2 ネコとトリ
教室を出て私たちは階段の前に来た。正面の窓からはまだ夕焼けのオレンジ色の陽が差し込んでいる。ずっと同じ時間に閉じ込められている様な気がした。
それより、変な事が起こりすぎて今まで気にしていなかったが、どこにも人間がいない。変な生き物はいても、私以外の人間がいないのだ。…今日は休日だっただろうか?休日の夕方なら多分学校に人はいない……
真白には学校に行っていた記憶もないのでその辺はよく分からない。
「いこっか」
そんな事を考えていると、口元をペロペロしながらチェシャー猫がそう言った。
私たちは階段をゆっくりと降りてゆく。
一歩、一歩と進むたび、なんだか段差が大きくなっている様な気がした。いいや、確実に大きくなっている。最後の段を降りると、そこは巨人の学校って感じの世界が広がっていた。後ろの階段も、正面の一番奥は見えるが長すぎる廊下、そして大きな大きな扉…。逆に考えれば、私たちが縮んだのかもしれない。…それは嫌なのでここは巨人の学校という事にしておこう。
「グリフォンはこっちだよ」
そう言ってチェシャー猫は真白の腕を少し爪の出た手でガシッと掴んだ。結構痛かった…
「……あなた…私の事嫌いなの?」
突然何を言い出すのだ?と言わんばかりの顔でチェシャー猫は私を見ていた。
さっきから何もかもが力強くて痛いのだ。今のだって確実に私を傷つけようとした様に感じた。
「…痛いよ…」
チェシャー猫はパッと手を離し、バタバタと手を振って潤んだ目で謝った。
「ごめんね!ごめんね!無意識だよぉ!」
なんか嘘くさいんだよなぁ……
まぁいい、早くそのグリフォンとかいう人のところへ行って色々話を聞きたい。私たちは気を取り直して歩き始めた。
着いたのは技術室。高い場所に吊るされた看板にそう書かれていた。真白とチェシャー猫は少し開いた扉の隙間から中へ入り込んだ。
「わー…広い…」
高い椅子と机、そして特大の黒板。目が回りそうだ。
「グリフォーン!グリフォーン!アリスだよ!!アリスが戻ってきたよ!」
チェシャー猫がそう叫ぶと、どこからかバサバサと鳥が羽ばたく音が聞こえた。グリフォンは人ではなく鳥なのか?真白はグリフォンがどんな姿なのかとても気になった。
「それホントなの!?えっ!?やだホントにアリスなの!?」
「……え?」
飛んできたのは……ハトだった。あのどこにでもいるドバト。首から多分手作りの『ぐりふぉん』と書かれたプレートをかけている。しかもオネェ口調。
「ア…アリス…なんかやたらと小さいわね」
そうだな、うん、小さい。だってハトが大きく見えるもん。
やはり信じたくはないが、世界が大きくなったのではなく私たちが縮んだだけだった。今の私とチェシャー猫は500mlのペットボトルくらいの大きさになっているのではないだろうか。
「グリフォン!アリスの服!」
そんな事など気にせず、チェシャー猫はニコニコしながらそう言った。グリフォンは「あぁ!そうね!」と言い、どこかへ飛び去った。
何が起こるのだろうと、真白はグリフォンが飛んでいった方向をただただ眺めていた。
「あったわよ!」
さっきとは逆の方向からグリフォンは戻ってきた。なにやら鼠色の筒みたいな物を持ってきたが…あれは?
「さあ、アリス着替えて」
「はい?」
グリフォンは筒を下ろして横向きに倒し、真白にそう言った。カランと音の鳴ったこれはプラスチック製の物だった。
真白はグリフォンを、このハトは何を言っているのだと言わんばかりの表情で見つめた。着替えろと言われても、肝心の服がどこにもないのだ。
「服もないのにどうやって着替えるの?」
真白はちょっと意地悪にそう言った。するとグリフォンとチェシャー猫は90度に首をかしげて皿のような目で私を見た。
「…この中を通るんだよ。…あぁ!そうか。前のアリスはもっと大きかったからね。昔のトンネルの感覚で通ったらいいのよ!」
昔の感覚…それは一体どんな感覚なのだ?
なんて事を考えていたらグリフォンに翼でグイグイと押された。真白は仕方なく筒の中に入った。筒の中で3回ほどため息を吐いて反対側から出た。
「……え」
ほら何も変わらない、そう自信満々に言おうとしたが変化があった…服装に。
天色の美しいワンピースに黒のネクタイ、そして純白の前掛け。まるでお人形さんが着ている様な美しい服を、どちらかと言うと地味なこの私がなぜか着ているのだ。生地もしっかりしていて、きっとかなりお高い服だろうと思った。
しかし、なぜこの筒を通っただけで服が変わるのか、知りたくてたまらないが私は口をつむった。
「わー!アリスだ!アリスだ!」
だから私はアリスじゃない、そう言いたいところだが、幸せそうに笑う二人を見ているとどうしても言えなかった。
「えと…私どうしたらいい?元の服に戻っても…?」
「え?ダメダメ。アリスはその服なの。じゃないとなんだか変だわよ」
彼らの言う変って、どこがどういう風に変なのだろう。パーカーにジーンズは普通だと思うが…まあいいや。
なんだかこの格好でいるのは少々気恥ずかしいが……いやいや、この大きさでいるのが一番恥ずかしい。
「そうそう、私帰りたいんだけど…元の大きさに戻る方法と帰り道を教えてくれない?」
「帰る?もう帰ってきてるじゃないか」
何を言っているんだと言いたげな顔で二人は真白を見た。
これ以上ここにいても埒があかない。真白は小さくため息を吐き、教室を出ようと歩き出した。そしたら…
「わっ!!」
特に何もない床で躓き、バランスを崩して思い切り倒れた。かなり派手に転けてしまい、とても恥ずかしかったのですぐに起き上がって服を叩いた。
膝がジンジン痛むので見てみたらじんわり血が滲んでいた。
「あ…わ…」
チェシャー猫の声が聞こえたので顔を上げると、なぜか二人の様子がおかしくなっているのが見えた。
カタカタと小刻みに揺れ、ジーっと私の膝を見ていた。血が怖いのだろうか?
「アリスの血だ…血…」
「えぇ…血よ…」
ゆっくりゆっくり二人は近づいてくる。しかもチェシャー猫の方は涎まで垂らしている…
心配してくれている…という感じではなかった。
「やっぱりいい匂いだ…アリスの血は」
二人の歩くペースは次第に早くなり、私の方へ迫ってくる。
怖くて痛くて動けない。どうする事も出来なくて、真白はただ小さく丸くなって目を瞑った。