顔無し聖女は塩対応。0
聖女モノを書きたくて……
「許さないと云えば善いですか。恨んでいると云えば善いですか。それとも、気にしてないと笑えば宜しいか」
淡々とした声だった。
何の感情も込めていない、静かで、平坦な声。
どこまでも良く通る声なのに特徴が薄く、ともすれば気味が悪くなるような、そんな声だ。
それを向けられているのは、自分ではない。目の前で立ち尽くしている兄へ叩きつけられた、痛烈な罵倒だ。
酷い、と思う。
兄は一生懸命尽くしていたのに、その返答がこれだと云うならば、余りにも。
「愚かしい。莫迦らしい。無益に過ぎます。その感情に、何の意味がありますか」
日が沈んでいく。
橙に焼ける世界の中、優しい丘の上で呪詛が紡がれた。
「国を救う、世界を支える。なるほど、美しい大義名分でしょう。人間一人の感情など殺して然るべき、立派なお題目に違いありません。誰もが望む大願なのだと、私にも理解出来ます。――ですが、“それが何だと云うのか”。私は貴方に聞いているのです」
風が、女の纏う黒い布をさらさらと揺らす。
黒い、真っ黒な女だ。
黒い法衣を身に纏い、黒い布を頭からかぶり、黒いベールで顔を覆っている。袖からわずかに見える指先すら真っ黒な手袋に包まれ、肌は僅かも見えない。
いっそ不気味なほどに黒いのだが、布の所々に金や赤、白の糸で植物の刺繍が施され、品の善い小さな宝石が彩られている。それらが彼女の品格と身分を高く見せていた。
いや、事実、身分は高い。それこそ、王子である自分たちよりも。
自分たちの代わりはいても、彼女の代わりはいないのだから。
「――終わっています」
兄の背中が震えていた。
女の一言一言が、聖剣や魔剣より鋭い刃となって兄を切り刻んでいる事が分かる。けれど自分は、何も出来ない。
その痛罵を受けるべきは、自分だと云うのに。
女も兄も、まるで二人きりであるかのようだ。こちらの姿が見えていないのか、この丘は二人の世界となっていた。
それは甘美なものではなく、まるで処刑場のような寒々しい空間であったが。
「終わっているのですよ、私は。この世界へ連れて来られた時点で。私は終わったのです。今の私はそれこそ蛇足です。いらないものです。私にとって、今の私は必要が無い。それでも、だからこそ、くれてやる訳には行かないのです。容易く捨ててしまえる私でも、もう要らない私でも、終わってしまっている、残りカスのような私でも。生きていた頃の私が、私を与える事を許さない」
一定の距離を保っていた女が、大きく一歩を踏み出す。兄の肩が揺れたが、後ずさるような事はなかった。
震えながらも、兄は立っている。女の感情を全て受け止めてみせると、きっと歯を喰いしばっている事だろう。
「くれてなどやらん。くれてなど、やるものか。例え死んでも、いらなくても、消えて善くても、私は私のものだ。お前らなんぞに、“死んでもやらん”」
これまでの素っ気ない声音を捨て去って、女は怒りと憎悪に滾った音で云い放った。兄の目前まで歩み寄って、憤怒の炎で空を焦がし、嫌悪の刃を大地へ突き立てるように。
女は己を含めた全てを呪いながら、叫んだ。
「――天なんざ落ちてくたばっちまえ、くそったれがッッッ!」
天空を仰いで叫ばれた言葉は、それ自体が質量を持っているかのような衝撃を放ち、こちらの体と頭にわんわんと響く。
よろけて尻もちをついた情けない自分とは違い、兄はまっすぐ立っていた。下ろされたままの手が、迷うかのように何度か握ったり開いたりを繰り返す。
何が云えるだろう。何が出来るのだろう。
煮え滾る憎悪に、底無しの絶望に、腐り落ちた嫌悪に。
女を異世界から召喚し、聖女として利用しようとした自分たちに一体、何が。
ただただ、自分は――オウス王国第二王子として生を受けたアレクシスは、浅い呼吸を繰り返しながら、目の前で行われる断罪を、見つめる事しか出来なかった。