3 ウサギ穴
足音はすぐ側に…!
「ぎにゃー!」
「ピャーッ!」
かと思いきや二人の声は遠のいていく。一体何が起こったのか、真白はそっと目を開けて声の聞こえた方へ目を向けた。
なぜか二人はさっきの筒よりも向こう側ででんぐり返っていた。何があったのか分からずポカンとしていると後ろから声が聞こえた。
「ケガは…痛い…嫌だよね」
ボソッと呟いたのはハッピーだった。今のハッピーは私よりも大きい。なんだか不思議だ。
どうやら襲ってきた二人をハッピーが払い飛ばしてくれたみたいだ。
ハッピーは私の前で屈んで、怪我したところに布を巻いてくれた。ハンカチだろうか?犬もハンカチを持っているんだなぁ…
「あ…ありがとう。助けてくれて…」
私がそう言うとハッピーは私の目をジッと見た。
「僕がアリスを助けるのは当たり前だよ。困ったらいつでも僕を呼んで」
なんて頼もしい子なのだろう。真白は急に彼を抱きしめたくなったがその感情をそっと心の奥にしまった。
「アカウサギは見つけた?」
また出たアカウサギ。一体アカウサギってなんだ?さっきのチェシャー猫は試練と言っていたが…
もしかして、私の運動神経をアップさせるためのトレーニングか何かか?
「…ねえ、そのウサギってどんなウサギなの?捕まえたら帰れる?」
「アカウサギはアカウサギだよ。帰るか帰らないかは君次第だよ」
アカウサギはアカウサギ…そう言われても…
出来れば見た目とかを教えて欲しいのだが…。なんて考えていると、チェシャー猫とグリフォンがこちらを見ているのに気がついた。そういえば、なぜ二人は急にあんな風になったのだろう。聞いてみるか。
「ねえハッピー、絶対ここにいてね!まだ消えないでよね!ちょっとあの子たちと話してくるから!」
真白はハッピーの両腕を掴みちょっとだけ強い口調でそう言った。ハッピーは表情を変えずコクリと頷いた。
真白は二人の方を向いて深呼吸した。そして近づいていく。
「ね…ねえ、さっきはどうしちゃったの?」
私がそう聞くと、チェシャー猫の方が手をバタつかせて口を開いた。
「ごめんね!ごめんね!アリスの血があまりにも美味しそうで…」
「はい?」
真白はギョッとして一歩距離をとった。血が美味しそうって…
「ちょっとだけ…なんて言わないから嫌わないでね!本当に言わないから…」
とは言いつつも、二人の視線はチラチラと布の巻かれた膝に…
「あのね、血なんて美味しくないんだよ」
「ううん!アリスの血って絶対美味しいんだよ!甘くてふわふわのいい匂いだし…」
チェシャー猫は千切れるくらい首を振りながらそう言った。グリフォンもうんうんと首を振った。
「もういいや。それよりアカウサギってどんなウサギ?知ってたら特徴を教えて」
「アカウサギはアカウサギだわよ。アリスと一心同体、離れ離れだとどちらかが壊れちゃうって感じよ」
みんな口を揃えた様にアカウサギはアカウサギと言う。そんなに特徴がないのだろうか?それに、アリスと離れ離れになったら壊れるって…一体どんなウサギだ?
なんてここで考えても仕方がない。それにまた、チェシャー猫が膝を見ながら涎を垂らしている。早く二人から離れよう。
「頑張ってねアリスー!」
「う…うん、ありがとう」
二人は手と翼をバタバタさせながら真白にそう言った。真白は手を振りハッピーの元へ戻った。
「よし、探すかアカウサギ!」
きっとウサギさえ見つかれば私は帰れる。そう心に言い聞かせて真白は大きく息を吸った。
「ねえ、ハッピーは犬なんだから鼻が良いはずでしょ?ニオイで分かったりしないの?」
「アカウサギの匂いは分からないよ」
うーん…ダメだなぁ…
とにかく私たちは教室の外へ出て、何か良い方法を考えようとする。
「ウサギといえば…穴の中にいるイメージがあるんだよね…」
「穴ならすぐそこにあったよ」
「え?どんな……まあ、行ってみよう」
もうなんでもいい。とにかく隠れていそうな場所を探していく事にした。
真白はハッピーのマフラーの垂れたところをギュッと握って着いていく。
「……おっきな穴ね…」
「大きいね」
穴は予想外の場所に予想以上の大きさで空いていた。
ここは一年生が使っている靴箱。そのど真ん中に、まるで隕石か何かが深く深く落ちたかのような穴がポッカリと空いているのだ。
「ウサギ…落ちてないよね」
「どうだろうね」
落ちたかも、そう言いたげな顔でハッピーはそう言った。
「落ちたら流石に死んじゃうよ」
「ううん、これはどこかへ繋がる扉みたいなモノだから大丈夫なんだよ」
扉…この穴がか?
底の見えぬ真っ暗で深い穴。落ちても死なないなんて到底信じられない。
「僕を…信じるかい?」
ハッピーは私を、偽りなき真っ黒な瞳でジッと見てきた。
その目を見ていると、この穴に飛び込んでもきっと大丈夫、なぜかそんな気持ちになって私の口は勝手に動いてしまった。
「…うん、信じる」
そう言うと、ハッピーは私を軽々とお姫様抱っこして、なんの合図もなく穴へ飛び込んだ。物凄いスピードで落ちてゆく。
「信じる」とは言っても、まだ心の準備が出来ていなかった真白は悲鳴をあげながらハッピーにしがみついた。涙の浮かぶ目をぎゅっと閉じて着地を待った。
「待って待って待って!これホントに大丈夫なの!?」
「大丈夫」
滞空時間がかなり長い事に気がつき、ドキドキする心臓が更にドキッとした。もう30秒以上は落ち続けている。絶対に大丈夫ではない。着地なんてしようものなら足の骨がバキバキに折れてしまう…
「うっ…」
重力に逆らう小さな衝撃。真白は硬く閉じていた目を薄っすらと開いた。
「……どうなったの?」
「着いたんだよ」
真白はハッピーに下ろしてもらい地面に触った。想像以上に衝撃がなくてかなり驚いた。そして怪我一つないハッピーを見た。
「足…痛くないの?」
「うん、大丈夫だよ」
なんて丈夫な犬なんだ…なんて思いながら、真白は辺りを見回した。
ここはどこかの駐車場のようで、ポツリポツリと車が停めてあった。そして真っ直ぐ行ったところに出口も見えた。まずはここを出よう。真白とハッピーは出口へ向かって歩き始める。
「どうして靴箱の穴はここに繋がってるの?」
「どうしてだろうね」
それはハッピーにも分からない事らしい。駐車された車の前を通る時、真白は自分が小さくなっていた事を思い出した。このまま外に出るのは少し勇気がいる。真白はハッピーの少し後ろに隠れて出口を出た。
「……あれ…ここって」
外に出ると、目の前に見覚えのある公園が見えた。そして道を挟んで左側には八百屋、そしてその隣にはハンバーガー専門店が…。
「前にお姉ちゃんと来たところだ!」
そこは数ヶ月前に姉と散歩がてら寄った公園だった。あの時は沢山の子供がいたが今日は誰もいない。
よく考えてみたら、公園内だけでなくどこにも人が見当たらない。この時間なら買い物に行く人や部活帰りの学生なんかが沢山いるはず…
まるで世界中の人が私だけを置いて、別の惑星に引っ越して行ったみたいに静かだった。そう考えてしまって急に寂しくなってきた。
「なんで誰もいないの……どうしよう…」
真白はポツリと呟いた。
「大丈夫、僕はずっと君の側にいるから」
そう言ってハッピーは私を抱きしめてくれた。ふわふわで温かくて、ちょっと石鹸みたいないい匂いがする。
記憶には無いが、まるでそれは母親に抱きしめられている様な感覚だった。
こんな場所でも、少しだけ安心できる時間が存在するのだなぁと真白は思った。
今までの不安と焦り、疲れがドッと出て、真白はハッピーの腕の中で子供の様に泣いた。