の洪水を引き起こし、マシンガンさながらに撃ち込んで来る女の子の怒りの感情を受け取め切れずに、少々持て余してしまっていた。
何か感情が揺さ振られ続けたせいか、意識しないまま、ツ~っと涙が流れてしまい、目が潤んで来てしまう。
それを見ていた女の子は、呆れた様に再び嘆息する。
「もういいわ…何かまるで私が虐めてるみたいで気分が悪いもの。今回は許してあげるけど、ちゃんと、デリカシーのある紳士に成って頂戴…。じゃないと貴方を預かる私の身が持たないのよね!」
そう言った後、「判った?判ったら返事!」と言い、こちらをじぃ〜と見ている。
私は「はい!」と返事をしたつもりだったが、涙が出て、鼻水も垂れていたせいか、「あ~い…」と無様にも間が抜けた返事になってしまっていた。